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『オーメン』(1976)【ネタバレ】

 WOWOWにて鑑賞。

  • ある夫婦にできた念願の子供が生まれてすぐ死んだ。夫は、妻が悲しむのを避けようと、同時に生まれたがすぐに母親が死んだ別の孤児を秘密裏に教会から引き取って養子とし、妻に実の子供として渡すことにした。ところがその子供ダミアンが5歳になったころ、夫のもとに件の教会から神父がやってきて、ダミアンは山犬から生まれた悪魔の子供だから、ある男に殺し方を教わって殺すしかない、さもなければ母親をはじめ周囲の人間が次々に死んでいく、私も死ぬと警告される。夫は初め取り合わなかったが、その後警告通り神父と妻が死ぬに至り、ダミアンの出生の秘密を探り始める。紆余曲折の末、神父の警告が正しいと確信した夫は、神父が言っていた男のもとに赴く。そしてそこで悪魔を滅ぼすことのできる聖なる短剣を授かり、ついにダミアンに手を掛けようとするが、あと一歩のところで警察に射殺され失敗、ダミアンは生き残ってほくそ笑むのであった。
  • 悪魔の数字666を流行らせたオカルト映画(上のあらすじでは省略したが、ダミアンの頭に666というあざが付いていて、それが悪魔の子のしるしになっている)。『エクソシスト』が1973年で、この頃は一種のブームだったのだろう。続編もパート4まで作られた。2006年にリメイクもされた。
  • この話の葛藤は、要はわが子(といってももともと養子だけど…)を殺すべきか殺さざるべきかというところで、実際のシナリオではその決心のポイントが話の終盤に来ているわけだから、それよりも前の部分では、ダミアンが悪魔の子でありそうな事情を提示したかと思えば、そうとは思えないような事情も提示して、観客を翻弄しなければならないところだが、そのあたりがあまり上手くなかった印象である。そのために、終盤に入るまで話がダレ気味である。

60点/100点満点

『フライト』(2012)【ネタバレ】

 WOWOWにて鑑賞。

  • 100人乗りの旅客機のある機長が、悪天候と機材のトラブルで墜落の危機に見舞われるが、奇跡的な操縦で不時着に成功、死者はわずか6名で済む。しかし、彼はアルコールとコカインの中毒者であり、搭乗前にもアルコールとコカインを摂取していたために、終身刑もあり得る過失致死罪で訴追されそうになる。しかしそうなってもまだアルコールをやめられない機長。果たして彼は来る事故調査委員会の聴聞会に素面で出席できるのか。
  • 題名や公式サイト(勝手にムービーが再生され音が出るので注意。まだこんなサイト作る人がいるんですねえ)やポスターの作りからすると、なにかパニックムービーみたいにも見えるが、それは冒頭30分くらいだけの話で、残り1時間半の本題は、主人公の機長がアル中から立ち直れるかという話である。制作側からすれば、アル中の引き起こす害悪としてなるべく大げさなものを探した結果、航空機の機長という設定をひねり出したという方が実態に近いのではなかろうか。奇跡の着陸というのは、おそらく2009年に実際に起こったいわゆる「ハドソン川の奇跡」から着想を得たものと思われる。
    アル中映画というと、ビリー・ワイルダーの『失われた週末』(1945)以来、時折思い出したように作られてきた歴史があるが、あまり成功した作品を見たことがない。そしてそれは本作も例外ではない(ただし、序盤の航空機事故のシークエンスは大変よく出来ている)。
  • この話の最大の問題は、機長が事故直前に酔っていたことと、事故で死者が出たこととの間に、因果関係がありそうに見えないことである。因果関係がないのなら、機長が過失致死罪に問われる可能性もない。実際のシナリオでは、過失致死罪で終身刑になってしまうおそれがあるというので、弁護士が飲酒の証拠となりうる血液検査結果を証拠として使えなくさせるために動くくだりがあるのだが、以上のような理由でこれは無意味である。このために、話が大いに弛緩している。
    ところが実際の結末では、結局飲酒を認めた機長が、減刑はされたものの過失致死罪で処罰されたらしい描写になっている。このことからすると、制作者は因果関係がなければ有罪にならないことを見過ごしていた疑いがある。
  • 終盤の展開に納得感が乏しい。
    まず、素面で聴聞会に出席できるかどうかが焦点になるのだが、前述の問題をさておくとしても、聴聞会に素面で出席しなかったからといって事故の際も飲酒していたことになるのか疑問である。久々に友人に会ったので昨晩はつい飲みすぎたとかなんとか、それ自体は言い訳できないほどのことではなさそうである。
    次に、せっかく1週間強禁酒に成功していた機長が、聴聞会前日に泊まったホテルの冷蔵庫に酒を見つけてつい飲んでしまうのだが、これもちょっと納得感が薄い。というのは、少なくとも話の前半では意外に酒に対して意思の強いところを見せていたし、後半に入ってからも、酒を飲むためには何でもするというほどの強い依存性は感じられなかったからである。要するにこのあたりの前フリ描写が不十分なのである。
    また、聴聞会での尋問で、酒についてのウソは得意だからと言ってシラを切りとおしていた機長が、最後の質問で突然翻意したのも納得感が乏しい。機長がカテリーナ・マルケスにそんなに思い入れがあったという話は聞いてない。あれでは脚本家の都合で無理やり人物を動かしたと言われても仕方ない。中盤、ニコールがあれだけ前面に出て来ていたのだから、むしろニコールがここで何か絡んでくるのかと思ったら、全然関係ないまま終わるのにも驚いた。

60点/100点満点

『トゥモロー・ワールド』(2006)【ネタバレ】

 レンタルDVDにて鑑賞。

  • 『ゼロ・グラビディ』のアルフォンソ・キュアロン監督・脚本作。原題は『Children of Men』。
  • 原因不明ながら人類が妊娠できず子供を出産できなくなった近未来。世界各地は戦乱に巻き込まれて混乱の極みにあったが、イギリスだけはかろうじて最低限の平和を維持していた。しかしそのためにイギリスに難民が殺到。イギリスは彼らを次々に逮捕して難民キャンプに押し込めた。イギリス国民との平等な取扱いを求める難民側は、それに反発して「フィッシュ」と呼ばれるテロ組織を作って対抗していた。
    主人公のセオは、かつては社会活動家だったものの、今は役所に勤める小市民である。フィッシュの女性リーダーであるジュリアンと結婚し子供をもうけたこともあったが、その子供は後に死に、ジュリアンとも離婚した。だがある日、セオは15年ぶりにジュリアンに再会し、難民の若い娘キーを海岸まで連れていくための政府の通行証を都合して欲しいと頼まれる。実はセオの従兄は政府の大物だからだ。大金と引き換えにそれを引き受けたセオは、彼に頼み込んで通行証を手に入れることに成功する。ただし、その通行証にはセオが付き添わなければならないという条件が付いていた。そこでセオはジュリアンほかフィッシュのメンバー2名およびキーに同行して海岸へ向かうことになるが、その移動中、謎の集団の襲撃を受けて、ジュリアンが射殺され、警察にも追われることとなる。セオは、生き残ったフィッシュのメンバー及びキーと共にフィッシュの秘密のアジトである牧場に逃げ込むが、そこで実はキーが妊娠していることを知る。彼女が海岸に行く目的は、人類の不妊を研究する組織「ヒューマン・プロジェクト」の船「トゥモロー号」に乗船して出産するためだったのだ。だが、フィッシュのメンバーたちは、警察にも追われているし、政治的にも有利に利用できるからということで、トゥモロー号へ向かうのはひとまず延期してここで出産すべきだと主張し、キーはそれを受け入れる。しかしその夜、セオはフィッシュの幹部たちが生まれてくる子供を政治的に利用するために、それに反対していたジュリアンを襲ったことを知る。また、彼らが遠からずセオを始末するつもりでいることもわかる。そこでセオは、そこから逃げ出してキーをトゥモロー号に連れていくことを決意する。
  • ここまでがいわば話の導入で、その後は、おおざっぱに言えば、フィッシュに追われたり難民と政府との内乱に巻き込まれたりしながら海岸に向かう話になる。『ゼロ・グラビティ』と骨子において似ていると言えなくもない。
    CGを駆使したアクションシーンの映像はリアリティと迫力満点、『ゼロ・グラビティ』ほどの予算感はないにしてもなかなかよく出来ている。
  • しかしシナリオ面には問題が多い。なかでも最大の問題は、どうしてキーがトゥモロー号に行くべきなのかがよくわからないところである。別にトゥモロー号に行かないと子供が産めないわけでもなければ、キーがトゥモロー号に行くと他の人間も子供を産めるようになるというわけでもないようであり、またキーがフィッシュに残ったからといって彼女や子供が殺されるわけでもないので、観客としては特にセオの行動を支持し応援する理由がないのである。実のところ、キーは放っておいてセオだけ逃げだせば済んだ話ではなかろうか。強いて制作側の意図を推測すると、珍しく久々に生まれた子供として政治的に利用されると、何かと子供の気苦労が多くなり幸福な人生を歩めなくなると言いたかったのかも知れないが、どうもあまり説得的ではないようである。いずれにせよ、ここは話に乗れるかどうかを左右する重要なポイントなのだから、すべての観客が容易に理解できるように説明しておかないとダメ。
  • もう一点指摘すると、設定において「子供が生まれなくなった」ことと「世界各地が戦乱に見舞われた」ことの関連が見えなかった。一般に、フィクションにおいて現実に起こるかどうかわからないような仮定を置くことそのものは許されるが、そのような独立した仮定の数は少なければ少ないほどよく、理想的には1つだけであるべきである。なぜなら、非現実的な仮定が多ければ多いほど、その仮定が成り立つ確率が下がり、その物語が観客の未来を予言するものでなくなるからである。したがって、本当は「子供が生まれなくなった」ことと「世界各地が戦乱に見舞われた」ことに何らかの関連があった方がよかった。

45点/100点満点

『ブギーナイツ』(1997)

 WOWOWにて鑑賞。

  • アメリカポルノ映画界の伝説的男優ジョン・ホームズの半生記をモデルにした話。作品全体を貫くような筋は特に存在しないのだが、ポルノ映画監督のジャックに男優として見いだされ、業界のスターとなってから、徐々に上手くいかなくなり、殺人事件に関与するあたりまでの彼の人生が、彼の周辺の人物のエピソードも織り交ぜながら描かれる。
  • 作品のスタイルは『サタデー・ナイト・フィーバー』『アメリカの夜』『パルプ・フィクション』あたりの影響を受けていると見られる。
  • 監督・脚本のポール・トーマス・アンダーソンはこの当時27歳。セルフプロデュースのようだが、ずいぶん恵まれた人である。ちなみに、この作品の元になった短編映画を撮ったのは18歳のときだそうである。
  • シナリオ面をいうと、それ自体興味深い業界の話であるうえ、モデルになったジョン・ホームズの生涯が波乱万丈なので、話の中身にそれなりに惹きつけるものはあるが、話の構成には起こったことを時系列順に並べているだけという面があり、やや散漫な印象を免れないし、結末の印象も曖昧である。しかし俳優たちが個性派揃いで、演出面には傑出したものがあるようである。同じアンダーソン監督・脚本作の『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』も同様の傾向であった。

67点/100点満点

『旅するW座 ~薫堂、水丸、カンヌに映画を探しに行く~』

 映画じゃないのだけど、WOWOWにて再放送で鑑賞。

  • WOWOWのシネフィル向け映画放送枠「W座からの招待状」の2人のコメンテーター、小山薫堂と安西水丸が、国際映画祭開催中のカンヌに映画の買い付けに行くという特別枠。昨年放送されたものだが、安西水丸氏がこの3月に71歳で逝去されたことから追悼番組として急遽再放送された。
  • 安西氏は率直な物言いをする人で、比較的無難な線を狙った発言の多い小山氏との組み合わせはバランスのとれた名コンビではなかったか。番組を見る限り特に健康に問題がありそうにも見えなかったが、これほど急に亡くなったことを残念に思う。
  • 番組の中身についていうと、カンヌの映画祭の一部として開催されている見本市に映画を買い付けに行くというコンセプト自体はなかなか興味深かったが、実際の買い付けのプロセスの本質が見えたようにはあまり思えなかった。なにしろカネの話がほぼまったく出てこない。買い付けとなればまず一番大事なのはそこだろう。番組では既に候補作品が2本に絞られていて、2人が担当者からの売り込みも受けつつ、その2本を鑑賞してどちらを選ぶか決めるという構成であったが、実際にはその2本が決まるまでが肝心なところなんだろうと思う。まあそれに、2本の映画そのものが放送されないものだから、2人が選んだ理由がよくわからないのもちょっといかがなものか。
  • ただカンヌやその周辺の町並みは実に絵になる景色であった。

『人生の特等席』(2012)

 WOWOWにて鑑賞。

  • クリント・イーストウッド製作・主演作。だが監督作ではない。
  • かなり複線的な話なのだが、本筋に限って言えば、昇進目前のモーレツキャリアウーマンの娘が、野球のスカウトをしている父が失明の危機にあるというので、父の下に駆けつけて父の仕事の手伝いをするという話である。父の世話と昇進とを両立できるかというのが一応の葛藤になっている。
  • 原作のないオリジナル脚本作で、良くも悪くもウェル・メイドな話、いかにも脚本家が考えた風なストーリー構成である。つまり型どおりで凡庸ではあるがある種の安定感はある。
  • このシナリオのいいところと言えば、やはり話の前半で父と娘の人間関係が魅力的に描けているところだろう。セリフ回しもそこそこ気が利いている(もしかするとこの2つは同じことを言っているのかも知れない)。
  • 一方、問題点はまあいろいろあるのだが、一番大きいのは葛藤が弱いところだろうか。昇進か父かというのは確かに本人にとっては悩みどころだが、昇進は倫理的にみて義務ではないので、両立できるように努力はするにしても、できなければ昇進はあきらめるしかないねということで観客には初めから結論が見えているわけである。だから、観客としては、昇進と父とでどちらを選ぶべきかについて詳しく検討しようという意欲がわかない。そういう意欲は、続きを見たいという興味の源泉であって、「どうなるんだろう感」を演出するために重要である。これが例えば、離婚した父と母が同時に病気になって、どちらかしか面倒を見られないなどという話であれば、どちらへの義務が優先するかに観客は興味津々のはずである。本来葛藤とはそうあるべきである。そういう意味では、ドラマの観客は裁判官なのである。
  • もう一つ問題点を挙げるとすると、結末に意外性がないことであろう。アリストテレスいうところの、ペリペテイアのない単純な筋になっている。さらにいうなら、ちょっと都合がよすぎるようでもある。
  • クリント・イーストウッドの演技は相変わらずいい味を出している。娘役のエイミー・アダムスもなかなかの美人。その恋人役のジャスティン・ティンバーレイクは、イケメンではあるがちょっと男性らしさが足りなかったような気がするけど、まあそれは役柄自体の問題かな。

68点/100点満点

『疑惑の影』(1943)

 WOWOWにて久しぶりに再鑑賞…のはずなのだけど、かなり断片的にしか覚えてなかった。

  • ヒッチコック中期の作品。
  • ざっくりあらすじを言うと、田舎に住む若い女性が主人公で、ある日彼女の叔父にあたる男が主人公の一家を訪れてそこにしばらく滞在することになるが、彼はどうやら警察に追われているようであり、主人公は彼が罪を犯したのかと疑うという話である。
  • ヒッチコックの全盛期は1951年の『見知らぬ乗客』あたりからで、本作あたりでは、ヒッチコックらしさの片鱗は伺えるものの、まだ粗削りの印象が拭えない。といっても、この作品の問題は演出より脚本の方である。ヒッチコック作品の成功は、アルマ夫人が脚本に口を出すことでストーリーの質が高まったのが一因と聞くが、実はこの作品では夫人自身が共同脚色を担当している。やはり自分で書いたものを客観的に見るのは容易ではないということか。
  • このシナリオの最大の問題点は、語り手である姪がただ疑い続けているだけで、何かをするように倫理的にダブルバインドされていないというところである。つまり葛藤が不完全である。本来は、例えば彼が本当に殺人者なら彼が目撃者を殺すかなにかしようとしているのを防ぐために彼女は警察に協力しなければならないが、殺人者でないなら冤罪で処刑されるのを防ぐために警察から匿わなければならない、という風になっていなければならない。ところが実際のこの話の状況では、殺人者であろうがなかろうがどちらにしろ(血縁者としては)匿うことになるから、姪のなすべき行動自体にほとんど悩みが出てこないのである。そのあたりを朧げながら意識した形跡が話の終わりの方にあるが、あまり成功していない。

60点/100点満点

『サンセット大通り』(1950)

 WOWOWにて鑑賞。

  • ビリー・ワイルダー監督のフィルム・ノワールもの(この時期にアメリカで盛んに作られた画面・ストーリー共に暗い雰囲気の悪女ものB級犯罪映画)。ビリー・ワイルダー監督作としては比較的初期の作品。アカデミー脚本賞受賞作。
  • あらすじを一言でいうと、自信過剰な往年の大女優が、映画界に復帰しようとするが相手にされず、たまたま痴情のもつれから売れない脚本家である若い男の愛人(彼が語り手)を撃ち殺す事件を起こしたことで、やっとカメラの前に立つことができた(報道のカメラだが…)という話である。サンセット大通りは彼女の住む豪邸のある住所。
  • 一応脚本賞受賞作ではあるのだが、葛藤もテーマも弱い。ここでいう葛藤とは、どちらかに決めなければならないがどちらを選ぶのが正しいのか迷う状況(“To be or not to be. That is the question.” [Shakespeare])のことである。またテーマとは、その背景にあり正当性を決める根拠についての問いである。この話に出てくる決断らしい決断と言えば、話の中盤以降に出てくる、老大女優の下に愛人として留まるか、それとも友人の婚約者と駆け落ちするかという点くらいだろうか。しかし3人はいずれも独身なのだから、これはあまり規範的問題を含まない問題で、まあ言ってしまえば観客にとってはどちらでもいいような話である。いわゆる「本人たちにとってのみ重要な話」であり、その意味でメロドラマ的である。いや、そもそもそれ以前の問題として、主人公はあのオバサンのことをどう思っていたのか曖昧である。すぐ自殺しようとするから同情していただけなのか? 少しは愛していたのか? しかし見た目から言えばそれはちょっと無理がありそうな気がするのだが。
  • また、語り手が既に死亡しているという構成は矛盾だし、結末も弱い。物語における語り手の位置づけに関する理解が曖昧なのであろう。
  • 結局のところ、シナリオ面でそれほど秀でている作品とは思われない。

50点/100点満点

『戦火の勇気』(1996)

 WOWOWにて鑑賞。

  • 湾岸戦争の戦闘である女性士官が戦死した。終戦後、その勇敢な戦いぶりに合衆国勲章の授与が検討される。だが調査を命じられた主人公は、彼女の部下たちの証言を調査していくうちに、彼女の行動に不審を感じ始める。果たして彼女は勲章を与えられるに値する兵士だったのか。
  • 以前後半だけ見たことがあって、印象に残っていた作品だったのだが、フルで見たのは今回が初めて。それなりによくできている話だと思うのだが、世間の評価が辛目なのは、やはり映画ファンであれはあるほど『羅生門』の二番煎じという考えが頭をよぎるからか。

『ホビットの冒険 竜に奪われた王国』

 3D吹き替え版にて鑑賞。

  • 『ロード・オブ・ザ・リング』(指輪物語)シリーズの前日譚にあたる『ホビットの冒険』の映画化三部作で、『ホビットの冒険 思いがけない冒険』に続く第二作。今回は175分の大長編となった。
  • 13人のドワーフと魔法使いガンダルフとともに、はなれ山に住む竜退治の冒険に出かけたホビット族のビルボ。旅の途中、ドワーフたちの宿敵オーク族のアゾク一味に追われたり、トロルやゴブリンに捕まったりしつつも、辛くもそれらの危機を切り抜け、姿を消すことのできる魔法の指輪「一つの指輪」を手に入れたというのが前作までのあらすじ。
  • 続きを旅する本作でも、一行は相変わらずオークに追われ巨大グモだの森エルフだの地元の町の人間だのに捕まるのだが、例によってなんとか危機を切り抜ける。そしてついに旅の目的地、はなれ山に辿り着き、ドワーフたちの宝を独り占めしている火吹きの竜、スマウグを倒すために奮戦する。しかし結局それは上手くいかず、怒った竜が地元の町エスガロスを襲いに行くところで話が終わる。
  • 相変わらず背景美術は美しい。今回はホビット庄やエルロンドの館は出てこないけれど、ブリー村やエスガロスといった町の造形が見どころである。
  • そしてまた相変わらずシナリオは今一つである。前作から、というより『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズの頃から続くこの脚本家の根本的な問題として、人物の動機付けが雑という問題があって、これはある程度は原作側の問題でもあるが、アリストテレスが『詩学』で指摘しているように、文章で表現された物語と比較して、シーンそのものを再現して見せるドラマでは、出来事や行動の不自然さが露見しやすいので、小説を原作に使うなら、そこを補うのは脚色者の責任である。
  • また、本作には原作にないちょっとしたロマンスの筋が追加されているが、いかんせんこちらも人物の動機付けが薄いし、そもそも本筋との関係が希薄ないかにもとってつけた風な筋で、つまるところこの試みは成功していないというほかない。
  • またこのシリーズには、『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズとのつながりを強調する冥王サウロンの復活に関する筋が追加されている。確かに、指輪物語の原作の追補編では、当時サウロンが着々と復活の準備を進めていたことにされてはいるのだが、それは後付けの設定であって、『ホビットの冒険』の話そのものにはあまり関係がない話である。そういう話を無理に付け加えているものだから、その筋に切り替わるたびに話が停滞してしまっているように感じられた。
  • 総合評価としては、まあ、原作通りの筋の部分については、原作ファンに対しては一応の合格点をつけられるだろうけれども、前作同様、一見さんにはお勧めできない出来である。

30点/100点満点
ただし原作ファンに対しては60点