『The Last of Us Part II』あらすじとレビュー【ネタバレ】

 2013年に発売されたPS3のゲーム『The Last of Us』の続編。略称はラスアス2。今回はPS4をプラットフォームとしてリリースされた。いわゆるトリプルAタイトル、つまり大作タイトルである。
 前作同様に、YouTubeなどで実況動画が多数アップロードされており、日本の著名実況者では、ガッチマン兄者がフル実況している。英語圏の実況はもっと多い。なお、前作の実況で人気のあったMarkiplierは今回実況していない。
 前作同様、あるいは前作以上に映画的で物語性の強いゲーム。前作は特にシナリオが評価されて有名になった作品だが、本作ではシナリオが賛否両論、評価が割れている。

あらすじ

 先ず話のあらすじをざっくり紹介すると次のようになる。前作の主人公ジョエルとエリーは、ジョエルの弟トミーらが立ち上げた生き残りたちの町、ジャクソンで暮らしていた。エリーはジョエルからギターの弾き方を教わったりして、ぎこちないながらも親子のような付き合いを続けている。
 さて、ある冬の朝、アビーとその恋人オーウェンが引き連れた謎の一団がその街はずれにやってくる。アビーはどうやらジョエルを探しているらしい。そこへたまたまジョエルが見回りにやってきて、そのアビーたちにつかまってしまう。ジョエルに激しい恨みを抱いているらしいアビーは、同じく捕まってしまったエリーの目の前でジョエルを殺す。辛うじて生き残ったエリーは、アビーたちを皆殺しにする復讐の旅に出ることを決意する。トミーも一足先に同じく復讐に出発していたが、エリーを置いて行ったため、トミーを追う形となる。エリーの旅には、バイセクシャルの恋人ディーナが同行することになった。
 一団の身に着けていた制服から、一団がWLFという民兵組織のメンバーであろうと目星をつけたエリーは、WLFの拠点であるシアトルに向かう。シアトルに着いたエリーは、無線を傍受したり、見つけた仲間を拷問したりしてアビーの仲間たちの所在を掴んでいく。仲間たちのうち、ある者は既にトミーが殺していたが、残りの者はエリーが殺した。しかし、ディーナが妊娠しているのがわかったことなどで、結局最大の仇であるアビー本人は見つけられないまま、合流したトミーと共にシアトルを去ることを決める。ところが出発の直前、アビーの突然の襲撃を受ける。
 ここからアビーの過去へと話が戻る。前作のラストで、ジョエルはエリーを救うためにファイアフライを壊滅させたが、アビーはそのとき殺されたファイアフライの免疫学者の娘だった。ファイアフライは免疫の研究を続けられなくなり消滅したが、残ったメンバーの多くはWLFに移った。アビーたちもその一人であった。あるとき、やはり元ファイアフライのオーウェンが、ジョエルがジャクソンにいるという噂を聞きつけた。アビーとオーウェンらがジャクソンにやってきてジョエルを殺したのはそのような経緯であった。ところで、WLFは謎のカルト宗教組織セラファイトと対立しており、度々小競り合いを繰り返している。アビーもそのような戦闘に明け暮れる日々を送っていたのだが、復讐を遂げてしばらくたったある日の戦闘で、ついにセラファイトにつかまってしまう。しかし偶然、セラファイトから逃げ出そうとしていた信者である若い姉弟のヤーラとレブに命を助けられ、二人の脱走に手を貸すことになる。アビーは二人とともに、セラファイトの追手を倒しつつ、オーウェンらが隠れ家のようにしているシアトルの外れにある水族館跡に戻って来る。その後、怪我をしていたヤーラのために手術用具が必要になり、WLFに隠れて感染者の蠢く病院跡からそれらを調達したりする。そうこうするうち、残してきた母親を心配していたレブが、逃げ出してきたセラファイトの村へ突然一人で帰って行ってしまう。アビーとヤーラはそれを止めようとレブを追う。二人がセラファイトの兵を倒しながら、苦労してレブとヤーラの実家に辿り着くと、母親は死んでいた。三人は水族館へ戻ろうとするが、たまたまそのときWLFが村に総攻撃を仕掛けてきていて、三人はWLFの部隊と接触、ヤーラは殺され、せめてレブを守りたいアビーはWLFと対立することになってしまう。アビーとレブはどうにか水族館に戻るが、そこでオーウェンらがエリーに殺されているのを発見する。アビーはまだシアトルにいたエリーのところへ復讐に向かい、エリーやトミー、ディーナらを倒すが、エリーらの命だけは見逃す。
 ここで話の視点がエリーに戻る。エリーは、ディーナとディーナの生んだ子どもと一緒に、郊外の牧場でのんびりと暮らしていた。一見して幸せな生活ではあるが、その実エリーはジョエルが殺される悪夢から逃れられずにいた。そこへトミーが訪ねてきて、アビーとレブがカリフォルニアを旅しているらしい情報を掴んだという。いったんは断ったエリーだが、結局再び復讐の旅に出ることになる。カリフォルニアには人間を捕まえて奴隷にしているならず者たちがいた。エリーもいっとき彼らに捕まってしまうが、機会をとらえて逆転、そのメンバーを脅して尋問し、アビーが彼らのアジトに囚われていることを知る。早速そのアジトに向かったエリーは、彼らを倒しつつ囚人たちを解放、アジトを壊滅に追い込んだあと、海岸の処刑台で虫の息だったアビーとレブも解放する。立ち去ろうとしたアビーに対し、エリーは行かすわけにはいかないといい、二人の決闘が始まる。エリーが2本の指をなくす死闘の末、エリーはアビーを倒すが、命だけは見逃す。アビーとレブはボートで去っていく。エリーは牧場に戻るが、家の中はもぬけの殻。エリーの部屋に残されていた彼女のギターを弾くが、指を失ったのでうまく弾けなかった。

ストーリーレビュー

 さてこの物語に対する評価なのだが、世評の通り、率直に言って理解に苦しむ点があるのは確かである。
 ドラマは主人公の行いの美しさを表現する芸術である。しかし、前作では世界を救う英雄たる美少女であったエリーは、醜くなってしまった。そのようなものをわざわざその続編と銘打った作品として作って見せるのは、悪趣味というものである。素直に解釈するならば、この話においてエリーは悪役であり、主人公はむしろアビーである。
 結局のところ、前作のラストでジョエルがファイアフライを皆殺しにしてエリーを助けたことをどう評価するかが問題である。これについては、同情の余地は大いにあるものの、人類とファイアフライに対して与えた損害の大きさを考えると、正しくない行為であったと考えられる。もしエリーが、自分が死んでしまうならそんな手術は受けたくないと考えていたのなら、いくら功利主義的結論はそうであっても、人道・人権上手術は許されないので、そこから救出することは正しいという立論が可能かも知れないところであったが、エリーにそういう考えはなかったことが本作ではっきり示されていた。したがって、被害者の遺族の一人であるアビーがジョエルを殺すことは、司法制度による処罰が期待できないことも考慮すると、許される行為というべきである。すると、エリーとトミーにはそれに対して復讐する権利はないことになる。つまりこの話は出だしから無理筋なのである。厳密に云うと、アビーの身元は初め一応隠されていたのだが、ジョエルが何をした人間かは前作をプレイしていればわかっていることであり、見え透いていた。
 ただし、本作のストーリーを見ていると、ジョエルの行為に対する作者の評価は異なっている可能性もある。例えばプロローグでトミーはジョエルのしたことに賛同している。もしジョエルのしたことは全く正しいと考えるなら、エリーとトミーの復讐に正当性が出て来るので、話が変わってくる可能性がありそうである。だが、そういう立場だとすると、今度はなぜあんなにアビー編を延々とやったのかがわからなくなる。どちらにも正当性があると云いたいのだろうか。しかしジョエルが正しいならアビーは正しくない。ジョエルが正しくないならアビーは正しい。どちらかなのであって、どちらになるはずなのか、作者には話の流れをきちんと計画する責任がある。
 筆者としては、ジョエルの行為が正しいものだったとの立場には賛成しかねる。

 前作はジョエルのエリーに対する愛情が描かれる物語だったと考えることもできるので、続編たる本作は、エリーのジョエルに対する愛情を描く作品として企画されたのかも知れない。しかし、エリーがジョエルに対する愛で行動しているというだけでは、主人公にふさわしい正しさを備えていることにならない。
 愛ある行為が美しいかという点はシナリオ制作においてよく誤解される。基本的な考え方としては、美しい行為とは倫理的に云うところの不完全義務の遂行、つまり犠牲を伴うような正しい行為である必要があり、愛情とそれに基づく行為が美しく見えるのは、その愛情がそのような義務の遂行を促す原因となっている場合に限る。そしてまた、そのような義務の遂行を促す原因であれば、別に愛情でなくても何でも美しく見えるのである。ただ、倫理的行為が他者のためになる行為という側面を持っている必要がある関係上、愛情はそのような原因として制作上使いやすいところはある。
 上述のように、本作では、そもそもエリーの行為は正しくなかった。

 本作のシナリオが駄作かというとそうとも言えない。前作のレビューでも書いたが、もともとこの作者の持ち味は、物語の構成よりもキャラクター・人間関係の描写の方にある。エリーやディーナがLGBTであるという設定は世評が芳しくないようであり、筆者も何かとってつけたような設定だなとは感じたものの、作者がそういう新しい人間関係の描写にチャレンジしようとしたものではないかとも思われる。ただ、あまり成功してはいなかったのも確かであろう。また、アビー編・エリー編いずれにも三角関係のような人間関係が設定されていたが、こちらもあまり効果的ではなかった。しかしそれでも、ゲームのシナリオとしては本作のシナリオは依然としてレベルが高い。昨今のゲームのシナリオが、形式的なお使いの繰り返しの域を出るものでないものが大半である中、本作のシナリオは充分に鑑賞に値する。