- WOWOWにて久しぶりに再鑑賞。
- はじめ字幕版を見ていて、あまりに情報が足りなすぎる、怪しいぞと思ってこちらも見てみたら……案の定。情報量が違いすぎる。クリストファー・ノーランの映画は吹き替えで見よ、という貴重な教訓を得た。
- とはいえ、それでもやっぱりわかりにくい面が残るのは確か。ノーラン映画全般に言えることだが、重要なことはエピソードの形にして念押しするという普通の映画に見られる配慮が足りない。尺が足りないからだろうが、セリフでサラリと説明して終わり。その結果一つのセリフの重要度が上がり、字幕の翻訳の過程で情報を削ってしまうと意味が通じなくなる。
- ノーラン映画のもう一つの特徴は、展開の意外性を重視しすぎるあまり、人物の意図が事前に十分示されないままに話が進むので、観客が、視点を持っている人物と立場を共有して次の一手を考え、その結果に人物と共に一喜一憂するという楽しみがスポイルされていること。別の言い方をすれば、(撮影技術上でなく脚本技術上の)視点という概念について意識が弱い。だから、どうしても人物への感情移入が薄くなる。この作品でもやはりそういう傾向があった。この話の場合、一応主人公のコブの視点で話が進んでいるように見えるが、実のところ、コブの身の上については観客に開示されていない秘密が多すぎるので、彼に感情移入できるような構造になっていない。それならむしろ一貫してアリアドネの視点で話を進めるべきだったろう。彼女には別に隠されるべき秘密がないのだから。
- 渡辺謙の吹き替えを本人がやっているのが面白い。その他はプロパーな声優が演じているが、比較するとやはり渡辺謙の方が上手い。俳優の吹き替えと言えば、『Mr. インクレディブル』の吹き替えも出来が良かった。
『インセプション』(吹き替え版)
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