ここのところ、日本の著名実況者の一人であるガッチマン氏が『零 濡鴉ノ巫女』シリーズを実況しているほか、英語圏の著名実況者のMarkiplier氏が『FATAL FRAME II CRIMSON BUTTERFLY』(原題:『零 紅い蝶』)の実況を始めるなど、テクモの『零 zero』シリーズの実況が増えてきているように感じる。このお二人は基本的に企業側から許可を得て実況している人たちのようなので、たぶんテクモとしては実況を推進する方針なのだろう。
このシリーズ、幽霊が次々出てくるのをカメラで撃退するという、それだけ聞くと意味不明なゲームである。どういう理由づけなのか知らないが、主人公らが持っているある特定の種類のカメラにはいわば霊力のようなものがあり、それで撮影すると幽霊にダメージを与えられるというゲームシステムのようだ。
幽霊が出てくるということで、一応ホラーゲームに分類されているが、実際実況を見ている限りでは『バイオハザード』の日本版という感じで(ある程度『サイレン』あたりの影響も感じる)、テイストとしては第三者視点型アクションゲームであり、本当の意味でのホラーとは違う。以前書いたように、敵に対する対抗手段が明確に確立されているものはホラーではない。
テクモのゲームということで、女性キャラクターの造形や動き(特に特定箇所の)がウリで、確かにそれ自体はよく出来ている。
一方で、シナリオの方はお世辞にもよく出来ているとは言えない。このシナリオの作者に言いたいことは、意味深なセリフで伏線を張るだけではストーリーにならないし、謎めいた面白さも生まれないということである。
ストーリーテリングでまず第一にやらなければならないことは、主人公(視点人物、ゲームではプレイヤーキャラクター)の行動の動機を観客が共感できるようにきちんと説明することである。このシリーズのシナリオは、伏線を張ることにだけ熱心で、この点が極めて不十分である。この手のゲームにおける個々のステージ(面)は、ドラマ用語で言えば一つのアクト(幕)に相当すると思うが、そもそもアクト(幕)とは次のアクトにおける行動の動機を説明するために存在するのである。そのように次々にアクトが数珠つなぎになって一つのドラマが構成される。ところがこのゲームのシナリオの場合、個々の面で行動がブツ切りになっている。以前も書いたような気がするが、たぶん、日本のゲームの場合、まずステージ設計が先にあって、そこにストーリーをこじつけるからこうなるのだろう。アリストテレス言うところの「場面偏重の筋」(『詩学』1451b)である。
また、ミステリー的な面白さは、単に理解できない情報を観客に提示することで生まれるものではない。なにか観客が知りたいことがあって、その参考になりそうな情報だから興味を惹かれるのである。そういうことが何もないところに単に意味深なセリフを配置しても観客は退屈するばかりである。