『24 -Twenty Four- (Season 1)』(2001-2002・TVドラマ)

 dTVにて鑑賞。

  • アメリカ民主党の大統領候補予備選挙の当日、深夜0時からの24時間を、リアルタイムで描くという体裁のTVドラマシリーズ。1話につき劇中の時間で1時間進む(CM部分等があるので正味の尺は40分強)。もともと13回シリーズの企画だったのを好評につき24回に延長したそうで、話の中身は13話までの前半とそれから後の後半で分断されている感じ。というより、前半部分でいったん終わった話を後半で再度繰り返しているように見える。
  • プロットは、主として3つの筋が同時進行で進む形で、前半部分の内容を中心に紹介すると次のようになる。
    1. アメリカのテロ対策政府組織CTUは、この日行われる民主党の大統領予備選挙の有力候補者デイビッド・パーマー上院議員が本日暗殺されようとしているという情報を掴み、テロリストの関係を中心に捜査を始める。一方で、CTUの主任捜査官であるジャック・バウワーは、CTUの局長ウォルシュから、CTU内部にこの件の内通者がいるらしいからそれが誰か突き止めて逮捕しろという極秘命令を受ける。果たしてジャックは内通者とテロリストを逮捕することができるのか。
    2. ジャックの娘キンバリー(キム)は深夜、友人のジャネットとともにこっそり家を抜け出し、男子たちとの合コンに行く。それに気づいた妻のテリーはジャネットの父とともにその行方を捜す。しかしそれらは罠だった。結局キムとテリーはテロリストの人質になってしまう。その狙いはジャックを脅してパーマー候補を暗殺させるためだった。果たしてジャックは、パーマーを守りつつ、かつ家族も取り返すことができるのか。
    3. デイビッド・パーマーの息子キースは、7年前に姉のニコールをレイプしようとした男を窓から突き落として死亡させたことがあったが、母のシェリーが方々に手を回した結果、それは事故死として処理され、真相はデイビッドに知らされなかった。ところがここにきて、著名ジャーナリストのモーリーンがこの疑惑を嗅ぎ付け、大統領予備選が行われるこの日の朝のニュースで報道するという情報が入る。キースのしたことは、正当防衛ないし過剰防衛が認められる可能性があるし、デイビッド自身は知らなかったことではあったが、これが報じられれば優勢だった選挙情勢が一気に逆転する恐れもある。デイビッドは、妻が事件を隠ぺいしたことに怒るとともに、選挙への影響を最小限に食い止めるため、報道より前に自ら事件を公表し謝罪しようとする。しかし妻シェリーはそれに反対し、有力な選挙支援者たちに依頼してモーリーンに圧力を掛け、また事件の証人を殺し証拠を隠滅して、報道を止めさせることに成功する。だがキース本人はこのやり方をよしとせず、すべてを認めて自首しようとし、デイビッドもそれを支持してこの件を公表しようとするが、シェリーと選挙支援者たちはそれを止めさせようとする。果たして事件は闇に葬られるのか。そしてパーマーは選挙に勝利できるのか。
  • 昔だいぶ話題になったシリーズなので観てみたが、期待したほど面白くないというのが正直な感想である。上述のあらすじで、「果たして~」の形式で表したものが、それぞれの筋の表面的な意味でのテーマということになるが(相反する可能性が示されることでテーマ=謎が提示される)、この意味でのテーマに観客がどの程度関心を持つことができるかでドラマの大体の面白さが決まる。そして、第2の筋のテーマにはそれなりに関心を惹かれるように作ってあるが、第1第3についてはそうでもない。観客からすれば赤の他人である登場人物の身の上に起こることに関心を持たせるには、同じ状況に置かれれば観客の身にも同じことが起こりそうであり、かつ結果が重要であることを示す必要があり、そのためには多くの場合、事件の被害者がいかにもっともな行為をした結果被害を受けたか、そしてそれがいかにあり得ることであるかを示すことが必要である。第2の筋では、被害者である2人がどのようにして誘拐されたか、そしてどのような危険に晒されているかが比較的丁寧に描写されているのに対し、第1第3の筋ではそもそも被害の内容からして曖昧である。内通者がいたら、あるいは事件が闇に葬られたら具体的に誰がどう困るのか、よくわからないままに話が進む。内通者がいたところで犯人の具体的目星もついていない状態では特に害はなさそうではないか? デイビッド自身が殺したわけでも隠したわけでもないのだから大統領にふさわしいかとは本来無関係な話で、事件が明らかになろうがなるまいがどちらでもいいのではないか?
  • シリーズ前半は、情報を隠そう隠そうとして失敗した感があり、どうも退屈なシーンが多かった。後半はそこが改善され、示すべきことは示す方針に転換したようで、その分見ていて退屈しなくなった。例えばシリーズ後半、テリーを捕り逃したテロリストたちが、どこを探しても見つからなくて困った挙句、待ち伏せしてやろうと彼女の自宅へ向かうのだが、一方、記憶喪失になりそこまでの記憶をなくしたテリーが、馴染みの医師に自宅に送ってもらう、という下りがある。もしシリーズ前半のセンスで脚本家がこの下りを書いたとするなら、「テロリストたちがテリーを待ち伏せしようと自宅へ向かう」部分は省略して観客に隠しておいて、何も知らずにテリーが自宅について腰を落ち着けたところで突然テロリストに襲われるというプロットになっただろう。だがこれではよくない。サスペンスが成立しないからという言い方もできなくもないが、それよりも、これではテリーが自宅でテロリストに襲われたのはノコノコ自宅に戻ってきたからだという因果関係が表現されないからである。
  • しかしそういう細かい点もさることながら、一番根本的な問題は、この物語に実質的な意味でのテーマがないことのように思われる。ここでいう実質的テーマとは、現実世界に通用するような疑問、ないしはそれに対する答えのことである。実質的テーマを持たない作品は、観客にしてみれば、最後まで見たら何か常日頃知りたいと思っていたことへの答えが得られそうだという期待が持てないし、実際話が結末を迎えても何かしら意義あるものを得たという実感がない。ドラマにこういう意味でのテーマは必要ないという人もいるが、それでは子供だましの話になってしまう。それが通用するのは、対象年齢層の低いマンガ業界くらいのものである。観客の年齢が上がれば上がるほど、得るところのない話を観るのが馬鹿馬鹿しくなる。昔から言われる名作の条件「おもしろくてためになる」の2つの要素はやはり両方とも必要なのである。この作品には、というかアメリカのTVドラマは大抵そうなのだが、「ためになる」の要素が薄い。