- 攻殻機動隊シリーズの新作映画の公開も間近とのことだが、これはもっとも有名な最初の劇場版。
- 個々のシーンはやはり文句なく格好よくできているが、話の方は……。初めて見たときは中身がさっぱりわからなかったし、いま何度目かに見てもやっぱり判りにくい。尺の都合はあったろうが、ややこしい設定がいろいろとあるのだからもう少し丁寧に説明できなかったものか。
- とはいえ何度か見て表面的な話の筋は判ってきたが、しかしそれでもわからないのは、素子が人形使いと融合したからといってそれがどうしたのかということである。素子が9課を辞めたがっていてそれが実現したのはわかるし、バトーが振られてしまって悲しいのもわかるが、人形使いと融合したことそのものに対する語り手の評価が明らかでない。将来人類はネット上の人格として他の人格との融合と淘汰を繰り返しながら生きていくのがいい(だからこの結末はめでたしめでたしである)と言いたいのか? しかしそうだとすればそれはあまり説得的ではないようである。それに、ネット上に魂が存在できるというのはこの物語世界内の設定であって、現実世界でそのようなことが実現可能であるとも考えにくい。フィクションと言えどメイン・テーマくらいは現実に通用する何ものかを表現すべきではないか? さもなければナンセンスな話になってしまう。
- また、これは押井守、というより伊藤和典のシナリオに特徴的なことだが、動機が極めて弱い。とりあえず刑事なんだから事件が起こったら犯人を追うでしょ、という以上のものがない。これはパトレイバーの映画のときもそうだった。一つには、戦闘シーン偏重で、事件そのものについてはセリフで要旨が説明されるのみ、それ自体の描写は極めて不十分だからである。犯人が何か不当なことをしているということを観客が実感できないまま話が進む。だから素子たちがしていることにあまり肩入れできないのである。つまり厳密に言えばここでいう動機付けは人物の動機付けというよりは観客の動機付けである。
「映画」カテゴリーアーカイブ
『ブロンコ・ビリー』(1980)
『女王蜂』(1978)
『アナと雪の女王』(2013)
- 去年大流行したご存じアナ雪。しかしアメリカでの初公開は2013年で、公表年としては一昨年の作品ということになる。シナリオは大したことないようだったので、そのうちWOWOWでやるだろうと思って見送っていたら意外と時間がかかった感あり。放映権の交渉が難航したのかもしれない。今般の放送では、ディズニースペシャルと称する特集を組んでその他のディズニー作品と一緒に放送している。さては抱き合わせで買わされたか?(邪推)
- あらすじはWikipediaにあるのでまた省略。最近Wikipedia日本語版では映画のあらすじをきちんと最後まで書くようになったのだろうか。
- まあとにかく歌曲の出来は確かに秀逸である。普通ミュージカル映画というのは、それなりにヒットしたものでももう一度聞きたいと思えるようないい曲は大抵1曲だけ、オマケしてもう1曲くらいで、その他はイマイチな出来のものが多いもの。しかしこの作品の歌曲は粒揃いで平均的にレベルが高い。こうなるとシナリオがイマイチだったとしても歌曲シーンだけで十分間が持ってしまう。吹き替え版と字幕版の両方観たが、やはり音楽的には字幕版の方がいい。
- シナリオ面。原作はアンデルセンの『雪の女王』だそうだが、エルサを前面に出すために相当無理をして改変したらしく、プロット面は特に終盤にかけて無理があったようにも思われる。一応構造を分析しておくと、実質的に主人公はクリストフで、彼の目標はアナを助けること(つまりパトスはアナの死亡)、葛藤になっているものはアナへの愛情、葛藤の解決はハンスが悪人だったというアナグノーリシスによる。いずれにしてもメロドラマ的な葛藤なのであまり深刻なものにならないが、コメディだからこんなものでいいのだろう。
- 一方でダイアローグはコメディとしてかなりよく出来ている。主人公のアナは楽観的で人を信じやすい性格で、それでトラブルに巻き込まれるのではあるが、そこが観客から見て魅力的なキャラクターに仕上がっている。脚本家が女性であることもあってか、女性キャラが率直かつリアルに描けているのもいい。その代わり、男子キャラは少々理想化されているようであった。2人の男子のどちらを選ぶかという話であるというところも含めて、このあたり、『時をかける少女』(2006)となにか同じ匂いがする。
- 公開時に『Let It Go』の吹き替え版の訳詩についてネットで議論があったが、全編通して観てみると、やはりあの訳詩はあまりに前向き過ぎるように感じられた。あそこはやはり絶望的なシーンなのではないだろうか。
- この話の寓意をどう解釈するか? 元の童話を相当捻じ曲げているのであまり悩んでも仕方ないのかもしれない。
70点/100点満点
『インターステラー』(2014)【ネタバレ】
- ノーランの新作SF。詳しいあらすじはWikipediaに完全なものがあるので省略。
- とにかくブラックホールという題材で一本撮りたかったといったところかと思うが、どうにも無理のあるプロットである。いくら物理学で事象の地平面のあちら側では何があっても不思議ではないとされているといっても、いきなり自分の家の娘の部屋につながるってのは納得しがたい。科学的考証に凝ったという触れ込みだったが、ハードSFとは言えない程度である。また、ノーランのシナリオではいつものことだが、どうも不必要に話が込みあっているようである。それだから説明ゼリフも多くなる。
- この話の葛藤の構造は、本来的には、(ア)移住可能な惑星へ行って人類を救うが地球に帰って娘に会うことはできなくなる (イ)人類は絶滅するが地球に帰って娘との約束を果たす の2つの選択肢のどちらを選ぶかというものだったろうと思う。一方は倫理的義務でもう一方はそうでない(少なくとも相対的に重要でない)ので、観客から見てどちらを選ぶべきかに議論の余地がない「悲劇型の葛藤」である。主人公が人類を救うために娘を諦め、そのことに観客が罪悪感を感じる。そして両方を解決する方法として重力方程式を解くという方法が提示されそれが実現することにより、罪悪感が払しょくされてカタルシスを得るという筋書きである。いや、そういう筋書きのはずであった。
この種の葛藤で大切なのは、主人公は躊躇なく倫理的義務の方を選択しなければならないということである。なぜなら、娘と別れなければならないのが倫理的義務のせいだからこそ観客がそのことを申し訳なく思うのだからである。つまり、順序としてはまず先に主人公が倫理的義務を選択・決断するシーンがあって、その後に観客の同情を買うようなシーンが来なければならない。
ところがこの話だと、この原則に反して、主人公が地球に帰ることに色気を見せ続けるので、観客の罪悪感と同情の度合いが低くなってしまっている。主人公が両立の道を模索してはいけないということではないが、いつまでも決断しないでいて、主人公は倫理的義務を履行しないのではないかと観客に疑わせるようではいけない。 - dTVのレンタルを初めて利用したが、Google Playと比べると1回の支払いで吹き替え版字幕版両方選べる点、再生位置のレジュームに対応している点などが優れている。
55点/100点満点
『ベイマックス』(2014)【ネタバレ】
Google Play「旅のおともに、映画を1本プレゼント」キャンペーンにて無料でレンタル鑑賞。日本語吹き替え版。
- ゴールデンウィーク中限定で映画が1本無料で見られるというキャンペーンが実施されていたので、それで観た。Google PlayはAndroid向けアプリの販売サイトとして有名だが、映画・音楽等のコンテンツの販売・レンタルも行っており、それらはPCでも鑑賞できる。
- シナリオだが、このプロットにはゆがみを感じる。この話の過程で主人公が避けるべき忌まわしい結果(パトス)は何かという問いに明確な答えがないようである。一応の主人公の目標として放火犯の逮捕というのがあるが、兄のタダシもキャラハン教授も死んでしまったのだから、今更逮捕しても彼らが戻るわけでない。だからヒロの動機付けと共感が弱く、どうも盛り上がりに欠ける。本来なら、初めから教授の娘を助け出すのが目的になるべきだったのではないか。中盤~終盤になってからそれが出てくるのは遅すぎる。また中盤にマスクの男に殺されそうになってそこから逃げるという目標も出てくるが、後述のようにマスクの男が放火犯なのかが曖昧であることもあって、マスクの男がヒロたちを殺すことで何をしようとしているのかがよくわからず、したがってそこからヒロたちが殺されないためには逃げる以外に何をすべきか具体的な行動が導き出されてこない。
- 最終的にキャラハン教授が逮捕され、クレイ社長は特におとがめなしとなったようだが、教授の娘の事故の責任はどうなってしまったのか。こういう場合は、ベイマックスでなくてクレイ社長が犠牲になって助ける話であるべきである。
- 廃工場にいたマスクの男が放火犯であるというヒロの推理は根拠薄弱であり、その後のヒロの行動に共感しにくい。こういう風にするなら、火事のシーンの手前にマスクの男が放火するシーンが必要であった。
- このストーリーにおいて、ベイマックスの存在に必然性がない。5人の学生たちとベイマックスとで役割が重複しているため、ベイマックス抜き、もしくはベイマックスが5人と同格の脇役程度の位置づけでもほぼ同等のストーリーを構築できた。
60点/100点満点
『野生の証明』(1978)
BS-TBSにて鑑賞。ひょっとすると多少カットされてるかも。
- 福島の寒村で一人の娘を除いて村人全員が惨殺される事件が発生、真相やいかに、という森村誠一の推理小説の映画化。高倉健主演。原作小説はおそらく『ひぐらしのなく頃に』の元ネタの一つで(ネット上では一部で以前から指摘されている)、同作の終盤の展開に強く影響を与えたと見られる。しかし、この映画化作品の方は終盤がマトモな構成になっておらず、中盤まであれこれ複雑な事情を披露していたのにそれをすべてブン投げてアクションシーンに突入し、真相があまりはっきりしないまま終わってしまう。
- とはいうものの、飛ぶ鳥落とす勢いだった角川映画の第三作目ということで、日本映画としてはカネのかかり具合に目を見張るものがある。高倉健をはじめとする俳優陣もリッチだし、薬師丸ひろ子も可愛いしで、それなりに見ごたえはある作品。大野雄二の音楽もいい。
『フロム・ダスク・ティル・ドーン』(1996)
dTV(先日「dビデオ」から改称した)にて鑑賞。
- FBIから強盗殺人犯として指名手配され逃亡中のある兄弟が、途中のモーテルで出会った元牧師の一家を脅し、一家のキャンピングカーに隠れてメキシコへ密入国しようと目論む。紆余曲折の末、彼らはメキシコへの入国に成功し、メキシコでの逃亡生活の面倒を見てくれる仲間と待ち合わせているあるストリップバーへ到着する。ところがそこは吸血鬼たちが人間の生き血を啜るために作ったワナだった。吸血鬼たちに襲われ倒れていく人間たち。吸血鬼に噛みつかれた人間は吸血鬼となって復活する。吸血鬼はいくら殺してもしばらくすると復活してくるが、心臓を杭などで打ち抜くと炎を上げて消滅する。さらに、店の外にはコウモリ人間が大勢いて彼らも人間を襲おうとする。吸血鬼もコウモリも、十字架と日の光が弱点だ。果たして主人公らは朝まで生き延びることができるのか。
- タランティーノが脚本を書いたことで知られる作品。話の前半まで準主役で出演もしている。監督はタランティーノの弟子?でB級映画監督のロバート・ロドリゲス。メキシコへの逃亡を描いた前半はいつものタランティーノ節でまずまずの出来なのだが、後半、スプラッターものに急展開するところからC級映画としか言いようがない品質になる。
- 特に出来の悪いスプラッター冒頭のシークエンスについて言うと、致命的だったのは、ここは店員たちが吸血鬼だったということを観客に明かす部分のはずなのに、ただ怪物みたいな姿に変身して人間を殺すだけであまり血を吸っているように見えないし、殺されても甦って来るので、吸血鬼というよりゾンビかなにかみたいに見えたことである。ゾンビも吸血鬼も似たようなものではないかと思うかもしれないが、ここでほかならぬ吸血鬼であるということがわからないと、そもそもなぜ踊り子がここで急にリッチーを襲おうとしたのか(答: リッチーの手から流れる血を見て我慢できなくなったから)、その直後に店員たちがなぜ一斉にほかの客まで襲いだしたのか(答: もともとこの店は吸血鬼の店員たちが人間の血を吸うために作った店だから)、なぜケイトが十字架を押し付けて対抗したのか(答: 吸血鬼は十字架が苦手だから)、なぜフロストが店員たちを机の脚を使って串刺しにしたのか(答: 吸血鬼は心臓に杭を打ち込むと死ぬから)といった様々な人物の行動の意図が理解できなくなるのである。そして実際ほとんどの初見の観客はそれらが理解できず、兄弟と争っていたはずの店員たちがなぜか急に客たちを襲い始めたと思ったら登場人物たちが意味不明な行動を取り続けるシーンが延々続く、というように見えたはずである。吸血鬼であることをぎりぎりまで隠しておきたかったのだろうが、前フリ不足である。
逆に言うと、この映画には吸血鬼が出てくるという予備知識を持って観た観客や、2度目以降の観客にとってなら、いくらか評価が変わってくるかもしれない。世の中にはネタバレされてから見た方がいい映画もあるということか。 - こういう作品をたまに見ると、あれこれ難点はありつつも普段観ていた映画がそれなりによく出来ていたんだということが認識できる。それがこういうC級映画の存在意義だろう。
20点/100点満点
『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』【ネタバレ】
- 本日封切。アカデミー脚本賞・作品賞・監督賞等受賞作。
- 主人公リーガンは、20年前のアクション映画『バードマン』シリーズで主役を務め人気者になったことがあったが、今や売れない中年俳優である。彼は財産をはたいてブロードウェイの舞台をプロデュースし、自ら脚色主演を務めて本格派俳優として復活を図ろうとする。だが試演公演を終えてみると、注目されるのは準主役を務めた今が旬の人気俳優マイクのことばかり。マイクは傲慢な男で、舞台の上でも外でも好き勝手をし、リーガンの娘で今は付き人をしているエマにも手を出す。しかし経済的にも後がないリーガンはマイクをクビにすることもできない。一方、ブロードウェイ興行の成否は批評家のレビュー次第と、リーガンはマイクの助けを得てNYタイムズの著名批評家タビサにアプローチするが、彼女は低俗なアクション映画俳優の舞台など嫌いだと言い、舞台を見もしないうちから酷評することに決めていると言い放つ。さらに、エマには今どきの俳優はネットで話題になるような派手なスキャンダルが必要だが、そのことをわかっていないとなじられる。あれやこれやでリーガンは自信を失い、やはり自分はアクション映画しかできない俳優なのだろうかと迷う。試演公演の最終日、リーガンはふとしたことから公演中に劇場から締め出されてしまい、裸でブロードウェイの通りを駆けて劇場に戻るが、その様子を映した動画がネットで話題になり、翌日の初日公演は大入り満員となる。その初日の劇のラスト、主人公が拳銃自殺するシーンで、リーガンは本物の拳銃を使って自殺を図る。だがそれは観客に大いに受けた。リーガンは病院に運ばれ、辛うじて一命を取り留める。だがそこで目にしたNYタイムズのレビューはやはり酷評。「無知にも意外な長所がある(The Unexpected Virtue of Ignorance)」との見出しで、演劇を何も知らぬ俳優がまぐれ当たりしたと皮肉るものだった。リーガンは病室から投身自殺する。
- とにかくわかりづらいシナリオで、実際何が起こっているのか、何が言いたいのか、特に終盤において明らかでない点が多い。上記ストーリーは筆者の解釈によるもの。監督のアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥが共同脚本としてクレジットされているが、内容を見る限り、脚本の中身を理解せずに演出したか、あるいは内容が内容だけにわざとわかりづらくしたのか、とにかく悲劇的な脚本に見合っていないどこかあっけらかんとした演出になっていて、それがわかりづらさを増している。おそらく話の趣旨は、ドラマ作品に対する批評家や大衆の態度を批判するものなのだと思うが、とにかく見終わったときそれに共感しリーガンに同情するような構造になっていないわけで、シナリオの出来という面から言えばやはり失敗作だろう。また作品の趣旨について言えば、作品をリスクを冒して一生懸命作ったんだからソコを評価してよというのは気持ちはわかるが、それを客に向かって言うのは無意味であり、やはりプロ意識に欠ける主張というしかない。
- 役者の芝居は悪くないし、ワンシーンワンカット風の映像やカッコいい音楽は一度鑑賞してみる価値ありとは思う。
60点/100点満点
『グランド・ブダペスト・ホテル』(2014)
WOWOWにて鑑賞。
- 舞台は1932年、東欧にある名門ホテル、グランド・ブダペスト・ホテル。そのコンシェルジュ、グスタヴは、裕福な侯爵夫人の未亡人マダム・Dのお気に入りの愛人だった。ある時マダム・Dが亡くなり、グスタヴは遺言により高価な絵画『リンゴを持つ少年』の遺贈を受けることになる。マダム・Dの財産の大半を相続することが見込まれる息子ドミトリーは、グスタヴへの遺贈に憤慨してそれを妨害しようとするが、グスタヴはマダム・Dの館からその絵画を黙って持ち帰り、ホテルの金庫に保管する。だがその直後ホテルにやってきた警察により、彼はマダム・Dの殺人の疑いで逮捕されてしまう。どうやら館の執事セルジュ・Xが誰かに脅されて嘘の目撃証言をしたためらしいが、彼はその後行方不明で問いただすこともできない。無実の罪で収監されたグスタヴだが、やがて監獄の仲間と共に脱獄に成功し、ホテルマンたちの人脈を駆使してセルジュ・Xを探し始める。一方、何者かに雇われた殺し屋ジョプリングは、相続書類に不審な点があるのに気付いた遺言執行人のコヴァックスや、証言が嘘であることを認めたセルジュ・Xを殺す。結局グスタヴは、弟子のゼロとその恋人アガサの助けを借りて、ホテルの金庫にある絵画を取り戻して逃走しようとするが、そこへ偶然ドミトリーがやってきて、絵を巡っての銃撃戦となる。駆けつけた警察が関係者全員を拘束して調査した結果、ドミトリーがすべての黒幕であったことがわかり、グスタヴの疑いは晴れる。さらに絵画に隠されていた新たな遺言状により、グスタヴがマダム・Dのすべての財産を相続することになる。
- 『ダージリン急行』(2007)のウェス・アンダーソン監督・脚本・製作作。絵本のような漫画のような独特の絵作りが目を惹く作品で、アカデミー賞の美術系を含む4部門で受賞。とにかく映像だけでも見ておく価値はある。
- 一方、脚本面ではあまり出来がいいと思われない。語りが3重になっている若干技巧的な構成なのだが(そのことにあまり必然性を感じない)、メインプロットは上述のあらすじの通り、ミステリーを狙ったと思われる内容である。しかし、話の中に怪しい人間は最初からドミトリー一人しか出て来ないのだから、謎も何もあったものでない。その点で失敗作と言うほかないと思う。ただキャラクターは個性的だし、上のあらすじでは説明しなかったが、最後にグスタヴが死んで寂しさを感じさせる終わり方になっていて、見終わった後の感じは悪くない。それが評価されたのか英国アカデミー賞などでは脚本賞を取ったようだ。個人的には、それも少々評価し過ぎのようにも思われたが。
65点/100点満点