映画」カテゴリーアーカイブ

荒井VS絲山

 今月の月刊シナリオ掲載の作協ニュースに、以前も触れたことのある『やわらかい生活』脚本出版許諾請求訴訟の準備書面が載ってました。ちなみに訴状はこちらに載ってます。
 制作会社が訴訟に協力してくれないことでもともと勝ち目は薄いので、訴訟によってとにかく世間からの注目を集めるという戦略と理解しました。
 敢えて言えば、制作会社に業界の慣習を根拠として原告に対する出版協力義務があるものとした上で、制作会社の脚本出版許諾請求権を債権者代位権に基づき行使するか、別訴として制作会社に同許諾請求権の行使を請求するという法律構成はどうでしょうか。ま、原告にだって弁護士の先生が付いてるわけですから、当然検討された上で難しいという結論になったのでしょうけど、現状だと被告側からの指摘に対して何も反論できてなくてちょっと寂しいですよね(慰謝料請求の部分は不法行為責任ですけど)。
 あるいは、制作会社が脚本家に脚本出版を許諾することを妨害しないことを求めるという構成もあり得るかも知れません。

 ただ原作者の言うこともいくらか分かるような気もします。本来は、制作会社がもっと余裕をもったスケジュールで原作者との摺り合わせをきちんとしていればこんなことにはならなかっただろうと思います。シナリオの決定稿ができあがりもしないうちから撮影のスケジュールを入れてしまうというのは正しいやり方なのでしょうか?

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イングロリアス・バスターズ【ネタバレ】

 『イングロリアス・バスターズ』(以下『イングロ』)なんですが、『パルプ・フィクション』(以下『パルプ』)が好きだったもので、公開日に見て来ました。
 で、今、ブロゴスアィアを覗いてみると、「傑作」とか「名作」とかという評価が多いようなんですけど、私としてはそこまでのものとは思えず、またも孤立感を味わっております。といってもまあ、悪くはない映画ですけど。

 まず言っておきますと、ユダヤ・ハンターのランダ大佐役、クリストフ・ヴァルツの演技は素晴らしい。それは間違いないところです。また、フレデリック一等兵役で、『グッバイ・レーニン!』でお馴染みの好青年(あの当時から変わってない)ダニエル・ブリュールも悪くありませんでした。

 ただ、脚本については傑作と呼ぶには疑問があります。
 手元にDVDがあるわけでもないので、あまり網羅的な指摘はできませんから、以下思いつくところだけ挙げます。ネタバレですので、作品を未見でこれから見る予定のある方はご注意を。

 まずファーストシークエンス、というか第1章なんですが、農家にナチスがやってきて、隊長のランダ大佐が農家の主人にユダヤ人を匿っていないか尋問するところ。実はユダヤ人家族が床下に隠れているわけですけれど、それを観客に見せるタイミングが遅すぎたために、ランダ大佐の長広舌が緊張感に欠けた単なる世間話になってしまってます。ここは緊張感を味わって貰うのが第一の目的のシークエンスと解されるので、これは失敗に属します。
 ここでいい比較対象になるのが、『パルプ』のオープニングタイトル終了直後の話、ビンセントとジュールスがスーツケースを取り返すエピソードで、強者が弱者を尋問する話である点、そしてその尋問の際にいきなり本題に入らずに長広舌を披露する点などで、『イングロ』第一章によく似ています。ところが、『パルプ』の場合、『イングロ』と違ってその長広舌の間も緊張感に溢れてるんですが、それはどうしてかというと、冒頭にクルマから銃を取り出すシーンが入っているし、ボスがとんでもなく怖い人間だという話を振ってあるし、そのボスからこの部屋の人間たちは何か盗んだらしいとわかる話が比較的早い段階で出てくるし、要するに前フリが丁寧にしてあるからです。だから、ジュールスたちはただでは済まさないだろうということが観客にはっきりわかるのです。
 『イングロ』でも、出だしでナチスたちを見つけた主人が不安そうな表情を見せてはいるわけですから、なにか起こりそうだという緊張感が全然ないわけではないけれど、漠然としたナチスへの不安を抱いているに過ぎないという解釈が可能だから、弱いのです。
 やはりここはもっと早く、できればファーストシーンでユダヤ人の存在を見せるか、それを臭わせておいて欲しかった。

 それに、物語の後半以降では、ショシャナが復讐する話になっていくんですから、彼女の家族が無惨に殺されるところをちゃんと見せて観客に同情させないといけません。一応撃たれるシーンはなくもなかったけれど、中途半端でした。

 またその最後、ランダ大佐はユダヤ人少女のショシャナが家から走って逃げて行くのを見つけ、ピストルを向けるけれど、「まあいいか」とかなんとか言って彼女を逃がすわけですが、そこまで散々ユダヤハンターだと煽っておきながら、この行動は如何なものでしょう。主要登場人物が明確な理由もなく性格に反する行動をするというのは作劇の基本から外れ不自然であると言わざるを得ません。ここはピストルを撃たせた上で、なぜか全部外れたということにすべきです。……と書いてみて気付いたけれど、それだとまさに『パルプ』そのものになってしまいますね。……それはともかく、こんな風にしてしまったものだから、ずっと後の方のレストランでの再会のシーンも、どう解釈していいのか観客がとまどってしまい、結果的に薄味になってしまいました。

 第一章についていうと、そこでの主人公、つまり観客が肩入れして見ていく人物が誰なのかわからないという問題もあって、上の点も考え合わせると、そもそもの間違いはファーストシーンで家の主人が出て来、そのまま主人視点で進んでしまったことだったかも知れません。つまり、このシークエンスは最初から最後まで一貫してショシャナ視点で進むべきだったんでしょう。もちろんあの話の流れ上、大佐と話す家の主人の出番は多くなるにしても。

続く……かも知れない

演出家と脚本

 映画の世界だと監督がシナリオも書いちゃおうという作品は多いのですけど、私が思うにストーリーを作る才能と映像演出の才能は別物なのですね。
 例えば黒澤明という人は偉大なる演出家ではあったけれど、脚本家としては実のところ大した成果を残せなかった。いろいろな作品が黒澤明も加わった共同脚本という形にはなってますけど、私はそれらのシナリオは実質橋本忍とか菊島隆三とかのプロパーの脚本家の方の力で出来上がったものだと思ってます。それは黒澤単独脚本の作品がほぼ例外なくシナリオの出来が悪いのを見れば明らかです。黒澤自身は脚本家になることに憧れていたようだけれど、結局最後までそうはなりきれなかった。
 宮崎駿監督なんかもですね、見せ場の映像的心地よさみたいなのはスゴいけれど、シナリオ的な部分はそんなに上手くはないわけで。『魔女宅』とか『耳すま』みたいな原作ものとオリジナルものを比較するとそのあたりは顕著にわかります。オリジナルものは見せ場と見せ場の間が退屈な傾向があって、そこはシナリオの力の問題なんですよ(ただし、シナリオの問題が常に見せ場と見せ場の間にのみ作用すると言っているわけではありません)。
 さらに言うと、作家主義だなんて言って粋がって自分でシナリオ書いてたヌーヴェルヴァーグの監督たちの作品だって、やっぱりシナリオの出来が悪くて、その辺似たような問題を持ってます。
 やっぱり演出家がストーリー作りもやるというのはなかなか容易なことではないようなのです。

 ただ、現在の邦画界のシナリオライターがマトモなオリジナル作品を書ける実力を持っているかという点については、正直私は懐疑的です。たぶん待遇が悪くて、才能のある人は小説なんかの方へ行ってしまうからでしょうけれど(脚本家には創作したキャラクターに関する権利が残らないしね)、今や邦画のシナリオ界にあまり大した人は残ってないし、入ってきてもいないと見てます。まあそもそもが邦画界ってのは恐怖のコネコネ社会((C)福満しげゆき)のようなので、有能な人が参入しにくい面もあるのかも知れません。
 とにかくそういうことだと、邦画界が原作ものばかりなのも仕方ないことですね。

 なお、原作ものだから脚本家が要らないかというとそうではないようで。原作があるからと、脚本料を節約しようと脚本も監督が担当した映画ってのは、大抵出来が悪いので。。。

月刊シナリオ 9月号

 作協ニュースが復活したと思ったら、軽々には面白いなどとは表現できないようなディープな話題ばかりで。
 まあしかし毎度のことながらここまで一般に公開するってのはスゴいことです。

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『映画を書くためにあなたがしなくてはならないこと』

 時かけ問答集で少し触れたシド・フィールドの『Screenplay: The Foundations of Screenwriting』、長いこと邦訳書が絶版で、渋々ながら私は原書で読んだのですが、先月ついに新しく別の社から邦訳書が出たようです。
 昔の邦訳書は第1版がベースだったようですが、原書は既に第2版(改訂版)が出ていて、時期的に見て今度の邦訳書も第2版がベースなんじゃないでしょうか(未確認)。

追記: 昔の邦訳書は著者は同じながら別の本の邦訳だったようです。

 中身はアリストテレスに始まる欧米系作劇術の系譜に属する内容で、物語は3部構成、性格は行動で表わせ、良いアクションシーンを作るコツは人物を走らせること、などなど、日本のシナリオ教科書とはひと味違う内容です。この本を読めばたちまちシナリオが書けるようになる…というわけではないと思いますが、有名な本でもあり、シナリオにご興味がおありの方には一読の価値はあります。
 ただ、著者はプロデューサー(兼大学教員)であって、生粋のシナリオライターではないようです。

 ご購入の際は是非下のリンクからどうぞ。
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菊島隆三賞

月刊誌「シナリオ」で一番面白い記事といえば「日本シナリオ作家協会ニュース」であることは論を俟たないところですが、今月は菊島隆三賞の選考過程が載ってます。結果としてはTVシナリオの『本当とウソとテキーラ』(山田太一脚本)が受賞となりました。

『おくりびと』も候補には挙がっていましたが、もっともなことにボロクソにけなされているのが笑えます。もちろん荒井晴彦氏も例によって例のごとく毒舌を披露。桂千穂氏が押しとどめようとしますが当然そんなことで矛を収める荒井氏ではなく。

まあそれはともかく、勉強になりますので一読をお勧めします。

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[tmkm-amazon]B001EVI9PC[/tmkm-amazon]ちなみにこちらは『おくりびと』シナリオ収録号。新品はもう売り切れですが。

そういえば、『時かけ』収録の2006年版が大幅に遅れて発売された後音沙汰なくなっていた『年鑑代表シナリオ集』、2007年版が近日発売予定と上記「シナリオ」誌で告知されていました。本来は翌年中に出ていた本なのですが、これからは翌々年に出るペースが定着するんでしょうか…

『つみきのいえ』

『つみきのいえ』、前々から気になってましたが、アカデミー賞受賞というのでついに某所で見ました。

テーマ性と情緒の両方をいいとこどりしたような内容で、なかなかよく出来ていると思います。短編なので気楽に見られるのもいいですね。ただ、短編ゆえにラストのまとめ方はやや強引にならざるを得ないのかなという感じはしました。

ところで、地球温暖化を異化のモチーフにしているところと、絵本のような絵を表現手段として選んでいるところは、同年度の日本アニメ界最大の話題作だった『崖の上のポニョ』と共通しているわけなんですが、この二作を対比してみると、『ポニョ』にもっとも足りなかったものの一つは情緒だったのではないかという気がしてなりません。

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エヴァの決定版解釈(あるいはその元ネタ)

エヴァンゲリオン – Yahoo!知恵袋

これが本当だとすると、どうやらエヴァの元のネタの一つは『2001年宇宙の旅』だったということになりそう。「SOUND ONLY」の板がモノリスみたいだったのは偶然じゃなかったんだ。

いや、そう言われてみれば、そもそも設定についてロクに説明をせずに話を進めるという語りの手法自体がそっくりだ。

追記: 似たようなことはすでに昔から言われていたようで。
『2001年宇宙の旅』についての新たな考察
Google検索「エヴァンゲリオン 2001年宇宙の旅」