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ひぐらしのなく頃に 業

 『ひぐらしのなく頃に』のアニメ第二期の放映が始まっているようだが、てっきり今回は解決編をやるのかと思ったらそうではなく、初めからやり直している風である。といっても放送は見ていないので、公式サイトのあらすじを読んだだけなのだが。鬼騙し編という名前だが、これはどう見ても鬼隠し編……と思わせて分岐するのだろうか? 謎解き編がきちんと書かれたのは綿流し編に対する目明し編だけだったので、もし鬼騙し編が新たに書かれた鬼隠し編の謎解き編だったりしたら面白い。
 鬼隠し編といえば、鷹野の登場が異常に早いことでも有名だが、鬼騙し編ではどうなったのかちょっと見てみたい気もする。

 いずれにせよ、真相まとめ記事へのアクセスが増えているのだが、こんな序盤からあれを読んでしまったら台無しである。文字を大きくしておいたが……

ひぐらし近況

 最近ひぐらし関係のページ(特に真相を説明したもの)のアクセス数が徐々に伸びてきている。
 ひぐらしについては最近新展開があるようで、アニメの第2期分が制作され7月から放送される。また、それにあわせて旧シリーズの再放送が始まっているとのこと。直接にはこの影響と思われる。もし結末まで見ていないうちにあのページを読んでしまったなら、気の毒なことである。
 また、Steam版がついに祭囃し編に到達。それに合わせて第一章の鬼隠し編が無料公開された。
 果たして新しい世代による第二次ブームがやって来るのか? あいにくこういう社会情勢だが、落ち着いたら白川郷のインバウンド人気はますます過熱するかも知れぬ。
 それにしても、巡礼に行ったときにも疑問だったが、果たして地元ではこの作品についてどう思っているのだろうか。物語の内容からすると、諸手を挙げて聖地としてプロモーションするというのもなかなかなさそうではあるが、確か白川の観光協会などに行っても関連するものは何も置いてなかったと思う。

白川郷巡礼

 『ひぐらしのなく頃に』に出てくる雛見沢村のモデルで、背景映像の一部も撮影された白川郷に行ってきた。
 前々から行ってみたいと思ってはいたのだが、なにぶん東京からだいぶ離れているので躊躇していた。しかし実際行ってみると想像したほどには遠くなかった。自動車で直行すれば片道5時間くらい。近くはないけど1泊すれば余裕、頑張れば日帰りもできなくはない距離である。松本と高山を結ぶ国道158号が長野オリンピックがらみでよく整備されたのが大きい。また2002年には白川郷に東海北陸道の白川郷ICが開通し、高山からのアクセスも便利になっている。本編で何度か圭一の両親が車で長時間かけて東京に行っていたが、その頃と比べたらかなり所要時間が短縮されているはずである。
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 いまや白川郷は泣く子も黙る世界遺産指定地。正真正銘の観光地である(世界遺産が本当は観光地を指定する制度ではないのはわかっているが、事実上そうなっているわけである)。バッチリ整備された有料駐車場に次々押し寄せる観光バスから吐き出される観光客らが辺りを歩き回り、白川郷の中は平日にも関わらず人通りが多かった。雛見沢の寒村のイメージとはほど遠い。外国人観光客も多く(中国系が多いが欧米系もちらほら見かけた)、白川症候群なんてものがあったらあっという間に世界中に感染が広まるに違いない。
 現地でひぐらしファンと思しき人間を見かけることはなかったが、オヤシロさまこと古手神社のモデルとなった白川八幡神社はこの通り。
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 初リリースから10年経つのに大した盛り上がりであるが、先ごろ原作者同伴で巡礼ツアーがあったとの話も聞くので、その関係もあったのかも知れない。
 ただ絵が描いてあるのが全部ひぐらし関係といっていいのかどうかはよくわからないところがある。まあ素人が描いた絵だから必ずしもうまく描けているとは限らないからということもあるが、ひぐらしシリーズは原作の竜騎士07の絵が個性的すぎることもあって、アニメ版やマンガ版、コンシューマゲーム版やSteam版などバージョンごとにキャラクターの絵がバラバラであり、原作をプレイしただけではどのキャラクターなのか判別しがたい顔もあるのである。
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 現地でほかに意外だったのはこの圭一の家のモデル。実際には家ではなく白川村の下水処理施設である。屋根が切妻風になっているものの実態はRC造りの公共建築で、いくら新築で大きめの家が白川に乏しいとはいえ、これを圭一の家にするというのは、現地を見たあとだとかなりの力技に感じる。本当にここに住んでいたら確かに御殿と呼ばれても仕方ない。

 今回本格的にスマホのF-02Gで撮影してみたが、ポケットに入れておくといつの間にかレンズが汚れ、ソフトフォーカスがかかったようになってしまうのには閉口した。上2枚も若干その傾向があるが、これでもましな方である。

2018.08追記:
 その後白川郷を再訪。再度撮影してきた写真がこれ。

 作品のタイトルスクリーンをよく見たらこの位置の方がオリジナルに近い。この記事の最初に掲げたほうの写真を撮った天守閣展望台は位置も高いし土産物屋などもあり、白川郷の展望台としてメジャーかと思うのだが、今回のこの写真はそこから少し下ったところにある荻町城跡展望台の、それも少し奥まったところにある展望ポイントから撮影したものである。10年以上経つというのに、画面上に見えているマツの様子があまり変わらないのが嬉しいところ。
 聖地巡礼の際は、天守閣展望台だけでなく荻町城跡展望台を訪れるのを忘れないようにしたい。

ひぐらし再訪(3) 劇中世界における幻想的設定の実在性

 『ひぐらし』第一話のお疲れさま会で、祟りによるものとしか思えない事件が過去にいくつも起こっていたにも関わらず、ほとんどの読者(テストプレイヤー)が劇中世界における祟りの実在を信じていなかったと報告されていたが、これはもっと祟りの実在を支持する読者が多いことを予想していた作者の竜騎士07氏にとっては深刻な問題であったはずである。一体どうしてこう解釈されたのだろうか。なお、もちろんこの問題は地の文で祟りの実在が直接描写されていないことが前提の話である。
 祟りは現実世界に実在しないからというのではもちろん答えとして十分ではない、だって劇中世界はフィクションなのだから祟りが実在したっていいはずではないか。氏はその後この点についての結論として、『うみねこ』の中で「登場人物の中に一人でも疑っている人間がいる限り、その物語世界内に幻想的な事実が実在するとは解釈されない」という説を(登場人物たちの口を通して)披露した。この説は『うみねこ』シリーズのプロットの中心的構成原理として使われている。だがこの説は本当だろうか。怪談ものなどで、幽霊の存在を信じない「愚かな人間」が不審な死を遂げるといった話はいかにもありそうではないか。疑っている人間がいるだけでは幻想的設定が否定されることにはならないのではないか。
 これはやはり、祟りが実在したという結論になったとしたときに読者がそれに納得できるか、そういう状態にあるかどうかが大事なのではないか。第一話の場合、すべてを祟りで説明しようとしても説明しきれないところが残ってしまう。例えば鬼隠しについての詳しい説明はこの時点では出てきていないから、失踪が説明できない。富竹が殺されたとき人間に囲まれていたという件もそうだ。また、二人が圭一を襲ったときの手段が注射器であったというのも祟りよりも科学的な手段を暗示する。
 「登場人物の中に一人でも疑っている人間がいる限り、その物語世界内に幻想的な事実が実在するとは解釈されない」というのは、幻想的実在を肯定しようとすると無理が生じる状況では、その結果として登場人物の方にも納得できない人間が出てくるということに過ぎないのではないか。

『ひぐらしのなく頃に』再訪(2) 真相の設定まとめ【ネタバレ】

 シリーズ最大の謎であるオヤシロさまの呪いの真相を簡単にまとめると次のようになる。完全なるネタバレであり、先に読んでしまうと著しく興をそぐ恐れが高いので、未プレイの方は決して読まないことをお勧めする。本作の謎の不思議さには類まれなるものがあり、それを味わえないのは大変な損失である。

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ひぐらし再訪【ネタバレ】

 ここのところ『ひぐらしのなく頃に』を復習している。

 振り返ってみると、シリーズ前半の出題編3話で起こった事件は、大半が本筋である鷹野の陰謀とほとんど無関係であった。鬼隠し編で圭一が魅音とレナを殺してしまうこと、綿流し編で魅音が佐都子や梨花や詩音を殺してしまうこと、祟殺し編で圭一が鉄平を殺してしまうことは、いずれも鷹野らが計画したことではなく、また鷹野らの陰謀がなければ起こらなかったとも必ずしも言い難いものであり(過去4年間綿流しの日にストレスから雛見沢症候群の重症者が発生して殺人を犯したり自殺すること自体は鷹野らにかかわらず自然に起こっていた、また祭具殿への侵入は鷹野の個人的興味により陰謀がなくても行われ得る、との解釈を前提とした場合。ただ5年目の殺人と失踪だけは鷹野の陰謀と若干の因果関係を認めざるを得ない)、鷹野からみて偶然に近い。これらは精々、雛見沢症候群という共通の原因を持っているという程度の関係にしかない。
 共通の原因をもっている以上不自然な偶然とは扱わないというのがドラマの世界のお約束である。ミステリーはこのルールに大きく依存している。だからこれらの後に鷹野の陰謀が出てくることは一応不自然ではないものと扱うことになる。連続失踪の方は鷹野の陰謀の結果でもあったし。しかし描写されるものという観点から見た場合、シリーズ前半で描写されるのは主に雛見沢症候群の危険性であって、鷹野の陰謀の危険性ではないということになる。これは本筋から外れているのではないか。読者をミスリードするという方向に偏り過ぎているようにも思われる。推理小説はこういうものなのだろうか。
 実は、鷹野の陰謀という要素は比較的後になってから追加されたのではないかとする説がある。もしシリーズから鷹野の陰謀という要素を除去し、入江あたりが雛見沢症候群が真の問題だと突き止めてめでたしめでたしで終わるような話にシリーズを書き換えたとすると、上で述べたような問題は大幅に軽減される。ひょっとすると、元々の構想はそのようなものだったのかも知れない。

 またダム建設計画が雛見沢に持ち上がったことは読者や圭一をミスリードする上で重要な役割を果たしたが、これは雛見沢症候群とは共通する原因すらない純然たる偶然である。ドラマにおいて純然たる偶然を完全に排除することはできないが、偶然が増えれば増えるほど実現確率が下がり、描写の強さが弱まる。鬼隠し話で言えば、雛見沢症候群が危険だといっても、圭一の殺人はダム建設計画という偶然がなければ起こらなかったということになるから、雛見沢症候群が危険だという描写を弱める方向に働く。もっとも、偶然だったということは最後まで読まないとわからないから、読んでいる途中にはあまりそう感じさせない構成ではあるが。

 ドラマの主題とは結局その中で起こる出来事の共通原因のことなのだろうか。そうであるような気がしたこともあるし、そうでないような気がしたこともある。
 とにかくこの主題というのは作劇における呪いのような概念である。

『ひぐらしのなく頃に』のページ数

 『ひぐらしのなく頃に』は、プレイしているときからずいぶん長い話だなあと思っていたが、小説などと違ってページ数という概念がない(正確に言えば一応ないこともないけど)ので、実際どの程度の分量なのかよくわからなかった。かかった時間で言えば相当なものだが、チマチマクリックしたりエフェクトを待ったりしながら読んでいくので、ふつうの小説に比べると文章を読む速度が遅くなっていたと思われるから、時間で計るのも正確ではない。
 ところがこのたび同作のテキスト部分をテキストファイルとして抜き出すことに成功したので、文字数や行数を正確に数えることが可能になった。その結果は次の通りである。いずれも本文部分だけでTIPSやお疲れさま会部分は含んでいない。空行やNScripterのスクリプト部分も除外してある。1ページの文字数はあるライトノベルの文庫本の値、42文字×16行で計算した。文字数はUnicodeの文字数である。

  1. 鬼隠し編 227857字 9047行 566ページ
  2. 綿流し編 314013字 11764行 736ページ
  3. 祟殺し編 324306字 12222行 764ページ
  4. 暇潰し編 133483字 4931行 309ページ
  5. 目明し編 316695字 11885行 743ページ
  6. 罪滅し編 343937字 12631行 790ページ
  7. 皆殺し編 406577字 14513行 908ページ
  8. 祭囃し編 (不明)
  9. 賽殺し編 91942字 3360行 211ページ

 祭囃し編は、カケラ集めがある関係でうまく抽出できなかった。
 大体文庫本1冊は300~400ページ前後が多いため、各編は概ね文庫本上下二巻程度の分量、ただし真相が明かされる皆殺し編は上中下3巻相当、暇潰し編と賽殺し編は1冊相当程度という結果になった。祭囃し編も2冊程度と仮定すると、なんと全17巻の大長編ということになる。実はこの作品にはノベライゼーションも出ていて、それがまさに17巻構成である。
 同人ゲームとしてはこれだけの字数の文章を書いたというだけでも大したものである。完成させるためにはさらにプログラミングも必要なのだから、片手間で作れる作業量ではない。

『レベッカ』(1940)

 dTVにて鑑賞。

  • ヒッチコックが渡米後に撮った第一作。ヒッチコック作品唯一のアカデミー作品賞受賞作。ちなみに有名な話だが、ヒッチコックは監督賞は一度も取っていない。
  • dTVで見られるヒッチコック作品ということで(よそでも見られる著作権切れ作品が中心なので、ヒッチコック作品目当てでdTVに加入するのはお勧めしない)、何の気なしに鑑賞してみてびっくり。こりゃまず間違いなく『うみねこのなく頃に』の元ネタの一つだ。なにしろ洋館だの壁に掛けられた肖像画だのベアトリーチェ(英語映画なので劇中での発音は「ベアトリス」)だの、見覚えのあるモチーフがゾロゾロ出てくるのもそうだが、なんといっても「愛情のもつれの末に使用人が洋館に火を放って自殺する」という結末が『うみねこ』そっくりである。『うみねこ』でヤスが島を爆破した動機は十分に描かれず、世間でもそれが度々批判されていたが、この『レベッカ』を見てほんの少し理解に近づいたような気がする。
  • この作品そのものの出来はあまりよくないというか、ミステリーでもサスペンスでもないので、ヒッチコックらしい作品を期待してみると肩すかしを食わされる。ただ、『めまい』あたりの原型のような話でもあり、そういう意味ではヒッチコックらしさがないとも言い切れない。ともかく、話のはじめの方ではっきりとしたテーマ・問題が提示され、それについてストーリーが進んでいくという構成の話ではない。いったい何に興味を持てばいいのかよくわからないままに話が進む。その意味で少なくとも筆者好みのシナリオではない。

50点/100点満点

Higurashi When They Cry Hou

 何気なくSteamを眺めていたら、『ひぐらしのなく頃に』の英語版新訳版のリリースが始まっているのを発見した。とりあえず第一話鬼隠し編がこの5月にリリースされたばかりのようだ。
 文章を日本語と英語の両方で表示させられるほか、絵もオリジナル版と新しいバージョンとを切り替えられるらしい。Steamの画面で見る限りでは、新しい絵は、なんというか女子が髪の色を除いて全員同じ顔に見えないでもない。でもオリジナル版も五十歩百歩か。
 1本538円とのことなので、オリジナルの『ひぐらしのなく頃に奉』が8話+おまけで3480円なのに比べると日本人にとってはちょっと割高である。日本語版なら第一話は無料の体験版があるわけだし。ただ、Mac OS版とLinux版は今回のSteam版にしかない。

 この作品、以前にも品質はよくないながら旧英語版が出ていて、そのおかげで英語圏のゲームデザイナーの間などでも意外に知名度はあるらしいのだが、それにしてもオリジナルから10年前後も経っているのに随分引っ張るもんだとは思う。
 『うみねこ』では一杯喰わされたが、それでも『ひぐらし』がよくできていることに変わりはない。

『野生の証明』(1978)


 BS-TBSにて鑑賞。ひょっとすると多少カットされてるかも。

  • 福島の寒村で一人の娘を除いて村人全員が惨殺される事件が発生、真相やいかに、という森村誠一の推理小説の映画化。高倉健主演。原作小説はおそらく『ひぐらしのなく頃に』の元ネタの一つで(ネット上では一部で以前から指摘されている)、同作の終盤の展開に強く影響を与えたと見られる。しかし、この映画化作品の方は終盤がマトモな構成になっておらず、中盤まであれこれ複雑な事情を披露していたのにそれをすべてブン投げてアクションシーンに突入し、真相があまりはっきりしないまま終わってしまう。
  • とはいうものの、飛ぶ鳥落とす勢いだった角川映画の第三作目ということで、日本映画としてはカネのかかり具合に目を見張るものがある。高倉健をはじめとする俳優陣もリッチだし、薬師丸ひろ子も可愛いしで、それなりに見ごたえはある作品。大野雄二の音楽もいい。