殺人手段とは考えられないような器具、又は方法によって殺害し、捜査を困難ならしめるトリック。種々雑多なものがあって、系統的な分類は出来ないので、順序もなく幾つかの項目を列べる。この項の作例は前記「窓のある密室」の項と重複するものが多いが、それらも省かないで再記した。
(1) 異様な刃物(10例) 氷の薄い破片で刺殺すれば、兇器は、あとかたもなく溶けてしまう(ジェブスンとユーステース合作の短篇)。ツララで刺殺(大坪砂男「立春大吉」)。尚、氷は他の幾つかの項目に亘って種々の利用法がある。これらについては、別項「兇器としての水」に詳しい。ガラスの破片で刺殺し、血を拭って大きなガラス鉢の水中に隠す(ディクスン短篇)。短剣を銃に仕込んで発射(フリーマン短篇)。剣投げ曲芸の利用(カー長篇、ポースト短篇)。大時計の針を兇器に使う(カー長篇)。ブーメラングの殺人(チェスタートン短篇二例)。銛を兇器に使う(ドイル短篇)。
(2) 異様な弾丸(12例) 太陽と水瓶の殺人(ポースト、ルブラン、江戸川各短篇)。岩塩弾(ディクスン長篇)。氷弾(A・K・グリーン短篇)。氷の矢(紀元前一世紀のローマ詩人マルティアリスのエピグラム。ハンシューの四十面相クリークの一篇)。ゴルフのクラブの先端に爆弾を仕掛ける(ベントリー短篇)。その他弾丸に関するトリック例、ロードの短篇、マーシュの長篇、コール短篇、グリップル短篇など。
(3) 電気殺人(6例) 受話器に強電流(ウォレース長篇)。電気風呂による殺人(ディクスン長篇、ウールリッチ短篇、海野十三「電気風呂の怪死事件」)。電流により殺し、落雷死と見せかける(ブラマ短篇)。チェスの盤に電流(クリスティー短篇)。
(4) 殴打殺人(10例) 高所から鉄槌を投げて鉄兜を破る、加速度による殺人(チェスタートン短篇)。軽気球の錨による殺人(セクストン・ブレーク物語)。振子利用の殺人(セイヤーズ短篇、飛鳥高「犯罪の場」、島田一男「古墳殺人事件」)。高所より氷塊を落として殺す(江戸川「夢遊病者の死」)。マンドリンという意外な兇器(クイーン長篇)。大地が兇器であったという逆説(ポー、チェスタートン各短篇)。その他フランク・キング短篇など。
(5) 圧殺(3例) 巨大なシリンダーの中にとじこめて圧殺(ドイル短篇)。彫像が倒れるような仕掛けをしておいて圧殺(チェスタートン短篇)。石棺の蓋にて圧殺(チェスタートン短篇)。
(6) 絞殺(3例) 大トランクの中へ首を入れて探し物をしている上から、片手しかない男が、蓋を押さえつけ絞殺(カー長篇)。足を括り逆さまに吊っておけば自然死のように見えるという着想(ミードとユーステース合作短篇)。水に濡れると甚しく収縮する植物の繊維で織った布を首に巻かせるように仕向け、驟雨にあったとき、急に収縮して死ぬ(小酒井不木「殺人論」引例)。
(7) 墜落死(5例) 私が集めた実例は凡てエレベーター利用のものであった(ビガーズ、エバハート、スカーレット各長篇、チェスタートン、ロバート・ウイントン各短篇)。
(8) 溺死(2例) 洗面器の水の中に顔をおしつけて窒息せしめ溺死と見せかける(クロフツ長篇)。潜水服にて水中に潜み遊泳者を溺死せしめる(ヴァン・ダイン長篇)。
(9) 動物利用の殺人(5例) 多くは前記「意外な犯人」の動物の項と重複するので、ここには五例のみを挙げる。棒の先に獅子の爪のような金具をとりつけ、殴打して死に至らしめ、獅子にやられたと見せかける(ドイル短篇)。獅子にクシャミ薬を与え、獅子使いが口の中へ頭を入れる芸をやっているときにクシャミをさせ、噛み殺させる(ハンシュー短篇)。すれ違う貨車の中にいた牛が窓から首を出していたので、こちらの客車の窓から上半身を出した夫人の頭部に、牛の角が刺り、他殺と誤認される(フリーマン短篇)。一角獣の伝説を利用し、角を模した兇器で殺す(カー長篇)。ドイルの「まだらの紐」。
(10) その他の奇抜な兇器(2例) 西洋寺院の鐘楼の鐘のそばの小部屋に監禁して、神経を破壊して死に至らしめる(イギリス著名作家の長篇)。女が接吻と見せかけて、相手の舌を噛み切り多数殺人を行う(曲亭馬琴「八犬伝」)。
毒物を扱った犯罪乃至探偵小説は無数にあるがトリックとして毒物を扱ったものはそれほど多くはない。未知の奇怪な毒物などを持出すことは、却って探偵小説の面白みをそぐのであって、そういう作例には、ここでは一切触れないことにする。毒物使用の興味ある例は探偵小説よりも、西洋中世期、殊にイタリーの犯罪史などに多い。西洋にはそういう毒殺史の本がいろいろ出ているが、日本では小酒井不木博士が大正末の「新青年」に連載された「毒と毒殺」(不木全集第一巻)と、古畑種基博士が現に「犯罪学雑誌」に連載されている「毒及毒殺物語」が、そういうものとして最も面白い。
毒物学では、毒をその化学的性質によって分類するが、探偵小説では、毒物の化学式などが重要なのではなく、毒の名称すらハッキリ書かない場合もあるので、ここでは、食道を通じて消化器に入る毒、皮膚を通じて血液にまじる毒、ガス体として肺臓に吸入せられる毒の三種に分けて記すのが便利のようである。
(1) 嚥下毒(15例) 嚥下毒を扱った小説は無数にあるが、トリック表にのせるに足るような作例は、さほど多くはない。昔の犯罪小説では砒素がよく用いられたが、近年はやはり青酸類が最も多い。近年の著名の探偵小説の変った毒物としては毒茸(ブラマ短篇)、トリカブト(ハル長篇)、腐敗菌(アイルズ長篇)などが記憶に残っている。毒物をチョコレートに入れ(バークリー長、短二例)、サンドイッチにまぜる(アイルズ長篇、アーヴィン短篇など)。作用の時間をのばしてアリバイを作るためには、カプセルに入れ、糖衣に包み、或いは丸薬の瓶の底の方に一粒だけ有毒の丸薬を入れておく手(クロフツ長篇)、水薬の瓶の底に沈殿するような比重の重い毒物を用い、最後に服用されるようにたくらむ(クリスティー長篇)、毒液を凍らせておいて、飲み物を冷す為にコップに入れ、それが溶けない前に犯人が毒見して見せ、全く溶けてから被害者にのませるというトリックが、ディクスンの長篇に使われているが、「宝石」の別冊新人集のの作品の中にも同工のものがあったのを記憶している。それから、歯科医が毒物を治療中の虫歯の穴に埋めておく手(クリスティー長篇)。虫歯治療中の男が、充填物に混らなければ利目のないクラーレ毒を酒にまぜて、その男に自から呑むように仕向ける(ディクスン長篇)。切手の裏や本の頁や鉛筆の先に毒を塗り、それがなめられるのを期待する(クイーン短篇)。盃に毒のにじみ出す仕掛けのあるもの、接吻して毒を包んだカプセルを相手の口の中に入れる(いずれも西洋毒殺史)。毒液投擲、コップの水を散乱しないように一かたまりにして遠くに投げる技術を修得し、窓のある密室にて室内の水槽に投げ込む(ロバーツ短編)。ほかに、毒薬ではないが、ガラスを細粉にくだいて、食物に混ぜる方法も屢々用いられる(一例、オーモニア短篇)。
(2) 注射毒(16例) 毒針の飛び出す椅子(ジェブスンとユーステース合作短篇)、握ると毒針が掌を刺す食卓ナイフ(西洋毒殺史実例)、握手をするとチクリと毒液を注射する指環(西洋毒殺史、小説の例もあったと思うが、今思い出せない)、六本指の骸骨の指に(ハンシュー短篇)、針金の針の束に(クイーン長篇)、針金製の蜘蛛の脚に(ケンドリック長篇)、毒液を塗っておく方法。毒蛇をまだらの紐と錯覚する(ドイル短篇)。頭髪の中に小毒蛇を潜ませておく(アワスラー短篇)。毒蛇をステッキの中に隠す(西洋短篇、今思い出せない)。彫刻と見せかけて生きた毒トカゲをパイプに這わせておく(ホーソンの息子が編纂した傑作集の作者不明の作品)。ある工作をしておいて蜂に刺させると死亡する(ウイン短篇)。毒矢いろいろ(クイーン短篇、ディクスン長篇、ドイル長短篇二例)。バンドの笛吹きが笛の中に小さな毒を塗った吹き矢を入れておいて、吹奏すると、舞踏者の頸にささり死亡する(グッドリッチ短篇)。そのほか毒シャツ、毒シーツ、毒靴など(いずれも西洋毒殺史)。毒シャツというのは、シャツの腰のあたりの内側に毒液をしみこませて乾燥したもの、それが帯の辺で絶えず皮膚をこすり、幽かな傷が出来、毒物が血液中に入る仕掛けである。尚、毒薬ではないが、静脈内への空気注射による殺人がある(セイヤーズ短篇、高木彬光「能面殺人事件」)。
(3) 吸入毒(7例) 室内のガス燈又はガス暖炉利用の殺人(フットレル短篇、谷崎潤一郎「途上」)、毒ガス発生ベッド(フィルボッツ長篇)、毒マッチ(チェスタートン短篇)、毒ランプ(ドイル短篇)、花の香気毒(西洋毒殺史、日本の新人に作例があったが今思い出せない)、毒蝋燭(西洋毒殺史)、壁に毒液を塗り、温度の上昇によって、毒ガスを発生せしめる(リーヴ長篇)、液体空気を利用して炭酸ガスを室内に充満せしめる(赤沼三郎「悪魔黙示録」)など。
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