〔第一〕犯人(又は被害者)の人間に関するトリック(225例)

(A) 一人二役(130)

 私が採集したトリック例の総計は、821であるが、そのうち「一人二役」型のトリックは、130例に及び、最高の頻度を示している。これにつぐものは後に記す「密室」トリックの83例だが、「一人二役」にせよ、「密室」にせよ、よくもこんなに重複して使われたものだと、探偵小説の局外者にはバカバカしく感じられるであろう。しかし、同じ「一人二役」「密室」の中にも、いろいろな変化があり、そういう変化と創意さえあれば、決して又かという嫌悪感を持たないのである。さて、「一人二役」型のトリックを私は左のように分けて見た。

(1) 犯人が被害者に化ける(47例) 「一人二役」のうちの被害者即犯人トリック、又はそれに準ずるものを、ここに集めた。細分すると次のようになる。

【甲】犯行前に化けるもの(16例)

【イ】犯人が自分こそ被害者として狙われているように装い、自分を嫌疑の圏外に置こうとするトリック。邦訳ある周知の作で云えばパーシヴァル・ワイルドの「インクェスト」が適例である。この項目に属する作例は、長篇では右の外にクリスティー二篇、メースン、マーシュ、短編ではクリスティー、ブラマ、合わせて七例を採集した。

【ロ】人間入れ替りのトリック。戦友が金持の戦死者になりすまして、又は難船の生き残りが、素性を知悉した金持の死亡者になりすまして、年を経て帰郷し天一坊をきめこむもの。更らにそうして入れ替わっておいて重罪を犯すというトリック。周知の適例はクロフツの「ポンスン事件」、この項に属するもの、長篇は右のほかにマキンネス、マーカム、コール、アントニー・ホープ、チャムリ、短篇、横溝正史、江戸川、ニコラス・プレイディー、合わせて9例。

【乙】犯行後に化けるもの(31例)

【イ】被害者を殺した後で犯人自身が被害者に化けて、まだ生きていたと見せかけてアリバイを作る。適例はクロフツの「マギル卿最後の旅」。長篇ではディクスン、クイーン、チャンドラー、短篇ではクリスティー、ベントリー、チェスタートン四例、ヒルトン、ベリスフォード、計14例。

【ロ】犯人が被害者と入れ替ってしまう。殺した被害者に化けきってそのまま生活をつづける。このトリックを用いた作品の私の知る限りで古いものはディケンズの「バーナビー・ラッジ」(1841年「モルグ街」と同年の発表)である。これについては別項「ディケンズの先鞭」に詳記した。近代の作例ではドイルの長篇「恐怖の谷」が古く、外に長篇ではカー、イネス、ストラーン、ヘキスト、クロフツ、ガードナー、短篇では、ベイリー、ショーア、ドイル、ディクスン、チェスタートン三例、クリスティー、江戸川。計17例。

(2) 共犯者が被害者に化ける(4例) 犯人自身ではなく共犯者が被害者に化けて人目にふれ、犯人のアリバイを作る。長篇ではカーの「夜歩く」のほか、クリスティー、江戸川、短篇ではディクスン。

(3) 犯人が被害者の一人を装い、嫌疑を免れる(6例) ヴァン・ダイン「グリーン家殺人事件」のほか、長篇、クリスティー、ステーマン、クイーン、短篇、チェスタートン二例。

(4) 犯人と被害者と同一人(9例) 犯人と被害者は相対立するものだから、決して同一人ではあり得ないという常識を破って不可能を可能ならしめる所に異常の興味がある。これには次の三つの場合がある。

【イ】自分で自分の物を盗む、借金の言いのがれのために、自分の金庫を破り盗難があったと見せかけるたぐい。モリスンの古い短篇「スタンウェイ・カメオ事件」などは自分で自分の家に忍び込みさえする。ほかにポースト二例、チェスタートンなど、いずれも短篇。四例。

【ロ】後に記す「他殺と見せかけた自殺」とは少し違ったもので、自から傷つけ、又は自から服毒して、外部からは他殺又は殺人未遂と見えるもの。一例は私の中編「何者」。ほかにクイーンとポストゲイトの長篇、サキの短編。計四例。

【ハ】これはノックスの短篇に、たった一例しかない風変わりな着想だが、犯人が一人二役を勤め、架空の方を抹殺して、自分がその殺人犯人だと見せかけるトリック。この主人公は、不治の病に罹って自殺したいのだけれども、その勇気がないので、殺人罪を犯したようにみせかけて、死刑になろうとするという常識はずれの着想である。この筋は、別項「異様な犯罪動機」の「逃避の別の例」の最後に詳記した。

(5) 犯人が嫌疑をかけたい第三者に化ける(20例) この例は内外ともに非常に多いので漏れなく記すことは出来ないが、適例はフィルポッツの「赤毛のレドメイン」のほか長篇ではルルウ、クリスティ二例、ガボリオー、クロフツ、クイーン、ヘキスト、ヒルトン、ディクスン、ルブラン、谷崎潤一郎、短篇ではドイル二例、チェスタートン三例、オルツィー、クリスティー、セイヤーズなどの作例がある。

(6) 犯人が、架空の人物に化けて犯行し、嫌疑を免れる(18例)

【イ】二重生活をして本人の方を抹殺し、架空の人物として残り犯行する。そうすれば動機が不明になるのである。ロードの長篇「プレエド街の殺人」のほか、フリーマン、クロフツ、ザングウィル、ハーヴェイ、アボット、ディクスンなどの長篇、ドイル、チェスタートンの短篇、私の「石榴」。計10例。

【ロ】二重生活をして、架空の方で犯行した上、その架空の方を抹殺する。一例、ドイル「脣の曲った男」。ほかに長篇、クリスティー、スカーレット、短篇、ノックス、チェスタートン三例。計七例。

【ハ】被害者の方が偶然一人二役を演じた機会を利用して、その一方が他方を殺し行方不明になったと見せかけ、実は犯人が殺しているという手のこんだトリック。ミルンの「赤い家の秘密」一例しかない。

(7) 替玉(二人一役と双生児トリック)(19例) 他人を自分の替玉にしてアリバイを作り嫌疑を免れる。そのほか一人二役というよりも二人一役と考えた方がふさわしい各種トリック。双生児が二人一役を勤めるトリックもここに加えた。長篇ではブッシュの「完全殺人事件」のほか、カー、エバハート、ストラーン、チャンドラー、マキンネス、コール、マッカレー、木々高太郎、江戸川、短篇では、ドイル三例、クリスティー、チェスタートン二例、クローストン、ヴァッケル、マロッホ、オースチン。

(8) 一人三役、三人一役、二人四役(7例) 「一人二役」に関連してここに加えた。余り例は多くない。「一人三役」は、フィルポッツの「赤毛」、コールの「百万長者」、私の「陰獣」のほかにチェスタートンの奇抜な人間消失の短篇「妖書」など。「三人一役」は、カーの「一角獣殺人事件」。二人四役は、セイヤーズの「ストロング・ポイズン」、甲賀三郎の「姿なき怪盗」。

(B) 一人二役のほかの意外な犯人トリック(75例)

(1) 探偵が犯人(13例) 探偵即犯人の萌芽はポーの「お前が犯人だ」に見られるが、正しい意味でこのトリックに先鞭をつけたのは、私の知る限りでは1891年に出版されたザングウィルの長篇である。それについで、あまり人に知られていないがLeighton夫妻合作のMichael Dred: Detective(1899)があり、周知のルルウの「黄色の部屋」(1907)はその次に来る。その後近年までにこのトリックを用いた著名な長篇で、私の気づいたものは、ルブラン、フィールディング、ラインハート、クリスティー二例、クイーン、浜尾四郎などの作、短篇ではチェスタートンに二例がある。

(2) 裁判官、警官、典獄が犯人(16例) 裁判長が現に自から裁いている当の事件の犯人だったというのも、実に奇抜なトリックだが、この着想の祖先は西洋でも東洋でも可なり古く遡り得るように想像されるけれども、今私には、その智識がない。知っている範囲で古いのはドイツの作家クライスト(1811歿)の短篇「壊れ瓶」である。探偵作家の作品ではポーストの「ナボテの葡萄園」(1918年版短編集に収む)が早く、チェスタートンの短篇に一例があり、近年ではクイーンの長篇にこのトリックが使われている。判事でなくて検事が犯人であったというのは、A・K・グリーンの「暗い穴」、高木彬光の「能面殺人事件」、警察官では、久生十蘭の「魔都」が総監を犯人にし、カーの「絞首台の秘密」が、副総監を犯人にしている。そのほか警官が犯人であったというトリックを使っているのはハメット、デイリー・キング、トマス・パーク(例の有名作「オッタモール氏の手」)、チェスタートン、ベイリーなどの短篇、典獄即犯人はクイーンの長篇とチェスタートンの短篇にあり、ついでにつけ加えると、カーの長篇には収監中の囚人が犯人であったという不可能犯罪が考案されている。

(3) 事件の発見者が犯人(3例) 今殺人事件があったと云って訴えてきた人物が真犯人だったという例は、実際にも多く、平凡なので、ここにはそういうものは含まれていない。また、後に「密室」の項があるので、密室に於ける発見者即犯人のトリックも、ここには省いた。適例はクリスティーの「山荘の秘密」と今一つの長篇、また、ベントリーの短篇に一例がある。

(4) 事件の記述者が犯人(7例) これも「密室」と組合さっているものは除く。このトリックを最初に使った作はスエーデンのドゥーゼ「スミルノ博士の日記」(原作初版1917年でクリスティーの「アクロイド」1926年より遥かに早い)ほかにアントニー・バークレー、ヴァージル・マーカム、ニコラス・ブレイク、横溝正史、高木彬光などに作例がある。

(5) 犯行不能と思われた幼年又は老人が犯人(12例) 幼少年の例はクイーンの「Yの悲劇」のほかに、長篇ではベリズフォード、ドイル、クイーンの他の長篇、ポストゲイト、ブレイク、短篇ではドイル、サキなど。老人が犯人の例はワイルドの「インクェスト」のほかに、ファージョン、木々高太郎、海野十三に作例がある。

(6) 不具者、病人が犯人(7例) 不具者ではオーストリーのグローラーの短篇「異様な痕跡」が最も著名、ほかにカーの二長篇とフレッチャー、日本では海野十三に作例がある。病人が犯人の例は、西洋にもむろんあると思うが、私はノートしていない。日本では、木々高太郎の「折芦」、島田一男にも作例がある。

(7) 死体が犯人(1例) 実に突飛な着想だが、死人の手にピストルを握らせておき、死後硬直によって指に力が入り、引き金が引かれて、その室にいた被害者が死ぬ。アーサー・リースの「死人の指」一例あるのみ。尚、こういうことが実際に起こった例を、ヴァン・ダインが「ケンネル殺人事件」第十三章に挙げている。

(8) 人形が犯人(1例) 木製人形にピストルを握らせて置き天井から滴る水滴によって、木が膨張する力で人形の指が動き発射する。A・K・グリーンが随筆の中に、そういうフランスの小説があることを紹介していた。作者題名とも不明。(新青年昭和3年10月号参照)

(9) 意外な多人数の犯人(2例) クリスティーの「十二の刺傷」ノックスの短篇「藪をつつく

(10) 動物が犯人(13例) 人間が犯人だと思い込んでいたのに実は動物であったという意外性を狙ったもの。ポー「モルグ街」のオラン・ウータンにはじまり、ドイル「まだらの紐」の毒蛇これをつぎ、妖犬、馬、獅子の顎、牛の角、一角獣、猫、毒グモ、蜂、蛭の池、オーム(これは泥棒)とあらゆる動物犯人が考案せられた。その作家は、右にあげたほかに、ドイル三例、ハンシュー、フリーマン、クロフツ、クリスティ、フボット、ウイン、ホワイトチャーチ、モリスンなどである。日本の作例も多いと思うが、今つまびらかでない。

(C) 一人二役以外の犯人の自己抹殺(14例)

(1) 焼死を装う(4例) 火事で焼け死んだと思わせる場合が多い。火事跡から人骨が出てくるが、それは動物の骨であったり、生理学標本の骨であったりする。また、その裏を考えて、そういうトリックが行われたと思いこませて、実はそうでないという複雑なのもある。短篇ではドイル、フリーマン二例、長篇ではクロフツ。

(2) その他の偽死(3例) 水に溺れて死んだと見せかけ、他の人物に化けて生き永らえるという類は一人二役として既述したのでここには加えない。そうすると、ごく僅かの例しか残らないのである。数人の登場人物が全部変死を遂げたと見せかけて実はその中の一人だけが生き残っているという作例が二つある。ステーマンとクリスティー。また、ディクスンは、山中で猛獣に出会ったとき、死んだまねをしてのがれるという手を、一時的自己抹殺に応用した。あらしの海岸の岩の上に倒れているので、それを発見した友人が驚いてかけつけ、脈をとって見ると、全く絶えている。友人が急を知らせる為に町へ走り去ると、その男は、ノコノコと起き上がって、どこかへ行ってしまう。あとでは、波にさらわれたと信じられる。脈をとめて見せる手品がある。気力で止まるというけれども、そうではない。脇の下に小さいボールのようなものを入れて、腕をしめつけ、動脈を圧迫するのだ。この犯人はその奇術を用いたのである。

(3) 変貌(3例) 顔を傷つけたり、硫酸で焼いたりして、自己抹殺をやる例は少なくないが、一歩進んで、整形外科手術をして、元の容貌を全く変えてしまうことを、小説家も考え、実際の犯人も考えた。これらは容貌を変えて別人になるのだから形式上は「一人二役」の架空の人物になり切ってしまうトリックに属するのだが、必ずしもそう云えないような場合もあるので、ここにつけ加えておくわけである。作例としては、「一人二役」の(6)の(イ)に挙げたものの一部は、この項にも該当するが、変貌に重点がおかれたものは、アボットが中心となった合作「大統領探偵小説」(これについては別項「異様な犯罪動機」の「逃避」の項に詳説した)や、涙香訳の「幽霊塔」や私の「石榴」などを思い出して下さい。

(4) 消失(4例) 文字通りの消失である。古くはホフマンが「スキュデリー嬢」で人間消失を書いている。塀をよじのぼるとか、駆け出すとかしても、姿を消すことは不可能な状態に於いて、人間が消失する。謂わば路上の密室である。ホフマンは塀に隠し戸のような仕掛けがあることにしたが、探偵小説でないからいいようなものの、「密室」に秘密戸があったりしては余り面白くない。カボリオー時代の探偵小説には、高い塀でかこまれた袋小路に逃げ込んだ犯人が、蒸発したように消えうせてしまうことがよく書かれた。近年になっても、冒険的探偵小説には、こういう場面が縷々出てくるが、名トリックというようなものには余りお目にかからない。長篇ベスト級の作品では、アリンガムの「判事への花束」でこれを扱っているが、奇術ではなくて、体術のような解決なので、さしたることもない。奇術作家カーは、勿論幾つも消失トリックを扱っていて、「青銅ランプの呪」などは人間消失を中心テーマとしているが、主人が咄嗟に召使と入れ変わるという手品で、大したこともない。そこへ行くと、最近現れたハーバート・ブリーンの「ワイルダー一家の失踪」のトリックは面白い。これは幾つもの人間消失小説で、その内の一二のトリックは、なかなかよく出来ている。お祭りの日に、階上の窓の有る密室から消えうせるトリックや、海岸の砂浜で、ポツンと足跡がなくなってしまい、そのまま帰って来ないトリックは、全くの奇術趣味ではあるが充分面白い。自己抹殺については、もっと書くことがあるような気がするが、このトリックの私のノートが甚だ不完全なので、今はこれ以上思い出せない。

(D) 異様な被害者(6例)

 被害者についてのトリックの作例は、問題にならないほど少いので、別の項を立てるほどのこともなく、ここに繰入れて記しておくことにする。犯人の謎、犯罪方法の謎、動機の謎などのほかに、被害者の謎というものも当然考えられるわけで、犯人を探すのではなくて逆に被害者を探す探偵小説も書かれている。例えばバット・マガーの作品の如きである。故国を遠く離れた場所で、数人の者が、故国の新聞を手に入れ、面白い犯罪記事を読むが、被害者の名前の所が破れていて分らないので、その新聞記事に基づいて被害者が誰であったかを当てっこする話である。被害者を探すのではないけれども、異様な被害者であるために何のためにそんな殺人事件が起ったのか、まるで見当がつかないという着想がある。つまり動機が不明なのだから、動機の項に記すべきかと思うが、「動機の謎」よりも「被害者の謎」の方が強く表面に出てくるので、ここに記しておきたいような作例が幾つかある。この型の作品は、被害者が数人であって、その被害者相互に何の聯結もなく、殺人狂の無目的な兇行のようにも見えるが、結局合理的な解釈が下されるという種類のものが多い。クリスティーの「誰もいなくなった」、ウールリッチの「黒衣の花嫁」、ロードの「プレエド街の殺人」、ライスの「第四の郵便屋」、ステーマンの「殺人環」などが、この型に属する。

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