『ひぐらしのなく頃に』再訪(2) 真相の設定まとめ【ネタバレ】

 シリーズ最大の謎であるオヤシロさまの呪いの真相を簡単にまとめると次のようになる。完全なるネタバレであり、先に読んでしまうと著しく興をそぐ恐れが高いので、未プレイの方は決して読まないことをお勧めする。本作の謎の不思議さには類まれなるものがあり、それを味わえないのは大変な損失である。

(雛見沢症候群)
 雛見沢には古来より雛見沢症候群と呼ばれる感染性の土着病があり、雛見沢の住人はほぼ全員がこれに感染している。しかしこの病気の病原体の検出には技術的に難しい面があり、当の住民自身を含め、この病気の存在は一般に知られていなかった。この病気は、感染してもはじめ症状がないが、患者が強いストレス(特に、仲間内での疑心暗鬼や、少年期における家庭環境の問題によるもの)にさらされると劇症化し、猜疑心が強まったり幻覚を見たり攻撃性が強まったりといった精神病の症状を生じる。その結果、周囲の人間に危害を与えたり自殺したりといった事態に至ることもある。
 鷹野はその軍事利用をもくろむ秘密組織に属し、入江はその下で当地において表向き診療所を開設してそこで秘密裏に雛見沢症候群を研究している精神外科の研究者である。また、富竹はそれを支援する自衛隊の連絡将校である。

(一年目の事件)
 昭和50年ごろ、雛見沢にダムの建設計画が持ち上がり、雛見沢全体がダムの底に沈むことが見込まれたため、地元住民の間で激しい反対運動が起こった。数年に及ぶ戦いの末、秘密組織からの政治的圧力などもあって結局建設計画は撤回されたが、その反対運動の末期の昭和54年に、雛見沢に設置されていたダム建設準備事務所の所員が、雛見沢症候群に感染したうえ、激しい反対運動にさらされたストレスで劇症化し、所長を殴り殺すという事件が発生する。この所員は、事件直後に鷹野とその部下らによって秘密裏に診療所に連れ去られて研究材料とされたため、部外者からは失踪したように見えた。この事件の真相は、雛見沢症候群の存在自体が世に知られていない以上、もちろん警察にも地元住民にもわからなかったが、事件が地元の守り神とされている「オヤシロさま」の綿流しの祭りの晩に起こったため、迷信深い地元民の一部は、古来より雛見沢に伝わる伝承の教える「オヤシロさまの祟り」と「鬼隠し」によるものではないかと噂した。

(二年目の事件)
 ダムの建設推進派だったために村内で肩身の狭かった北条一家は、綿流しの祭の日に村にいることを避け家族旅行に出かけるが、もともと雛見沢症候群の症状の重かった佐都子が、そこで両親を崖から突き落としてしまう。このときの父親は義父で、佐都子との関係がうまくいっていなかったことがこの「事故」の背景にあった。
 入江の尽力により、佐都子については、拉致されて研究材料とされること、また自傷行為に及ぶほどに発狂することからは免れた。この前から、入江は、特に重要な感染者と考えられていた梨花を対象とした研究を開始しており、その成果としてできた治療薬が佐都子の致命的な悪化を防いだ面がある。
 両親がいなくなった結果、佐都子と悟史は叔母夫婦に預けられることになった。

(三年目の事件)
 症候群の研究に梨花を協力させることに反対し始めた母親が邪魔になったため、鷹野指揮下の特殊部隊が両親まとめて毒殺したというもの。ずいぶんと単純な真相であり、症候群の劇症化が原因でないという点で異例である。この年以降、事件が綿流しの日に起こる理由は、オヤシロ様の祟りの伝承を利用した隠蔽を目的としたものとなっていく。つまり、1年目と2年目の事件が綿流しの日に起こったのはほぼ偶然で、それ以降はそれを利用しようという意図に基づく人為的なものである。
 雛見沢症候群の研究を進めるための研究材料として、より多くの劇症感染者を必要としていた鷹野は、この頃から、一部の住民の噂を利用し、綿流しの晩にオヤシロさまの祟りがあると言いふらして住民にストレスを与え劇症化させることを画策していたのではないかと思われる。

(四年目の事件)
 佐都子と悟史は引き取られた叔母夫婦とうまくいかず、二人の症状は次第に悪化する。劇症化した悟史は、叔母を殺したうえ、綿流しの晩の噂を利用してそれを隠蔽しようとするが、かねてより悟史を診察していた入江と鷹野らに結局連れ去られて失踪する。悟史は劇症化したとは言うものの、事件の隠蔽を考える程度には正気を保っており、いくらか症状が軽かったようである。とはいえ、佐都子に効いた治療薬も悟史には効かず、これ以降診療所で昏睡のまま秘密の長期入院を余儀なくされる。叔父は祟りを恐れて村を逃げ出し、村長が後見人となって佐都子は梨花と共に暮らすことになった。

(五年目の事件)
 以上の設定を前提として本編で語られる五年目の事件が起こっている。五年目の事件には、過去4年(正確には3年)続いた雛見沢症候群患者による事件と、それとは別の、発狂した鷹野による滅菌作戦の二つの筋がある。
 前者の内容はループによって内容が違うが、とにかくこの年も例年通り雛見沢症候群の劇症発症者が出て身近な人間を殺してしまうという内容である。トリッキーなことに、この年だけはこの種の事件が綿流しの晩から基本的に数日遅れて起こっている。この年、可能性としては雛見沢を一時離れた引け目を感じていたレナが綿流しの晩に発症することもあり得たが、魅音ら仲間たちの尽力でストレスが軽減され発症を免れたということだと思われる。圭一や詩音、また罪滅し編のレナの発症は、発症までの経緯が違うので、綿流しの日ピッタリにはならなかったわけである(これらの発症には、大石が現われて園崎家陰謀説を吹き込むことが関連している)。一方、祟殺し編における圭一による殺人は、祟りとの混同による隠蔽を図ったので、4年目と同様に綿流しの晩になった。なおこの年は、すでに研究が概ね完成したことと、滅菌作戦の実行との兼ね合いからか、劇症化した患者が鷹野らに連れ去られない場合もあるようである。
 その代わりに綿流しの晩に起こったのが、鷹野と富竹の仲間割れから生じた富竹殺害事件である。この年、雛見沢症候群の研究が打ち切られることになり、鷹野は半ば発狂した。そのために鷹野は政府に「滅菌作戦」を実行させようと考えるようになった。滅菌作戦とは、雛見沢症候群の「女王感染者」である梨花が死亡することがあると、雛見沢の住人たちがそれをきっかけに一斉に劇症化して暴れまわり、日本社会を大混乱に追い込む可能性が高いという説に基づいて、それを防ぐために雛見沢の住人を全員毒ガスで殺害するという作戦である。この年の綿流しの日の数週間後、鷹野は梨花を殺害することにより、自衛隊にこの作戦の実行を強いるつもりで計画を進めており、いくつかのループではそれが成功して実際に実行された。ただし、この鷹野の女王感染者説は結果的には誤りで、それが露見したループでは実行されないこともあった。
 ともあれ、滅菌作戦の実行に反対していた富竹はこの晩、鷹野に雛見沢症候群の病原体を注射され、精神に異常をきたして自殺に追い込まれた。綿流しの晩に実行されたのは祟りの噂を利用した隠蔽のためである。鬼隠しの伝承と帳尻を合わせるため、この事件のあと鷹野は身を隠した。

 本来綿流しの晩に起こるべき事件を五年目にかぎって数日遅らせ、その代わりに綿流しの晩に無関係な事件を突っ込むというミスリードは、やりすぎといえばやりすぎだが、周到な構成である。このミスリードのせいで、読者はまるで倒叙もののように4年間続いた事件の5年目そのものを目撃しているにも関わらず、そのことに気づかない。何か別の事件が起こっているように見える。さらに言うなら、第一話である鬼隠し編の展開はあまりに自然すぎて、圭一が劇症化していなくても発生し得る内容であったことも紛らわしかった。
 また、通常の推理小説ではトリックスター的役割を担う刑事役たる大石が、本作ではかなりの賢さを見せているため、レッドヘリングに過ぎない園崎陰謀説にかなりの説得力が出た。
 それはともかく、本編の後半は、この5年目の事件と滅菌作戦をいかに防ぐかをめぐって展開する。

2018.8追記: この記事は比較的来訪者が多いので、このブログのひぐらしネタをカテゴリにまとめました。聖地巡礼などもあります。古い記事では現在の私の立場と違う記述もあります。

2018.9蛇足:

  1. 上の説明では滅菌作戦が実行されなかったのがどの話なのか特定しませんでしたが、綿流し編とその裏返しの目明し編で実行されなかったことは特に問題ありません。問題は鬼隠し編で、鬼隠し編の結末では、梨花が死んだり、滅菌作戦が実行されたりという描写がなく、圭一の事件の捜査が通常通り進められたような表現になっていました。しかし、のちに皆殺し編の中でやっぱりこのときも梨花が死んでいて滅菌作戦も実行されたようにストーリーが修正されました。このことは、他の記事でも少し触れたように、鬼隠し編執筆時点では滅菌作戦の構想がなかったということの傍証と考えることもできます。しかしその場合、富竹はなぜ死んだのかが宙に浮いてしまいます。滅菌作戦とは全然別の理由で鷹野と対立して殺されたと考えることもできますが、元の話と離れすぎるので、あくまで私見ですが、滅菌作戦の構想そのものはあったが、当初の設定では、鷹野が女王感染者だと思いこんでいたのは梨花でなく魅音だったと考えてみてはどうでしょうか。
  2. 梨花がネコ言葉で話すのは、雛見沢症候群のモデルがネコのフンから感染するトキソプラズマで、梨花こそが雛見沢ウイルスの根源的な感染源だからと考えられます。ただし、鷹野の言う女王感染者であるかは別の問題です。
  3. 鬼隠し編で圭一が発症したのは、女王感染者から離れて東京の葬儀に出席したからだという説もありますが、私は上述のように女王感染者説は誤りという立場で、圭一の発症はあくまで大石との接触によるものと説明しています。この「上京原因説」は皆殺し編で梨花が説明している説なので、軽視はできないのですが、しかしこれは女王感染者説を信じている入江から聞いた話をもとにした梨花の考えに過ぎないので必ずしも信頼できず、またこう解さないと、滅菌作戦が実行されないことがある点の説明がつかなくなります。これらの点は、祭囃し編の作者のあとがき(スタッフルーム)で匂わされていることです。鬼隠し編冒頭なども確かに思わせぶりなのですが、これは作者のブラフと解釈することになります。
  4. 鬼隠し編で大石との接触後に圭一が仮病で入江診療所に行った際、入江から劇症化のための注射か何かをされたのかどうかというのも興味深い論点ですが、そもそも研究の中止が既に決まり滅菌作戦直前の時期である上に、入江自身は鷹野ほど危険思想の持ち主というわけでもないので、単なる感染者ならほかにいくらでもいる中でここで敢えて劇症化患者を作り出す動機がなさそうですし、以上を前提とする限り、大石に会ったあとなので既に劇症化しているわけですから、ここでそれを入江に悟られたために終盤で入江らがやって来る原因となっただけで、劇症化そのものの原因となるような何かをされたわけではないものと思われます。
  5. 以前はここで、2年目以降の事件は、鷹野が流したオヤシロ様の祟りの噂のために出た劇症化患者によるものとする解釈で説明していたこともありますが、祭囃し編の内容を前提とするとやはり無理があるため、今の説明に書き替えました。作者の意図としては、むしろそのような役はオヤシロ様の使いこと大石に担わせるということだろうと思われますので、上の説明もその立場に沿ってしてあります。
    しかし個人的には、未だに、祭囃し編で作者が示した真相よりも、以前の解釈に立つ真相の方がこのシリーズらしいと思っています。特殊部隊を滅菌作戦以外に持ち出すのはあまり都合がよすぎる感がありますし、園崎陰謀説ないし村ぐるみ説は確かに大石が吹き込むのですが、より重要なオヤシロ様の祟りは鷹野が吹き込んでいるのに、後者が無視されてしまうのも違和感があります。

(2020.10追記)

  • この話のテーマは何か? テーマという言葉の意味が定まっていないので難しいところもあるのですが、現実世界に通ずる意義という意味にとるならば、やはり、精神面に異常をきたしている人から世界がどのように見えているか、それを自然に見える形で描写したという点ではないでしょうか。他者の理解を促進する物語には、常に大きな意義があります。
  • 御承知の通り、作者自身の説明しているテーマ(「許される殺人はありえるのか」)はこれとは別にあるわけですが、その点については、明確に答えが出たように見えないうらみがあります。作者自身の答えはもちろん明確ですけれど、読者の立場でその答えに十分納得できたかというと……。もっとも、作品の内容が社会的に問題視されたりして、予防線の意味もあったのかもしれません。ただ、昨今の社会情勢に照らしても、この問い自体は重要なことです。作者は地方公務員の経歴があるとのことで、おそらく社会福祉関係の業務経験もあるのではないかと思われます。

(2021.03追記)

  • 1年目と2年目の発症が綿流しの祭りの晩だったのはほぼ偶然と説明しましたが、特に1年目についてはかなり偶然の度合が強いです。ただ、反対運動とオヤシロさまにはある程度の関係があったわけですから、その日にストレスが高まったということはありそうです。とはいえ、それが決め手になるほどの関係かというと少々疑問もあります。オヤシロさまの祟りが以前から強く信じられていたのであればその日の祟りを恐れたということで説明がつきますが、2年目くらいまではそれはないでしょう。