作品のメタファの解釈について

もののけ姫 vs エヴァンゲリオン (宮崎監督と庵野監督:97年夏の師弟対決を中心に)

この記事の0節「宮崎監督と庵野監督(デラべっぴん96年8月号掲載 エヴァ都市伝説より一部抜粋)」に記されているような、物語のある面での構造と現実世界との類似が見いだされることは、物語作品を鑑賞していると時たまあります。そして細田作品では特にその頻度が高いようにも思われます。

こういう類似を発見したときに未だに私がとまどうのは、この類似を解釈上どのように位置づければいいのかということです。

相対立する2つの理念型として次のようなものが考えられます。

1. それは作者によって意図された表現行為すなわちメタファであり、その作品の真の意味はそこに表れていると解すべきである。

2. そのような類似は作者が作劇上アイデア出しの手段としてそのような現実を「アイデアのタネ」として使った結果に過ぎず、作品の意味するところとはなんら関係はない。

物語を解釈する立場の人間としては、1.だと考えた方が面白いので、テクストを与えられたならば、ひとまず1.として解釈できないかを試みることになります。しかし実際にはそういう試みが常に成功するわけでないので、実態はむしろ2.に近いのではないかと思うこともあります。

宮崎氏と細田氏はいずれも東映動画出身であり、ひょっとして東映動画の伝統としてそういうアイデア出し法が社内に伝わっていたりするのかな…と、これは妄想ですが。

なんともまとまりのない記事になってしまいました。

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