レンタルBDにて鑑賞。
- NASA選出「現実性の高いSF映画10選」第一位。
- 演出や映像は、低予算ながら落ち着いた雰囲気で上品。音楽もなかなか抒情的にできている。
- あらすじは次の通り。妊娠と出産にあたり、受精卵の選別と遺伝子操作が当然となった近未来が舞台。そこでは、遺伝子診断により人間の将来が高い精度で予測される。若くして病気や障害を持つことになる可能性が高い劣った遺伝子を持つと診断される者は社会的に差別され、下層の職業にしか就けない。主人公のヴィンセントは、選別も遺伝子操作も受けずに自然に生まれた人間で、やはり劣った遺伝子を持つとされた男である。しかし彼は宇宙飛行士になりたいという夢を持っていた。宇宙探査を任務とする企業「ガタカ」に就職するには、しかし優れた遺伝子を持つことが絶対条件であり、どんなに努力して能力を高めても、彼がガタカに就職できる見込みはなかった。
そこで彼は一計を案じ、闇のブローカーと取引して、遺伝子操作により極めて優秀な遺伝子を持って生まれてきたが、事故により下半身不随となった男ジェロームを紹介してもらう。彼に収入の25%を支払い生活の面倒を見る代わり、遺伝子検査に必要な尿や血液のサンプルを提供してもらい、彼に成りすましてガタカに就職しようという目論見だ。果たして入社面接で産業医のレイマー医師に彼の尿サンプルを提供すると、ヴィンセントはあっさりガタカへの就職に成功した。もともと彼は努力家であり、入社してしまえば社内の業務はなんとかこなせた。上司のジョセフ局長からの評価も悪くない。社内では毎日遺伝子検査が行われるが、ジェロームから提供を受けたサンプルを使って難なくごまかしていた。
しかしいよいよ彼が宇宙飛行士に選ばれ、土星の宇宙探査への出発が近づいてきたある日、社内のある幹部が何者かにより殺害される。警察が社内を捜査する過程で、たまたま落ちていたヴィンセントの眉毛が採取され、検出された遺伝子から無実のヴィンセントに殺人の疑いがかかる。といっても、本人は社内でジェロームとして振る舞っているから、差し当たり危険はないはずであったが、警察は社員としてヴィンセントが潜んでいることを疑い、社の内外で抜き打ちの遺伝子検査を繰り返す。ヴィンセントは不安を感じるが、辛くもそれらの検査をすり抜ける。結局、土星への出発前日にジョゼフ局長が犯人とわかり、ヴィンセントへの疑いは晴れる。
ジェロームはヴィンセントに言う。俺は一番になるべくして生まれてきたが、結局そうはなれなかった。下半身不随になったのは、実は事故ではなく自殺を図って失敗したせいだ。ヴィンセントに遺伝子を提供することで、再び夢を取り戻したように思う。冷蔵庫に一生分のサンプルを用意しておいたから、宇宙から戻ったらそれを使うといい。俺は旅に出ようと思う。
打ち上げ当日。ガタカに出社したヴィンセントが、いよいよ土星へと出発するため、宇宙船に乗り込もうとする。ところがその搭乗口で突然、抜き打ちの尿検査が実施される。宇宙では検査はないと思っていたヴィンセントは、ジェロームの尿サンプルを持っていなかった。やむなく自分の尿を提供すると、遺伝子検査の結果は不合格。だが、自らも劣った遺伝子の息子を持つというレイマー医師は、なぜかその結果を合格に書き換え、ヴィンセントを宇宙船に行かせてくれた。ヴィンセントを乗せて、土星へと打ち上げられる宇宙船。その頃ジェロームは、焼却室の中で自殺するのだった。 - 以上が本筋のあらすじで、これにユマ・サーマン演じる女性同僚とのちょっとしたロマンスの筋や、ヴィンセントの、こちらは遺伝子操作を受けて生まれてきた優秀な遺伝子を持つ弟との絡みなどもあり、それらが話のテーゼを補足している(が、後述するように問題がある)。
- さて、このシナリオの評価だが、遺伝子による差別の否定ということそのものは大変意義のあるテーゼで、その心意気は高く買いたいと思う。ただ、この作品のストーリーがそのテーゼを例証するものとして適切だったかというところには、問題がないとは言えない。
おおざっぱに言うと、実際の出来上がりを見る限り、この話は「遺伝子による差別をしないのが正しいと仮定するとどのような行為が正しいことになるか」を論じたものであって(遺伝子検査逃れをするのは正しい、検査に対抗するためのサンプルを提供してやるのも正しい、やたらと検査をするのは正しくない、宇宙船の打ち上げは延期しないのが正しい、などなど)、「遺伝子による差別が正しいかどうか」については論じていない。だから、特典映像などの外部資料などを見る限り、製作者の意図は反対であるらしいにもかかわらず、遺伝子に基づく差別そのものはこの話のテーマになっていないと言わざるを得ない。
あるいは、遺伝子による差別をしないのが正しいと仮定した状況下で好ましい結果が生じたから、遡って遺伝子による差別をしないのが正しいことになるのだという論法かも知れない。しかしそれならば、宇宙船が打ち上げられたところで話は終われず、その後彼が目覚ましい成果を挙げたことを示さなければならないだろう。宇宙船に乗れたことは、検査逃れが成功したことを示すに過ぎない。また、今回たまたまうまくいったというだけでは足りず、そのような結果が蓋然的に生じることも示さなければならない。しかしこの話ではそれらのようなことを示せたとは言えない。
例えば、上のあらすじでは説明しなかったが、ヴィンセントの遺伝子で特に問題視されたらしい点として、心臓疾患のために30歳程度までしか生きられない可能性が高いという設定が出てくる。ところが、どうやらそろそろ30歳が近づいているらしいヴィンセントに心臓疾患の様子はない。しかしこれを遺伝子検査はあてにならないからだと解釈することはできない。検査の精度が高いというのはこの世界の設定であって語り手の方から持ち出した話の前提だから否定することは許されないからである。したがって、ヴィンセントが心臓疾患に罹っていないのはまれな偶然にすぎないと解釈しなければならない。とすると、依然として心臓疾患に罹る可能性の高い遺伝子を持つ人間であっても宇宙飛行士に選んでよいことが示されたとは言えない。
また、これまた上のあらすじでは説明しなかったが、ヴィンセントが子供時代によく弟と海で遠泳の競争をしていつも負けていたが、ある日、がむしゃらに泳いでいたら勝つことができたというエピソードが出てくる。これは、努力が遺伝子に勝ることがあるという主張だろうか。しかし、弟の方が遺伝子が優れているため体力があるというのは設定であって否定が許されないため、これまた勝利は偶然としか解釈できない。
おそらく本来であれば、遺伝子診断は不確実なものだが、それが独り歩きして確実なものと信じられていたという設定にすべきだったのではないだろうか。遺伝子診断の結果が確実だという設定にしてしまうと、それに基づく差別の合理性は動かしがたいものになってしまう。もっとも、社会の最適効率という原則には反してでもチャンスが与えられるべきだという倫理もあり得るが、この話でそういうものが強調された節はない。 - またこの話では、殺人事件に端を発する抜き打ち検査からなんとか逃れようとするというサスペンスが話の中心に来ているのだが、これらは遺伝子差別が誤りだという前提があって初めて同情に値する出来事になる。したがって、遺伝子差別が誤りだということ自体は別途証明しなければならないが、すでに述べたようにそのような証明は見当たらない。結局この話は、その点の証明はなしに、なんとなく正しくないような気がするという観客の先入観に頼って同情を買う話になっている。確かに正しくないような気はするのだが、そこはきちんと証明して欲しかった。
- ところでラストの尿検査だが、レイマー医師が合格にしてくれた理由が説明不足である。いや、観客はなんとか行かせてやるべきだと思ってはいるが、レイマー医師としてはわかっていないはずなのである。思うに、この話の語り手はレイマー医師で、彼はそこまでの一連の出来事について、その時点ですべてを知っていたというプロットにすべきではなかったか。その理屈付けとしては、例えば、彼がヴィンセントの同僚の女性アイリーンの父親だったということにしてもいい。
いずれにせよこの話は、全体を「レイマー医師が尿検査でなぜ合格にしたのか」を説明するものとして構成するのがまとまりがいいと思う。そういう意味では、あまり意義がはっきりしないジェロームの出番は削って、レイマー医師をもう少し前面に押し出すべきだった。
70点/100点満点