二重の筋

 アリストテレスは『詩学』の13章で、二重の筋、つまりある人には幸福がもたらされ別のある人には不幸がもたらされるような悲劇を否定し、単一の筋、つまり主人公が不幸になるだけの話でなければならないとしていますけれども、これは正しいでしょうか。どうも私には疑問に思われます。
 アリストテレス自身も名を挙げている『オイディプス王』を例にとると分かり易いと思うのですが、この話では、それとは知らず主人公オイディプス王は自らの母親と結婚して子を儲けてしまい、それが原因で自らの統治するテバイに(神の怒りを買って?)災いを呼んでしまったということで、結末で自らテバイを出て行くことになります。
 確かにこの話では主人公オイディプス王自身は不幸になってます。しかし同時に、災いの原因たるオイディプス王がテバイを出て行くことで、テバイの民は幸福になっているのではないでしょうか。これはまさに二重の筋そのものではないですか。
 要するに悲劇というのは、観客から見た場合、主人公が我々のためになることをしてくれたのに報われることがなくてかわいそう、ということでなければならないわけですから、その意味で自然に二重の筋になってしまうはずなのです。
 いや、アリストテレスの言っているのは悪人と善人が出てくるようなタイプの話なのだ、と限定的に捉えることでアリストテレス理論を救済することは確かに可能ですが、それにしても言っていることが紛らわしいという批判は可能なように思われます。

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