解釈

Q1.3.1 本編で語られる物語の期間はいつからいつまでか。

A 本編では日付のはっきりしない部分が多々あるため、議論の余地が大きいが、以下では私見[時間軸]に従って回答する([Q2.S35.1][B館時間軸]なども参照)。
 それによれば、物語は2006年7月13日(木曜日)午前6時59分のファーストシーンで始まり、翌14日(金曜日)午後2時40分前後のラストシーン[S112]で終わる。本編で描写される期間でもっとも前の時点なのは同月10日(月曜日)夜[絵コンテ S35]の鉄板焼きのシーン[S35]、もっとも後の時点なのは同月20日(木曜日)放課後の果穂のシーン[S70]である。
 なお、一般的な東京都の高校の学事日程では、1学期の期末試験が7月上旬、終業式が7月20日で、本作の舞台は試験後夏休み前の時期ということになる。また、東京地方の梅雨明けの平年値は7月20日なので、本来はまだ梅雨の明けきっていない時期だが、10年に一度くらいは7月上旬に梅雨が明ける年もあるようである。
 物語中の出来事が起こった年が2005年か2006年かについては複数の可能性がある。[Q2.S23.1]参照。

Q1.3.2 真琴の最後のタイムリープ[S102]では13日の放課後の理科実験室に戻っているが、功介が果穂に怪我をさせたのはその日の昼休み[S82]、その流れで果穂から告白されたのは真琴が理科実験室にいるとき[S84-17]の少し前である[時間軸]。にもかかわらず、真琴は「そっか…全部戻っちゃって…」と言っている[S106-2]。これはなぜか。

A 本作では、ある時点に向かってタイムリープしても、元の歴史はそのまま“保存”され、タイムリープした者は、元の歴史から“コピー”されてできた新しい歴史に到着する仕組みとなっているようである。そして、その後も、保存されている元の歴史からのコピーは何度でもできるようである。[時間軸]では、この“コピー”をコピー元とコピー先を繋ぐ矢印で示してある。また、元の歴史は真琴がタイムリープしていなくなってからも時の流れを止めることはないようである(例えば、[S23-16][S43-13])。
  最後のタイムリープでは、ノートが降ってきていることから、“保存”されていたいちばん始めの歴史[時間軸 No.1]の午後2時21分に戻っていると考えることができる。そうだとすると、昼休みにプロレス同好会の男子とぶつかったのは真琴であり、果穂は告白していないことになる。
 なお、このような設定のもとでは、ある出来事をなかったことにするだけならば、保存されている歴史の中にその出来事が起こらなかったものがあれば、時刻はそのままで単にその歴史に戻ればよく、必ずしも時間自体を戻る必要はないことになる。
  一般的なタイムトラベルものでは、ふつう本作のような都合のいい設定にはなっていない。例えば[BTTF]のシリーズでは、一旦過去を修正すると、その修正をなんとかして元に戻さない限り、元々あった歴史には戻れないことになっている。このようにすることで物語にスリリングな緊張感を与えられるが、その代償として、物語の自由度が大きく損なわれる。本作品ではそのような緊張感よりも自由度を採ったということであろう([談話ノート 00:10:10(細田談話部分)])。 ただ、それでもストーリー構成にはかなり苦労があったようである[ノートコメント p.13][ノートブック p.95(奥寺談話部分)][談話ノート 00:08:13]
 本作のような装置は、『ドラえもん』でいえば「タイムマシン」よりも「もしもボックス」に近い。タイムトラベル一般については[WPTT]も参照。

Q1.3.3 河原からのタイムリープ[S23]では、元の歴史では真琴はグラウンドないし学校にいたはずの時間へタイムリープしているのに、紺野家に到着している。タイムリープでは場所の移動もできるのか。

A 本作では、タイムリープ後の真琴の出現地点は大抵その歴史のその時点で元々いた場所又はそのごく近くとなっているが、このシーンではそうなっていないわけである。
 [原作]及び[大林版]では、和子が「テレポーテーション」と「タイム・リープ」の2つの能力を持つことを示唆するセリフがあり、実際に無関係な場所へも移動している。本作では煩雑を避けるためか和子はテレポーテーションについては説明していないわけであるが、実際には本作でもこれらと同様に自由にテレポーテーションも可能な設定であるものと見られる。

Q1.3.4 「時の回廊」とは。

A 本編の随所[S1][S2-23][S16-47][S21][S22][S44][S47][S58-33][S90-8B][S103][S111]に現れる、赤いデジタル表示の時刻の列が見える空間のこと[ノートコメント p.7][絵コンテ]。背景が黒く1列の時刻だけが見える場合(以下黒の回廊)と、背景が白くいくつもの列が見える場合(以下白の回廊)とがある。[ノートコメント p.7]には、時の回廊の「デジタル表示はタイムリープ空間の操作コンソールの一部」との解説がある。
 [時間軸]では、時の回廊のシーンの始めのコマでデジタル表示の中段に表示されている時刻を真琴がタイムリープした時刻と解釈して時刻を記してある。ただし、例えば「…07:11:18:13:21…」[S44-1]のように、時刻(この例では「18:13:21」)の直前に日付(同「07:11」)とも解釈できる数字が付いていることがあるが、これが日付だとすると、例えば千昭の告白の2回のタイムリープ[S44-1][S47-1]でそれぞれ日付が異なることになる(1回目は「07:11」、2回目は「07:13」)などの矛盾が生じること、またそもそも日付と解釈することのできる数字が付いていないときもあることなどから、[時間軸]ではこの数字は重視しなかった。なお[絵コンテ]の時の回廊の画面には日付部分は描写されていない。
 白の回廊は、過去の細田作品にもよく似た画面が見られる[談話ノート 00:15:52]
 [絵コンテ S1]には「時の潮流」の表記があるが、時の回廊の旧称だろうか。

Q1.3.5 「時の回廊」の背景の白と黒の違いは何か。

A 黒の回廊は、タイムリープ装置が動作していない状態、白の回廊はそれが動作中の状態を表わすものと思われる。[S22-3]では、黒の回廊が白の回廊に切り替わるともいえる様子が描写されている。
 黒の回廊が[S1][S111]のように真琴がタイムリープ能力を持たない状態でも現れているのはこの説明と矛盾するようでもあるが、残り回数はさておき、タイムリープの潜在能力ははじめから高校生の誰もが持っているものなのかも知れない。[S19-3][談話ノート 00:07:07(奥寺談話部分 [原作]の魅力について「例えばその…この話でいうと、真琴がタイムリープ能力を得たときに、ものすごい万能感みたいな…自分はなんでもできるんだっていうような万能感を得ますよね。そういうのっていうのは、別にタイムリープ能力がなくても、高校時代って…なんか…持ってたりしませんか。そういった、細かい…その…高校時代であったり、中学時代であったり、そのときだけに持つなにか、っていうものが、原作の中にはいくつか入ってるんじゃないか」)]も参照。また、[原作]には「人間には、身体移動、念動力、精神感応などの超能力が潜在的にあるということは、すでに科学的に証明されていた…」とある。

Q1.3.6 本編での真琴のタイムリープの着地成功率は。

A 真琴がタイムリープ直後に体をぶつけなかった場合を成功とし、その回数(8回。[S78]、[S90]と[S104]は成功に数える)を成否がわかるタイムリープ総回数(17回)で割ると47%となる[時間軸]。意外に高率だが、成功かどうか微妙なケースや不明なケースが多いために、判定基準次第で大分変わってくる。シリアスなシーンでは、おそらく演出上の理由からゴロゴロと転がらない場合が多く、成功率が高い。

Q1.3.7 タイムリープに関する禁断の解釈とは。

A 夢オチ説、ないしは教育装置説。この立場によれば、真琴に理科実験室でチャージされたときから、最後のタイムリープで戻ってくるまでの間の出来事は、クルミ型の“教育装置”が真琴に見せた“仮想現実”、ないしは(そう言った方がわかりやすければ)真琴が見た夢である。最後のタイムリープで選りにも選って最初のチャージの瞬間に戻ってきていること、その直後のショット[S104-1]は真琴が目を閉じている姿から始まること、真琴の肘の数字が[S104]以降全く現れていないこと、物語が夢オチで始まっている[S2][S3]ことがこのことの暗示と見ることもできること、最初のチャージ[S12-30]と最後のタイムリープ[S103]に限って光の泡沫のイメージが現れていることなどはこの立場に有利な事情となる。この立場では、千昭が静止した時間の中でした説明も仮想現実の一部に過ぎないこととなることに注意せよ。
 教育装置説は、全てが「夢だから」で説明できるために、夢の中の出来事に対するあらゆる解釈行為を破壊するし、“夢”から覚めた後の描写に若干の矛盾を残す。このため、この問答集では原則として教育装置説を採らない。 しかしながら、この説には、真琴がいくらタイムリープして歴史をやり直したところで元の歴史は流れ続けるのだから[Q1.3.2]、タイムリープによって元の歴史に存在する人間を救済することはできないことになるのではないかという、常識的な解釈の持つ深刻な問題点をクリアできること、この物語のテーマのある面をよりよく把握できることなどの長所がある。
 なお、夢オチの構成につき[BTTF]。

Q1.3.9 この映画では、構図が類似したシーンが繰返されることが多いが、これには何か意味があるのか。

A 以前のショットと同一の構図が繰り返されるショットを同ポジション(同ポ)というが、本作品では、この同ポが、タイムリープを経て同じ場所に戻ってきたことを示すために使われている[演出解説 00:02:05](なお [ノートコメント p.17])。したがって観客としては、同ポが出現したときは、そのシーンが以前の類似シーンと同じ日・同じ時刻・同じ場所である可能性があると考えなければならない。
  しかし、中には同ポであっても日付が異なるシーンがあり、このことは、真琴のタイムリープが必ずしも明示されないことと相まって、観客が劇中の日付を認識するのを相対的に難しくしている。例えば高瀬の消火器事件のシーン[S58]には高瀬が水を掛けられるシーン[S52]のショットと同ポのショットがあるが、これらは別の日である(場所・時間帯は同じ)。校庭で真琴が一人で昼食をとるシーン[S57-2]と、同じく校庭で真琴と友梨が昼食をとるシーン[S51-3]も別の日である(場所・時間帯は同じ)。
 以上につき[時間軸]も参照。
 同ポの手法は細田の得意な手法で、細田の過去の作品でも多数使われている。また、[大林版]でも本作ほどではないが、やはり同様な目的で同様な手法が使われている。

Q1.3.10 “Time waits for no one.”とはどういう意味の言葉か。

A 「歳月人を待たず」「時間は待ってくれない」などと訳される一種のことわざで、漫然と時間を過ごすことを戒める言葉である。ローリング・ストーンズの曲名にもなっており、このことがきっかけで採用された言葉だそうである[ノートコメント p.8]。なお、[大林版]には、この言葉の漢文版とも言える「少年老い易く学成りがたし 一寸の光陰軽んずべからず」(実際は訓読文)が、福島先生の国語の授業中[Q1.2.7]の黒板の文字として出てくる。
 この作品では、真琴は初め将来を決めかねて漫然と現在を過ごしているが、千昭たちとの関わりの中で「これからやること」[S112-6]を見つけ、未来に向けて主体的に行動できるようになる。本編中では、この作品のそうしたテーマを象徴し、また真琴を導いていく言葉としてこの言葉が印象的に使われている。細田は[ノートコメント p.8]で黒板の“Time waits for no one.”の文字を「おそらく千昭が書いたんでしょうね」と解説している。  

 [ノートブック p.80]には、この黒板の文字の元になったロケハン写真が掲載されているが、そこには「私の可能性よ開け!私の可能性よ開け!↑(゜Д゜)ハァ?」と書かれている。また、初期の美術設定資料には英語として意味不明ながら「No hung is impossible↑(゜Д゜)ハァ?」と書かれたものもある[アートブック p.52](なお、ある読者の方からこれは"Nothing is impossible"を間違えたものではないかとのサジェスチョンがあった)。

Q1.3.11 結局、功介は真琴のことをどう思っていたのか。

A その点は曖昧だが、どちらかといえば、昔からの友達[S41-7]という以上の感情はなかったと考える方が素直なつくりになっているとはいえるだろう。
 とはいえ、[S64-6]の存在は気になるところだし、真琴の魅力と自らの実体験に照らしてそんなことがあり得るだろうかと疑いを持つ観客は多いことだろう。実のところ、功介が友達以上の感情を抱いていたと解しても矛盾はしない作りになっているし(なお、真琴の観点からのコメントではあるが[ノートブック p.94 奥寺談話部分「真琴がどちらを選んでも、どちらを好きになっても不自然じゃない。そんな形にしたいと思って。」])、[S106]はそのように解した場合に真琴が功介との関係に一定の決着を付けたシーンと見ることもできるようになっている[Q2.S106.1]。
 細田は[ノートコメント p.10]で「この映画は三角関係を描く作品じゃないし、真琴がどっちの男を選ぶの? っていう興味で引っ張っていく話でもない」としている。テーマが曖昧になるのを避けるために、演出としてはこの点に正面から触れることを極力避けたと見られる。
 要するにここは、脚本家の当初の構想と、演出家の解釈とで見解が分かれたために、どっちつかずになったところだと考えるべきかも知れない。

Q1.3.12 大きな入道雲の象徴するものとは。

A あまり明確ではないのだが、細田はラストシーンについての演出解説[Q2.S110.8]で「真琴が千昭から受け取ったもの」と表現している。このことから、考え方としては例えば次の2つがあり得る。

  1. 「真琴の成長」説
  2. 「真琴の未来」説

 いずれにせよ、果穂の話を聞く場面に現れる成長する入道雲[絵コンテ S70-1]や真琴が泣き崩れる場面の屋上から見える入道雲[S99-5]、ラストシーンの印象的な入道雲[S112-8]などはいかにも象徴的である。
 ただ、単に夏を表現するだけの目的でも積雲程度の雲は度々出現しているようであり、この点でも象徴的な意味合いは観客にとってあまりわかりやすくなかったかも知れない。
 この種の大きな入道雲は『天空の城ラピュタ』の雲の作画担当でもあった本作の美術監督の山本二三(にぞう)の得意とするところで、「二三雲」と呼ばれている[ノートブック p.24]
 また、この点に関連して、真琴初登場のショット[S2-1]とラストのショット[S112-12]は同ポだが、その背景の雲には違いがあるという点も重要である[Q2.S112.2]。

Q1.3.14 真琴が最初得たタイムリープ回数はいくつか。

A 少なくとも25回分はあったはずだが[時間軸]、果穂と千昭の告白あたりまではどの程度タイムリープを使っていたかはっきりせず、正確な数は不明である。
 なお、したがって、真琴がしたタイムリープ回数は少なくとも26回ということになる。

Q1.3.15 本編で描かれる真琴の恋は初恋なのか。

A 本編を見る限りでは、おそらくそうであろうという以上のことは言えないが、[ハンドブック]掲載の企画書には「マッドハウスの新境地!甘酸っぱい初恋の思い出を」といった見出しが見える。
 なお、[原作]での和子も、ケン・ソゴルに対する恋愛(だったかどうかがまず第一の問題なのだが、そうだったとしてそれ)が初恋であったかどうかは、おそらくそうであろうと見られるものの明確ではない。

Q1.3.16 真琴はタイムリープでは記憶のある過去にしか跳べないのか。

A [パンフ][ノートコメント p.13][公式サイト 作品紹介・解説]によるとそういう設定で、真琴が太古の時代に行ってみたりしないこともそれで説明できるという案配だが、(1)[S24]と[S80-2]で未来に向かってタイムリープしたと解されること (2)千昭は明らかに未来及び記憶のない過去にタイムリープしているところ、真琴は千昭の装置から能力を得たのだから、タイムリープ能力の内容も千昭と同じと解されること などからすると、この設定には疑問が残る。

Q1.3.17 真琴がタイムリープで過去に戻ったあとでも、和子はいままでのいきさつを全て知っているようだが、彼女はタイムリープに対する免疫があるのか。

A 描写は省略されているものの、会いに行くたびに真琴がいきさつを説明し直していると考えるのが無難だろう。

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