WOWOWメンバーズオンデマンドにて久しぶりに再鑑賞。
- 攻殻機動隊シリーズの新作映画の公開も間近とのことだが、これはもっとも有名な最初の劇場版。
- 個々のシーンはやはり文句なく格好よくできているが、話の方は……。初めて見たときは中身がさっぱりわからなかったし、いま何度目かに見てもやっぱり判りにくい。尺の都合はあったろうが、ややこしい設定がいろいろとあるのだからもう少し丁寧に説明できなかったものか。
- とはいえ何度か見て表面的な話の筋は判ってきたが、しかしそれでもわからないのは、素子が人形使いと融合したからといってそれがどうしたのかということである。素子が9課を辞めたがっていてそれが実現したのはわかるし、バトーが振られてしまって悲しいのもわかるが、人形使いと融合したことそのものに対する語り手の評価が明らかでない。将来人類はネット上の人格として他の人格との融合と淘汰を繰り返しながら生きていくのがいい(だからこの結末はめでたしめでたしである)と言いたいのか? しかしそうだとすればそれはあまり説得的ではないようである。それに、ネット上に魂が存在できるというのはこの物語世界内の設定であって、現実世界でそのようなことが実現可能であるとも考えにくい。フィクションと言えどメイン・テーマくらいは現実に通用する何ものかを表現すべきではないか? さもなければナンセンスな話になってしまう。
- また、これは押井守、というより伊藤和典のシナリオに特徴的なことだが、動機が極めて弱い。とりあえず刑事なんだから事件が起こったら犯人を追うでしょ、という以上のものがない。これはパトレイバーの映画のときもそうだった。一つには、戦闘シーン偏重で、事件そのものについてはセリフで要旨が説明されるのみ、それ自体の描写は極めて不十分だからである。犯人が何か不当なことをしているということを観客が実感できないまま話が進む。だから素子たちがしていることにあまり肩入れできないのである。つまり厳密に言えばここでいう動機付けは人物の動機付けというよりは観客の動機付けである。