WOWOWにて久しぶりに再鑑賞。
- 主人公はアル中の売れない作家である。彼の理解者である兄は、ある週末、禁酒中の彼を療養を兼ねて田舎に連れていくことにする。だが出発の直前、主人公が禁酒中も隠れて酒を飲んでいたばかりか、出発の時刻になっても酒場に入り浸っていることを知り、主人公を見捨てて一人田舎に旅立ってしまう。残された主人公は、なけなしの金をはたいて酒を飲む。主人公の恋人が彼を助けようとするが、主人公の方は合わせる顔がなく彼女から逃げ回る。やがて金がなくなると他人の財布を盗み、酒場の女から金を借り、酒場の主人に酒をせびり、商売道具のタイプライターを質に入れてまで酒を飲もうとする。そうこうするうち彼は倒れ、病院に運び込まれてアルコール依存症病棟に入院することになる。しかし一晩もしないうちにそこを抜け出して自宅に戻り、酒屋から酒を強奪してきてそれを飲む。だが夜になり、アルコール依存症を原因とする幻覚を見るようになる。いよいよ絶望した彼は、拳銃で自殺を図ろうとするが、やってきた恋人に励まされ、この週末の出来事を小説にすることを決心するのだった。
- 先日の『フライト』でも触れた元祖アル中映画。WOWOWでの放映日が近かったが、そのあたりを意識した編成だったのかも知れない。
- アカデミー賞のほかカンヌのグランプリも取っている。最近のカンヌは映画の楽しさより高尚さを鼻に掛けたどこかいけ好かない映画のための賞という印象が強いが、この頃はまだマトモだったようだ。
- 内容面だが、とにかくアル中の救いのなさは非常によく描けている作品なのだが、その鬱々とした印象が強すぎる感はある。結末は一応前向きといえば前向きなのだが、実際問題これでアル中から抜け出せるほど甘いわけはなく、強引な結末である。野田高梧の『シナリオ構造論』からの孫引きとなるが、志賀直哉は次のように書いている(原文を現代仮名遣いに直した)。
『心の旅路』の終りでもこれに近い感じを受けたが、これではそれ以上に呆気なかった。あの結末では此の映画の問題は片付かない。あれで、あの男が救われたと思えというのは無理だ。大体作品では途中の破綻はまだいいとして、結末だけはもっとしっかりと作らねば後に厭な味が残る。(中略)私は人に押されながら、若し自分があの映画の結末を作るならどうしたらいいだろうと云う事を考えた。主人公が小説家志望で、酒場で自分の小説の筋を話すところがあり、その小説が画面に現れるが、あれを仕舞いまで延長し、絶えず本筋に絡まして行き、あの映画のハッピー・エンドはそのままで小説の方の大団円として、そのあとに更に本筋の結末をつけて、あの主人公が自殺して了う事にしては如何かと思った。そうすれば筋も複雑になり、アルコール中毒というテーマ以外に通俗芸術への抗議というようなテーマも含まれるわけで、一寸皮肉な面白いものになるだろうと思った。
「自分は小説では心ならずもああいう結末にした。これは本屋の考えである。自殺さす事は風教上よくないし、兎に角、ハッピー・エンドにしなければ出版は断ると本屋は云う。自分自身も事実でそうなれるなら、それに越した事はないと思うのだが、アルコール中毒というものは却々そんな生やさしいものでないという事を自分は知っているのだ。自分はそれを云って本屋と争ったが本屋は頑固にそれを拒んだ。彼は私の実生活をそれで改めさせたいと思っていたのかも知れないが、このようなハッピー・エンドを主張し譲らなかった。自分は酒を飲むためには盗みをさえした者だ。もう小説などはどうでもいい。兎に角、金を作って酒を飲まずにはいられないという気持になった。それで小説ではご覧の通りの不徹底な結末にして了ったのだが、作家として、この事は後まで自分を苦しめた。自分は酒を飲んだ。盛んに飲んだ。然し本屋からの金もそう何時までも続きそうもない。そして最後に残されたものは死以外には何もないということを自分は知っている。自分は今、あの小説の結末を事実を以て訂正する事にした」
こんな遺書を残して自殺する事にすれば、兎に角作品としては形がつく。然し、小説ならば遺書で簡単に済むが、映画の場合はどうしたらいいものか、そんな事を考えていた - ただ一言この作品の結末について弁護すると、結末はその語りの目的を説明するものでなければならないという原則には忠実である。
- 今回見直してみて、主人公の恋人のキャラクターが立派に描けているのを再発見した。むしろ彼女が主人公でもいいくらいではなかったか。
65点/100点満点