〔第三〕犯行の時間に関するトリック(39例)

 犯行の時に現場にいることが時間的に不可能だったという状況を拵えてアリバイを作るトリックである。前に記した、殺してしまったあとで被害者に化けて人目にふれる方法なども、広く云えば、やはり時間的アリバイであるが、ここには直接、時間について行うトリックのみを集めた。

(A) 乗物による時間トリック(9例)

 自転車が発明されて間もなく、田舎ではまだ知られていない頃、ひそかに自転車を使って、常識では考えられない早さで、犯罪現場と自宅との間を往復して、アリバイを作る話(ボアゴベイ「海底の重罪」、ミルワード・ケネディーの短篇)。旅客飛行機などまだない時分に、汽車の代りに飛行機を利用してアリバイを作った作例もある(ウォーレス長篇)。クロフツは、汽車や自動車の巧みな利用によって、きわどい時間アリバイを作る名手で、彼の作の多くにそれが見られる。一例は「ポンスン事件」。又、スキーを利用したり(クリスティー長篇)、陸を廻れば遠い所を泳いでアリバイを作ったり(クリスティー長篇)、潮流を利用したり(蒼井雄「黒潮殺人事件」、飛鳥高の短篇)、奇抜なのは、モーター・ボートに、一時的にもう一つ別のモーター・プロペラを取りつけて速力を倍加し、時間アリバイを作る着想もある(クロフツ長篇)。

(B) 時計による時間トリック(8例)

 殺人の際に破壊された時計の針を、あとから動かして時間を誤認せしめる(ドゥーゼ長篇、ビガーズ長篇、ドイル短篇)。夜、鏡に写った時計の文字盤を本物と思い、左右逆に判読したため時間の相違が生じる(メイスン長篇)。電圧低下による電気時計の誤差(木々高太郎「折芦」)。奇抜なのは田舎の一軒家に住んでいる人物が、邸内の大小あらゆる時計を、召使の懐中時計に至るまで、悉く同じ時間おくらせて、召使に自分の外出した時間を誤認せしめ、目的を果たした後、悉くの時計を又元に戻しておくというトリック(ブッシュ長篇)。その他カーの長篇、アームストロングの探偵劇などにも作例がある。

(C) 音による時間トリック(19例)

 【電話】による時間アリバイの偽造(クロフツ、カー、アリンガム各長篇)。既に死んだ人物の声を【レコード】で聴かせる時間アリバイ(クリスティー、ヴァン・ダイン、スカーレット各長篇)。前記「密室」におけるレコード・トリックと重複。外に「新青年」昭和十一年春増刊の井上良夫「アリバイの話」に作例がある。【ラジオ】によって時間アリバイを作る(マスターマン長篇、ヒルトン短篇)。ピストル殺人はサイレンサーをつけて、ひそかに行い、後に【偽砲音】を発せしめて時間アリバイを作る(リース、フィールディング、カー二篇、ディクスン、スカーレット各長篇、フィッツジェラルド短篇。この内には「密室」に於ける偽砲音トリックと重複するものもある)。又、夜大きな【物音】をたてて、その時殺人が行われたと思わせるトリック(ディクスン、マイヤーズ各長篇)。【腹話術】の利用(ディクスン長篇、チェスタートン短篇)。なお【声帯模写】を利用する話が日本の昔の講談にあったが、今その題名を思い出せない。

(D) 天候、季節、その他の天然現象利用(3例)

 夏時間と、普通時間との変り目の錯覚利用(千代有三「痴人の宴」)。天然現象ではないが、これに似たもので、大洋航行中に一日の誤差が生じるのを利用(ルーファス・キング長篇)。寒国で深夜、ランプの石油が凍るのを利用するトリック(楠田匡介「」)。その他、犯行当日の天候、日蝕、月蝕などを利用する場合もある。

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