『砂の器』(1961・松本清張著)

  • 蒲田駅近くの操車場で、顔を潰された身元不明の死体が見つかった。この被害者が最後に目撃されたのは蒲田駅近くのバーで、東北訛りで若い男と話をしていたという。話を漏れ聞いたバーの店員らによると、二人の間には「カメダ」なるものについての話が出ていたらしい。警察は蒲田付近の聞き込みを開始するが何も情報は得られない。そんな折、偶然秋田に亀田なる土地があることに気づいた小西刑事は、一縷の望みをかけて同地に出張する。現地の警察署長に話を聞くと、最近よそ者が亀田に来て周辺を一日うろついたあと青森方面に去ったことがあったという。それが蒲田のバーで被害者と一緒にいた男かどうかはわからない。あまり収穫もなく小西は帰京するが、その際亀田の駅でたまたま当節世間の注目を集めている芸術家集団「ヌーボー・グループ」の一団に出くわす。彼らはこの近くにある大学のロケット実験場の視察に行った帰りだという。
     果たしてカメダとは何か。被害者は何者か。そしてバーで話していた若い男は犯人なのか。
  • 松本清張のこれもまた有名な一作。前のエントリで書いた欠点もそのまま。とにかく捜査が偶然、というより作者に都合のいい気まぐれに頼り過ぎである。上に示した冒頭部分のあらすじの範囲で言っても、たかが亀田という地名が一致したくらいで、特に確かめたいことがあるでもないのに、現地の警察署に電話すれば済むようなことを聞くだけのために、わざわざ何日もかけて夜行列車に乗ってまでで現地に行く必要はないはずだし、現地をたまたま見慣れぬ若者が散歩していたくらいでいちいち不審に思うのもおかしい。この手のご都合主義が延々続く。