『ファークライ5』(ネタバレ)

 PS4版にてプレイ。

 おそらくGTAシリーズに次いで世界的に有名なオープンワールドFPS。筆者もシリーズ第三作からPS3で遊んできており、これが目当てでPS4も購入。発売後さっそくプレイした次第。
 このブログはストーリーの研究が目的なのでゲームとしての感想は簡単に済ますが、前作と比べると技術的には漸進的な進歩がみられるものの、ゲームの印象はやや薄味になった感がある。最大の変更点として、これまでのシリーズでは、far cry(遥か遠く)という題名通り、第三作以降エキゾチックなアジア地域が舞台になっていたのが、今作では米国が舞台となったことがあり、ティーンズのプレーヤーにとっては舞台がどこでも同じかもしれないが、オジサンプレーヤーにとってはこれが相対的にだいぶ陳腐に感じられる。製作元のカナダUbisoftはこれまで大作ゲームの製作費の高騰を懸念する発言をしてきており、ひょっとすると取材予算の削減を図った結果なのかもしれない。とはいえ、前作・前々作ほどの出来ではないというだけで、未だ楽しめるゲームではあり続けている。
 さてストーリーだが、梗概を紹介するならば次のようになる。主人公はアメリカモンタナ州の新米保安官補で、近く来る終末に備えることを主張するカルト教団エデンズ・ゲートの教祖「ファーザー」ことジョセフ・シードに対して出ている逮捕状を執行するため、同僚3人とともに彼がヘリで教団の本拠地に着陸するところから話が始まる。この土地は教団に支配されていて、政府は事実上機能していない。信者たちに囲まれながらもファーザーを逮捕し、ヘリに乗せて連行しようとしたところ、どういうわけかそのヘリが墜落。同僚3人はその混乱のなかで信者たちに連れ去られ、各々ファーザーが家族と呼ぶジョン、ジョイコブ、フェイス(苗字は全員シード)の3人の教団幹部のもとに監禁されてしまう。一方、主人公は教団の支配に抵抗する地元の人物の一人ダッチに助けられる。ダッチは、この地では通信が機能していないので助けを呼ぶことはできないことを告げたうえで、この地を教団の支配から解放して同僚を取り戻すよう勧める。かくして主人公は、教団との闘争を繰り広げることになるのであった。信者は武装して各地で資源や拠点を支配し、抵抗する地元の人間たちを罪人と呼んで拉致し、麻薬を使ったり(フェイス)、仲間同士で戦わせたり(ジェイコブ)、拷問したり(ジョン)することで洗脳していた。主人公は抵抗勢力の仲間を増やしつつ、教団の拠点を次々と制圧していく。時折、幹部らに拉致され洗脳されそうになりつつもなんとか逃げ出すということを繰り返しつつ、ついに三人の幹部を倒し、同僚を奪還する。次いで本来の目的であった「ファーザー」の逮捕に向かい、抵抗する信者たちを制圧。逮捕に成功するが、その直後、同地に核爆弾が投下される。からくも生き残った主人公は、私が正しかったと嘯くファーザーとともに2人で核戦争後の世界を生きることになるのだった。
 まず一般論として、敵がゾンビでもロボットでもなく人間であるタイプのFPSの場合は、人間を殺すことに正当な目的を与えておかないと、プレーヤーが敵を殺すたびに罪悪感を感じることになってしまうし、なにより一般に発売できないゲームになってしまうので、それがこの手のゲームにおけるストーリーの第一の存在意義となる。つまり敵が極悪人である必要かあるわけで、ファークライ3ではサイコパスの島の支配者、4では小国の独裁者だったのが、本作ではカルト教団の教祖に設定されているわけである。またある程度ストーリーに長さを持たせるために、複数の仲間を順次救出していくというのが目的になっているのもシリーズの定番通りである。
 その上での今回のストーリーの新機軸は、主人公が間違っていたという結末を用意するという点であり、これはおそらくUndertaleあたりの影響だろうかと思わないでもないのだが、残念ながら成功したとは云えない。第一に、そのような結論は前述したストーリーの存在意義に反するので、プレーヤーがゲームを楽しむこと自体ができなくなってしまう。これは特に2周目以降のプレイにおいて問題となる。Undertale の場合は敵を殺さないプレイが可能なように(そしてそれこそが本番であるように)作られていたが、このゲームではそうでなく、プレイの楽しさに水を差すだけである。第二に、そもそも核戦争を正しく予言したからといって教団のしてきた残虐行為が十分に正当化されるとは思えず、主人公の行為が本当に間違っていたのか疑問である。第三に、これがストーリーテリングの技術の上ではもっとも重要な過ちだと思うが、教団を倒すというのは主人公、というかシナリオライターが勝手に決めたのであってプレーヤーが決めたのではない感じになっている。形の上では、話の冒頭で、ジョセフを逮捕しないという選択肢を採ることができるように作られているのだが、これは本当に形の上だけの話で、実際そのような選択をするとゲームを遊べないまま終わってしまうようになっている。そもそも、逮捕するのが正しいのかどうかの情報が与えられないまま選択の機会だけ提供しても無意味である。こういう場合の正しいやり方は、ジョセフ・シードを逮捕するのが正しいという誤った情報を与えたうえで、話のターニングポイントでそれをひっくり返すことである。これをアナグノーリシスという。このようにして初めて、プレーヤーは自分の考えが誤っていたことに動揺するのである。同じ状況に立たされればプレーヤーも主人公と同じ過ちを犯すかもしれないというおそれを感じるからである。強いて今回の新機軸にプラスの評価点を探すなら、人を殺すことに罪悪感を感じるということで、いくらか倫理的なゲームに近づいたとは云えるのかもしれない。
 また本作では、ストーリーミッションと銘打ったメインストーリーを進めるはずのミッションに、真の意味で本題のストーリーに関係するとは思えないものが多かった。つまりストーリーミッションであってもサイドミッションのようなものが多かった。この結果、ストーリーがだいぶ散漫な印象になった。多くのストーリーミッションが仲間を集めることに関係していたが、アリストテレスが言うように、その部分がなくてもそのあとのストーリーが成り立つならば、その部分はストーリーにとって本質的ではない。ポイント稼ぎを別にすれば、仲間を集めなくてもプレイがうまければ拠点を制圧して幹部を倒すことは可能である(幹部との対決は仲間を引き連れていけない仕様なのでなおさらである)。本作ではAIで仲間と戦えるという機能が入ったのでこのようなミッションが多数入ることになったと思われるが、サイドミッション扱いとすべきであった。