『よつばと!』

『よつばと!』は子供の可愛らしさに作品の面白みの根拠を置くという意味で広義の萌え系作品と言えるのではないかと思うけれども、しかし世間一般で言われるところの(狭義の)「萌え系」作品とは違いがある。

狭義の「萌え系」作品は、一応オトナと言えなくもないくらいの年齢(典型的には女子高生くらい)の女性に子供らしさを付加することで、一人のキャラクターに子供の可愛らしさと女性としての(広義の)性的な魅力を重畳的に持たせることを特徴としている。このような「萌えキャラ」は、オトナでありながら子供のような振る舞いをする一種の奇形的キャラクターであり、一般ウケは悪い。そういうものを一種の「様式」として(伝統芸能のように)受け入れられるマニアにしかウケないジャンルになる。

一方、『よつばと!』は、子供の可愛らしさは子供のキャラクターが、女性の性的な魅力はオトナのキャラクターがそれぞれ別々に引き受けるというキャラクターの分離・分割を特徴とする。この構造ならば萌えキャラより現実味のある(ある意味「正常な」)キャラクターだけで話を組み立てていける。したがって一般ウケする。

しかし逆に言うと違いはそれだけだから、萌え系も『よつばと!』も潜在的ないかがわしさは同じようなもんなんじゃないか。

マンガ短評

「ビッグコミックスペリオール」2008/10/24号

小山ゆう作『あずみ』
甲斐編完結。正直いって話がやや複雑に過ぎ、最後の方はついていけてなかった。
乃木坂太郎作『医龍』
朝田が転んでからの新展開では、キャラクター間の対立関係が曖昧になったため、ドラマ性が弱くなってしまっている。
柿崎正澄作『感染列島』
読者を物語に乗せ切れてないのに劇中の人物はむやみと熱いので、ますます興が冷めていく悪循環。
星里もちる作『光速シスター』
久しぶりの連載再開。ちなみに、大変不思議なことながら、検索語「光速シスター」でのGoogle検索以前の記事がなんと2番目。
久部緑郎作・河合単画『ラーメン発見伝』
葉月妹、姉抜きの単独だとちょっとキャラ薄いかな?
こやす珠世画『相棒』
コテコテのTVドラマ的展開。それにしても、「原作・TVドラマ[相棒]」の表記は脚本家に失礼。きちんと個人名を記すべき。これは『感染列島』も同様。
ロドリゲス井之介作『世界の中心でくだをまく[仮]』
このマンガは武論尊が出てくると面白くなるね。

『あたし彼女』

『あたし彼女』

読みました。

第3回日本ケータイ小説大賞 大賞『あたし彼女』

ケータイ小説というと『恋空』が思い浮かびますが、正直アレは、ちょっとどうかという出来でしたよね。しかしこの作品ははてな方面で意外に評判が良く、いわゆる普通のオトナが審査しているとのことでもあったので、ものは試しと読んでみたわけです。

点数でいうと、『恋空』を20点くらいとすると、この『あたし彼女』には65点くらいはつけられると思います。構成をきちんと考えて書いているようですし、小道具の使い方もまずまず。描写も案外ディテールが描き込まれていて、文体から受ける印象より小説としてずっとよく出来ています。『恋空』と違って、たぶんこの作者はある程度物語創作について勉強されている方だと思います。ただ、テーマが恋愛一本槍なので中盤以降ダレた感がありますし、起こる事件がやや唐突ないしご都合主義的にも感じられ、ケータイ小説の悪い面をまだ引きずっているなという感じもしました。そういうこともあって、ところどころ文章が変なのが、文章力不足なのか意図的なのかは判断に迷います。

この話の構成は、(ややネタバレなので読了後にクリックしてください)この映画この映画のスジを掛け合わせたものに近いような感じがします。また、大まかな小説のタイプとしては、三田誠広言うところの素人にも書きやすい「告白型私小説」に属するものと思われます。

i-mode外字のインストール

ところで、上のリンク先で『あたし彼女』を読む場合、Windowsでは標準状態では絵文字が表示されません。以下のページから外字を入れることをお勧めします。

i-mode絵文字対応外字データ

このデータのインストールには以下のツールを使用します。

外字コピー屋さん

インストール方法については、環境にも拠りますのでこれらのドキュメントをお読みいただきたいのですが、基本的には外字データを解凍したディレクトリのaf_w2kディレクトリにcpeudc.exeをコピーし、実行して[実行]ボタンをクリックするだけです。なお、外字データのドキュメントには、この「外字コピー屋さん」を使わないでFontsフォルダにコピーしてインストールする方法も記載されていますが、そのやり方だと手元の環境では「”EUDC.EUF”は無効であるか、 壊れています」などと出て上手くいきませんでした。

また、以上によりInternet Explorer 7.0では絵文字を表示できるようになったものの、Firefoxでは依然として表示できていません。使っているフォントは同じなんですが。(…私は試してませんが、その後このページを見つけました。)

それにしても

今どきニャンニャンはないだろうニャンニャンは。

Re: 崖の上のポニョが神過ぎた件

崖の上のポニョが神過ぎた件

はてなブックマーク数が1000を超える人気エントリですが、この件に関連してちょうど面白い文章を見かけたので紹介します。宮崎監督の話ではありませんが。

(前略)読むという行為は受け身のものではなく、極めて能動的なものである。福武文庫の『黒沢明語る』(聞き手: 原田眞人)を読んだ。原田氏の黒澤監督への迫り方に、わたしは深い共感を覚えた。『八月の狂詩曲』について、原田氏は次々と創意ある意見を述べる。≪話したいことがいっぱいあってどこから質問していいかわからないのですけれども≫という感動的な出だしで始まり、

音楽一つにしても、「野ばら」とヴィヴァルディが見事な調和で盛り上げる。音楽で言うなら僕には「ボレロ」も聞こえてきた。画面の流れが「ボレロ」なんです。それも早坂(文雄)さんが『羅生門』でやられた「ボレロ」。絵(画面)をつないでいるときとか、脚本をお書きになっているときに「ボレロ」を意識されましたか。
黒澤 いや、それは意識していなかったですね。
(中略)
なぜ早坂文雄さんの「ボレロ」が聞こえてきたのかなと、自分でもいろいろ考えてみました。『八月の狂詩曲』は入道雲のショットから始まっていますね。『羅生門』は入道雲で終わりたかったけれども終われなかった映画だということを、どこかで黒澤監督が書いておられて、それを読んで記憶にあるのですけれども、入道雲で始まって、タイトルが出て、四人の子供がおばあちゃんの田舎の家で過ごす夏のドラマがあって、最後の『羅生門』の導入部のような土砂降りの雨になる。ちょうど『羅生門』と逆の形なんです。
黒澤 (笑いながら)まあ、そういう具合にこじつければね。
(中略)
ジャングルジムが早坂さんで、杉林の方は落雷受けて心中したという、その台詞も含めて黒澤監督のお兄さんのような感じがして、その彼らに「もうすぐ行くから会おうよ」という感じがしたんですけれども。
黒澤 べつに全然意識していなかった。
(中略)
『八月の狂詩曲』は原作が『鍋の中』(村田喜代子)、『羅生門』の場合は『藪の中』(芥川龍之介)ということもあって、わりと人間関係のごたごたしているところとか、『羅生門』とつながっている部分というのはありません?
黒澤 ない。

茶化しているのではない。この本は発見の多い本だが、それを支えているのは、このような原田氏の創意だと思う。作品はそこにあっても、それを読むのは個々の読者なのである。(後略)

北村薫『謎物語―あるいは物語の謎 (中公文庫)』より

停電

どうも昨日停電があったらしく、当サイトのサーバにしているLinuxマシンの電源が午後数時間の間落ちてました。落雷の影響でしょうか。

昨今は夏場には停電が多いようで、自宅サーバと雖もUPSが必要ですかね。

Referer文字列からロボットかどうかを判定する正規表現

Apacheなどのウェブサーバのアクセスログで、Refererフィールドに出力される文字列が以下のファイルの正規表現のいずれかにマッチするようなら大体それはロボットのアクセスです。

robot_patterns(UNIXテキストファイル)(2010-4-26改訂)

これを使ってApacheのアクセスログからロボットのアクセスを抽出するフィルタの例は以下のとおり。上の内容がrobot_patternsというファイルとしてカレントディレクトリに保存されていると想定してあります。また、Parse::AccessLogEntryが必要ですのでCPANからインストールしておいてください。


#!/usr/bin/perl

use Parse::AccessLogEntry;

$robot_patterns_file = "robot_patterns";
$local_address_patterns_file = "local_address_patterns";

open(RP, $robot_patterns_file) or die $!;
while(<RP>) { chomp; push(@robot_patterns, $_) if ! /^\s+$/; }
$robot_pattern = "(?:" . join(")|(?:", @robot_patterns) . ")";

open(LP, $local_address_patterns_file) or die $!;
while(<LP>) { chomp;push(@local_address_patterns, $_) if ! /^\s+$/; }
$local_address_pattern = "(?:" . join(")|(?:", @local_address_patterns) . ")";

$P = Parse::AccessLogEntry->new();
($myname) = $0 =~ /([^\/]+)$/;

if ($myname eq 'robotsalog') {
        LINE: while(<>) {
                my $e = $P->parse($_);
                next LINE if $e->{host} =~ m/$local_address_pattern/o;
                print if $e->{agent} =~ m/$robot_pattern/o;
        }
} else {
        LINE2: while(<>) {
                my $e = $P->parse($_);
                next LINE2 if $e->{host} =~ m/$local_address_pattern/o;
                print if $e->{agent} !~ m/$robot_pattern/o;
        }
}

robotsalogという名前で呼び出されたときは、ロボットのアクセスだけを出力します。その他の場合はロボットでないアクセスだけを出力します。

ちなみにlocal_address_patternsというファイルも必要です。この中身には自分自身のアドレスのパターンを入れておきます。そうするとその分も除外して出力します。サンプルは以下のとおり。


^192\.168
^127\.0\.


うちではこれで大体うまくいってます。完全無保証でよろしければご自由にお使い下さい。

脚本家・橋本忍が語る黒澤明~“七人の侍”誕生の軌跡~

木曜日にNHK BS2で放送された「脚本家・橋本忍が語る黒澤明 ~”七人の侍”誕生の軌跡~」を遅ればせながら録画で見ました。

先々週くらいにやはりNHKで特集されていた新藤兼人氏もそうでしたが、橋本忍氏も90代にしてはお元気そうな方でした。

内容は『複眼の映像 私と黒澤明』(Amazonアソシエイト)をなぞるような感じで、あまり目新しい情報はありませんでしたが、七人の侍のシナリオがどうやらキャラクター先行型だったらしいというのは興味深いことでした。キャラクター先行型、つまりキャラクター設定を先に詳細に決めてストーリーは比較的成り行き任せに書いていくというやり方は、アニメやライトノベルでは特に一般的なようです。ただこれ、物語の結末が締まらなくなりがちという欠点があるのですよねえ。そしてそれは『七人の侍』も例外ではなかったと思います。

橋本氏のモットー「シナリオは下手に楽に書け」は前掲書にもありましたが、あちこちのブログで取り上げられている様子。もっともな話ですが、あまり真に受けすぎるのもまずそう。少なくとも、その後に直しの段階があることは大前提です。

追記: このモットーの内容について詳しくは例えば次のページ参照。
ありがとう橋本忍先生(ToT)

小野文恵さんはこの番組の聞き手には若干合っていないように感じられました。番組の性質上、どうせもともとある程度映画好きの人しか見ていないのだから、無理に盛り上げる必要などないのだし、ちょっと反応が大げさ過ぎて感情の押しつけになってしまってます。

番組で言及されていた本はこちら(Amazonアソシエイト)。高い…
悪魔のように細心に!天使のように大胆に! (1975年)

Re: コレが「絵の上手い漫画家ランキング」の完全版です。

コレが「絵の上手い漫画家ランキング」の完全版です。 (SUKEBENINGENSUKEBENINGEN)

この前IKKIを読んだときに『海獣の子供』が載ってたので、この中では五十嵐大介の絵だけは見たことがあることになりますが、正直あの絵は見づらかったですね。絵だけ見れば上手いっちゃー上手いのかも知れないということになりますけど、マンガに適した絵とはあまり思われません。マンガのコマの中の絵は、ストーリーを理解するために次へ次へと読み進めていくものなので、機能面ではむしろ図に近いもので、純粋な絵とは評価軸が異なってくるものなのだろうと思います。

それとこれは絵とは関係ありませんけど、コマ運びにはやっぱり改善の余地があるなと思いました。8/9のエントリで、『さらい屋五葉』とコレとどっちを例として取り上げようか迷ったくらいですよ。

それともう一つ、これは創作の批評では分野を問わず問題になることですけど、純粋な受け手、消費者から見て作品がすごい、面白いという評価軸に加えて、作り手から見てすごい、こういうのはなかなか作れない、ということを評価軸として認めるのかどうかがここでの評価の大きな分かれ目になると思うわけです。

認めても認めなくてもいいんですが、いずれにせよそれは単なるドグマを超えないものでありまして、反対の立場を否定することはできないしすべきでないかなあと思います。