『フロム・ダスク・ティル・ドーン』(1996)


 dTV(先日「dビデオ」から改称した)にて鑑賞。

  • FBIから強盗殺人犯として指名手配され逃亡中のある兄弟が、途中のモーテルで出会った元牧師の一家を脅し、一家のキャンピングカーに隠れてメキシコへ密入国しようと目論む。紆余曲折の末、彼らはメキシコへの入国に成功し、メキシコでの逃亡生活の面倒を見てくれる仲間と待ち合わせているあるストリップバーへ到着する。ところがそこは吸血鬼たちが人間の生き血を啜るために作ったワナだった。吸血鬼たちに襲われ倒れていく人間たち。吸血鬼に噛みつかれた人間は吸血鬼となって復活する。吸血鬼はいくら殺してもしばらくすると復活してくるが、心臓を杭などで打ち抜くと炎を上げて消滅する。さらに、店の外にはコウモリ人間が大勢いて彼らも人間を襲おうとする。吸血鬼もコウモリも、十字架と日の光が弱点だ。果たして主人公らは朝まで生き延びることができるのか。
  • タランティーノが脚本を書いたことで知られる作品。話の前半まで準主役で出演もしている。監督はタランティーノの弟子?でB級映画監督のロバート・ロドリゲス。メキシコへの逃亡を描いた前半はいつものタランティーノ節でまずまずの出来なのだが、後半、スプラッターものに急展開するところからC級映画としか言いようがない品質になる。
  • 特に出来の悪いスプラッター冒頭のシークエンスについて言うと、致命的だったのは、ここは店員たちが吸血鬼だったということを観客に明かす部分のはずなのに、ただ怪物みたいな姿に変身して人間を殺すだけであまり血を吸っているように見えないし、殺されても甦って来るので、吸血鬼というよりゾンビかなにかみたいに見えたことである。ゾンビも吸血鬼も似たようなものではないかと思うかもしれないが、ここでほかならぬ吸血鬼であるということがわからないと、そもそもなぜ踊り子がここで急にリッチーを襲おうとしたのか(答: リッチーの手から流れる血を見て我慢できなくなったから)、その直後に店員たちがなぜ一斉にほかの客まで襲いだしたのか(答: もともとこの店は吸血鬼の店員たちが人間の血を吸うために作った店だから)、なぜケイトが十字架を押し付けて対抗したのか(答: 吸血鬼は十字架が苦手だから)、なぜフロストが店員たちを机の脚を使って串刺しにしたのか(答: 吸血鬼は心臓に杭を打ち込むと死ぬから)といった様々な人物の行動の意図が理解できなくなるのである。そして実際ほとんどの初見の観客はそれらが理解できず、兄弟と争っていたはずの店員たちがなぜか急に客たちを襲い始めたと思ったら登場人物たちが意味不明な行動を取り続けるシーンが延々続く、というように見えたはずである。吸血鬼であることをぎりぎりまで隠しておきたかったのだろうが、前フリ不足である。
     逆に言うと、この映画には吸血鬼が出てくるという予備知識を持って観た観客や、2度目以降の観客にとってなら、いくらか評価が変わってくるかもしれない。世の中にはネタバレされてから見た方がいい映画もあるということか。
  • こういう作品をたまに見ると、あれこれ難点はありつつも普段観ていた映画がそれなりによく出来ていたんだということが認識できる。それがこういうC級映画の存在意義だろう。

20点/100点満点