恐れとあわれみ

 レッシングはアリストテレスの悲劇の定義(の一部)の「恐れとあわれみ」を「恐れと不安」に読み替えていますけど(参考: 以前のエントリ)、最近やっぱりこの読み替えはちょっと違うんじゃないかという気がしてきました。
 つまりレッシングは自分にも同様の苦難が降りかかる可能性こそが観客にとって悲劇が他人事でなくなる原因の唯一の本質だと考えているようなんですけど、それはそれで一種のホラー型ストーリーにおいてありうるとして、あわれみのほうはもう少し他人の行為についての倫理感と関係したそれとは別のストーリー形態について言っているような気がするのですね。

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