レンタルDVDにて鑑賞。
- 『ゼロ・グラビディ』のアルフォンソ・キュアロン監督・脚本作。原題は『Children of Men』。
- 原因不明ながら人類が妊娠できず子供を出産できなくなった近未来。世界各地は戦乱に巻き込まれて混乱の極みにあったが、イギリスだけはかろうじて最低限の平和を維持していた。しかしそのためにイギリスに難民が殺到。イギリスは彼らを次々に逮捕して難民キャンプに押し込めた。イギリス国民との平等な取扱いを求める難民側は、それに反発して「フィッシュ」と呼ばれるテロ組織を作って対抗していた。
主人公のセオは、かつては社会活動家だったものの、今は役所に勤める小市民である。フィッシュの女性リーダーであるジュリアンと結婚し子供をもうけたこともあったが、その子供は後に死に、ジュリアンとも離婚した。だがある日、セオは15年ぶりにジュリアンに再会し、難民の若い娘キーを海岸まで連れていくための政府の通行証を都合して欲しいと頼まれる。実はセオの従兄は政府の大物だからだ。大金と引き換えにそれを引き受けたセオは、彼に頼み込んで通行証を手に入れることに成功する。ただし、その通行証にはセオが付き添わなければならないという条件が付いていた。そこでセオはジュリアンほかフィッシュのメンバー2名およびキーに同行して海岸へ向かうことになるが、その移動中、謎の集団の襲撃を受けて、ジュリアンが射殺され、警察にも追われることとなる。セオは、生き残ったフィッシュのメンバー及びキーと共にフィッシュの秘密のアジトである牧場に逃げ込むが、そこで実はキーが妊娠していることを知る。彼女が海岸に行く目的は、人類の不妊を研究する組織「ヒューマン・プロジェクト」の船「トゥモロー号」に乗船して出産するためだったのだ。だが、フィッシュのメンバーたちは、警察にも追われているし、政治的にも有利に利用できるからということで、トゥモロー号へ向かうのはひとまず延期してここで出産すべきだと主張し、キーはそれを受け入れる。しかしその夜、セオはフィッシュの幹部たちが生まれてくる子供を政治的に利用するために、それに反対していたジュリアンを襲ったことを知る。また、彼らが遠からずセオを始末するつもりでいることもわかる。そこでセオは、そこから逃げ出してキーをトゥモロー号に連れていくことを決意する。 - ここまでがいわば話の導入で、その後は、おおざっぱに言えば、フィッシュに追われたり難民と政府との内乱に巻き込まれたりしながら海岸に向かう話になる。『ゼロ・グラビティ』と骨子において似ていると言えなくもない。
CGを駆使したアクションシーンの映像はリアリティと迫力満点、『ゼロ・グラビティ』ほどの予算感はないにしてもなかなかよく出来ている。 - しかしシナリオ面には問題が多い。なかでも最大の問題は、どうしてキーがトゥモロー号に行くべきなのかがよくわからないところである。別にトゥモロー号に行かないと子供が産めないわけでもなければ、キーがトゥモロー号に行くと他の人間も子供を産めるようになるというわけでもないようであり、またキーがフィッシュに残ったからといって彼女や子供が殺されるわけでもないので、観客としては特にセオの行動を支持し応援する理由がないのである。実のところ、キーは放っておいてセオだけ逃げだせば済んだ話ではなかろうか。強いて制作側の意図を推測すると、珍しく久々に生まれた子供として政治的に利用されると、何かと子供の気苦労が多くなり幸福な人生を歩めなくなると言いたかったのかも知れないが、どうもあまり説得的ではないようである。いずれにせよ、ここは話に乗れるかどうかを左右する重要なポイントなのだから、すべての観客が容易に理解できるように説明しておかないとダメ。
- もう一点指摘すると、設定において「子供が生まれなくなった」ことと「世界各地が戦乱に見舞われた」ことの関連が見えなかった。一般に、フィクションにおいて現実に起こるかどうかわからないような仮定を置くことそのものは許されるが、そのような独立した仮定の数は少なければ少ないほどよく、理想的には1つだけであるべきである。なぜなら、非現実的な仮定が多ければ多いほど、その仮定が成り立つ確率が下がり、その物語が観客の未来を予言するものでなくなるからである。したがって、本当は「子供が生まれなくなった」ことと「世界各地が戦乱に見舞われた」ことに何らかの関連があった方がよかった。
45点/100点満点