『君の名は。』(2016)

 立川シネマシティ極上音響上映にて鑑賞。

  • 今頃になってやっと鑑賞。事前に想像していたよりもずっと新海誠らしい作品だったが、旧『君の名は』と『転校生』と『ひぐらしのなく頃に』とアニメ版『時をかける少女』と『サマーウォーズ』と『秒速5センチメートル』を足して8くらいで割った感じ。どうも若干薄味である。セカイ系の旗手とされた新海誠の強みも弱みも昔と変わっていない。恋愛描写は深みがあるがそれ以外がどうも今一つ。ただそれでも、とにかくヒロインがそれなりに魅力的に描けているから、まずは成功したほうだろう。
  • これだけ売上が上がった原因は何か。おそらく、ロマン(娯楽)要素として、男女が入れ替わる話だというのがキャッチーだったのと、『転校生』あたりがそろそろ若者になじみが薄くなってきていて、ネタとしての新鮮さが戻ってきたというあたりがまずあるのではないか。そしてまた、こういう恋愛ものの場合、男子からみた女子の理想像だけを描くと男子のみの客層しか狙えず、女子からみた男子の理想象だけを描くと女子のみしか狙えないわけで、ヒットを狙うならこの両方を描かないといけないが、この作品ではそういう二兎を追う戦略がうまくいった結果、男女ともに楽しめる恋愛ものということでデートムービーとして見られるようになったのではないか。この辺り、アニメ版の『時をかける少女』と共通するところがある(それにしても、奥寺先輩という名前は偶然だろうか(時をかける少女の脚本担当は奥寺佐渡子))。『秒速5センチメートル』の頃はお世辞にもデート向きとは言えない作風だったが、今後はデートムービー監督という方向で行くのだろうか。また、創作態度という面では、近時の新海誠がオリジナリティにはあまり拘らず過去の諸作品の成果を取入れて作品づくりをするという方向に行ったのも、その分薄味にはなったもののまずまず成功したようである。この辺り、オリジナル志向を強めた結果伸び悩み傾向のある細田守と明暗を分けた感がある。
  • シナリオ面についていくつか簡単に難点を指摘する。まず瀧が救おうとしているのは三葉なのか村全体なのかが曖昧である。村全体だというなら動機が弱い。三葉だけだというなら下手をすると話が矮小化し、瀧の行為の立派さが少なくなってしまう。そのことと関連するが、この話には過去の新海作品にあったような罪悪感とそこからの解放(カタルシス)という要素がない。もともと新海誠の作品では、愛情に応えられない俺はダメだというウジウジとした罪悪感が作品に満ち満ちていたのであるが、まあデートムービーとしてはそこまでは難しいにしても、せめて、瀧の過失のせいで村が全滅したということになっていれば、その後の行動にも説得力が出た。また、「忘却とは忘れ去ることなり」がキャッチフレーズだった旧『君の名は』からの影響とは思うが、名前を忘れるとか忘れないとかという話と後半中心になるパニックムービー要素との関連が薄く、なんだかとってつけた風である。概して、恋愛ものとパニックものの要素があまりかみあっていない印象であった。

70点/100点満点