『イングロリアス・バスターズ』(以下『イングロ』)なんですが、『パルプ・フィクション』(以下『パルプ』)が好きだったもので、公開日に見て来ました。
で、今、ブロゴスアィアを覗いてみると、「傑作」とか「名作」とかという評価が多いようなんですけど、私としてはそこまでのものとは思えず、またも孤立感を味わっております。といってもまあ、悪くはない映画ですけど。
まず言っておきますと、ユダヤ・ハンターのランダ大佐役、クリストフ・ヴァルツの演技は素晴らしい。それは間違いないところです。また、フレデリック一等兵役で、『グッバイ・レーニン!』でお馴染みの好青年(あの当時から変わってない)ダニエル・ブリュールも悪くありませんでした。
ただ、脚本については傑作と呼ぶには疑問があります。
手元にDVDがあるわけでもないので、あまり網羅的な指摘はできませんから、以下思いつくところだけ挙げます。ネタバレですので、作品を未見でこれから見る予定のある方はご注意を。
まずファーストシークエンス、というか第1章なんですが、農家にナチスがやってきて、隊長のランダ大佐が農家の主人にユダヤ人を匿っていないか尋問するところ。実はユダヤ人家族が床下に隠れているわけですけれど、それを観客に見せるタイミングが遅すぎたために、ランダ大佐の長広舌が緊張感に欠けた単なる世間話になってしまってます。ここは緊張感を味わって貰うのが第一の目的のシークエンスと解されるので、これは失敗に属します。
ここでいい比較対象になるのが、『パルプ』のオープニングタイトル終了直後の話、ビンセントとジュールスがスーツケースを取り返すエピソードで、強者が弱者を尋問する話である点、そしてその尋問の際にいきなり本題に入らずに長広舌を披露する点などで、『イングロ』第一章によく似ています。ところが、『パルプ』の場合、『イングロ』と違ってその長広舌の間も緊張感に溢れてるんですが、それはどうしてかというと、冒頭にクルマから銃を取り出すシーンが入っているし、ボスがとんでもなく怖い人間だという話を振ってあるし、そのボスからこの部屋の人間たちは何か盗んだらしいとわかる話が比較的早い段階で出てくるし、要するに前フリが丁寧にしてあるからです。だから、ジュールスたちはただでは済まさないだろうということが観客にはっきりわかるのです。
『イングロ』でも、出だしでナチスたちを見つけた主人が不安そうな表情を見せてはいるわけですから、なにか起こりそうだという緊張感が全然ないわけではないけれど、漠然としたナチスへの不安を抱いているに過ぎないという解釈が可能だから、弱いのです。
やはりここはもっと早く、できればファーストシーンでユダヤ人の存在を見せるか、それを臭わせておいて欲しかった。
それに、物語の後半以降では、ショシャナが復讐する話になっていくんですから、彼女の家族が無惨に殺されるところをちゃんと見せて観客に同情させないといけません。一応撃たれるシーンはなくもなかったけれど、中途半端でした。
またその最後、ランダ大佐はユダヤ人少女のショシャナが家から走って逃げて行くのを見つけ、ピストルを向けるけれど、「まあいいか」とかなんとか言って彼女を逃がすわけですが、そこまで散々ユダヤハンターだと煽っておきながら、この行動は如何なものでしょう。主要登場人物が明確な理由もなく性格に反する行動をするというのは作劇の基本から外れ不自然であると言わざるを得ません。ここはピストルを撃たせた上で、なぜか全部外れたということにすべきです。……と書いてみて気付いたけれど、それだとまさに『パルプ』そのものになってしまいますね。……それはともかく、こんな風にしてしまったものだから、ずっと後の方のレストランでの再会のシーンも、どう解釈していいのか観客がとまどってしまい、結果的に薄味になってしまいました。
第一章についていうと、そこでの主人公、つまり観客が肩入れして見ていく人物が誰なのかわからないという問題もあって、上の点も考え合わせると、そもそもの間違いはファーストシーンで家の主人が出て来、そのまま主人視点で進んでしまったことだったかも知れません。つまり、このシークエンスは最初から最後まで一貫してショシャナ視点で進むべきだったんでしょう。もちろんあの話の流れ上、大佐と話す家の主人の出番は多くなるにしても。
続く……かも知れない