映画短評」カテゴリーアーカイブ

『レベッカ』(1940)

 dTVにて鑑賞。

  • ヒッチコックが渡米後に撮った第一作。ヒッチコック作品唯一のアカデミー作品賞受賞作。ちなみに有名な話だが、ヒッチコックは監督賞は一度も取っていない。
  • dTVで見られるヒッチコック作品ということで(よそでも見られる著作権切れ作品が中心なので、ヒッチコック作品目当てでdTVに加入するのはお勧めしない)、何の気なしに鑑賞してみてびっくり。こりゃまず間違いなく『うみねこのなく頃に』の元ネタの一つだ。なにしろ洋館だの壁に掛けられた肖像画だのベアトリーチェ(英語映画なので劇中での発音は「ベアトリス」)だの、見覚えのあるモチーフがゾロゾロ出てくるのもそうだが、なんといっても「愛情のもつれの末に使用人が洋館に火を放って自殺する」という結末が『うみねこ』そっくりである。『うみねこ』でヤスが島を爆破した動機は十分に描かれず、世間でもそれが度々批判されていたが、この『レベッカ』を見てほんの少し理解に近づいたような気がする。
  • この作品そのものの出来はあまりよくないというか、ミステリーでもサスペンスでもないので、ヒッチコックらしい作品を期待してみると肩すかしを食わされる。ただ、『めまい』あたりの原型のような話でもあり、そういう意味ではヒッチコックらしさがないとも言い切れない。ともかく、話のはじめの方ではっきりとしたテーマ・問題が提示され、それについてストーリーが進んでいくという構成の話ではない。いったい何に興味を持てばいいのかよくわからないままに話が進む。その意味で少なくとも筆者好みのシナリオではない。

50点/100点満点

『バルカン超特急』(1938)

 WOWOWメンバーズオンデマンドにて鑑賞。

  •  結婚を控え、ヨーロッパのとある小国へ友人たちとともに独身時代最後の旅行に出かけていた主人公アイリス。日程を終え、駅で友人と別れてフィアンセの待つロンドンへと旅立つ特急列車に乗り込もうとした彼女は、老女フロイがカバンが見当たらないとホームを探し回っているのに気付く。アイリスはフロイを手伝って一緒に探してやるが、その際駅舎の上のほうにある窓から落ちてきた植木鉢で頭を打つ。フラフラになりながらもフロイに助けられつつかろうじて列車に乗り込んだアイリスは、その直後気を失ってしまうが、やがて気が付いたときには6人がけの車室にいた。目の前の席にはフロイ、その他の席には知らない乗客が都合4人。フロイがここまで連れてきて介抱してくれたようだ。アイリスとフロイは通路を通って食堂車へ行き、ともに紅茶を飲む。フロイはかの国で家庭教師をしていた英国人で、イギリスに帰国するところだという。たまたまその食堂車に居合わせた英国人男性二人とちょっとしたやり取りなどがあったあと、二人は座席に戻る。アイリスはやがてうとうととするが、目を覚ましてみるとフロイはいなくなっていた。アイリスが他の乗客たちにフロイはどこに行ったのか聞いてみると、皆フロイなる人物は元々いなかった、目の前は空席だったとおかしなことを言う。食堂車に戻り、給仕に聞いてみても、アイリスはさっき食堂車に一人で来た、フロイなる人物は知らないという。伝票にも紅茶1杯の注文しか書かれていない。アイリスは列車中を探し回り、フロイは見つからなかったものの、出発前の宿でたまたま知り合っていた英国人ギルバート(前に食堂車で会った二人とは別)と再会する。ギルバートは一緒にフロイを探してくれるようだ。元の車両に戻って、別の車室の乗客や、さっき食堂車にいた二人の英国人にもフロイのことを聞くが、覚えていないという。同じ車両に乗り合わせていた脳外科医ハーツはその経緯を聞いて、頭を打つと記憶が混乱することがあると話す。
     果たして、本当にフロイは実在せずアイリスの記憶違いに過ぎなかったのか。それとも乗客や給仕たちが示し合わせて嘘をついているのだろうか。もしそうだとしたら一体何のためにそんなことを? そしてフロイの行方は?
  • 英国時代のヒッチコック後期の作品。ミステリーよりサスペンスを好んだと言われるヒッチコックにしては珍しく本格ミステリー風な出だしのプロットなのだが、実は上で説明した序盤のあと、すぐにアイリスの記憶違いではなかったことが観客に開示される。その辺りはやっぱりヒッチコック流である。ただこの作品に限って言えば、アイリスが誰かに狙われているというわけでもなく、情報を早く開示したことがサスペンスにつながっていない。その意味であまり成功していないと思う。やはりヒッチコックの全盛期はアメリカに渡ってからで、英国時代はまだ粗削りである。
  • よくできたドラマでは、「どうやら話が本題に入ったらしい」感じがする時点というのが存在するものだが、この話ではフロイが消えた時点がそれに相当する。本題に入るというのが具体的に何を意味するかの一般的ルールはあまり明らかでないが、大まかに(1)動機(パトスないしメタバシス)の発生で説明する (2)テーマ(葛藤)の提示で説明する の2つの方向性が考えられる。この話を見る限りでは(2)が有望なように思える。

65点/100点満点

 画質はあまりよくないが、著作権切れのためYouTubeでも鑑賞可能。

『24 -Twenty Four- (Season 1)』(2001-2002・TVドラマ)

 dTVにて鑑賞。

  • アメリカ民主党の大統領候補予備選挙の当日、深夜0時からの24時間を、リアルタイムで描くという体裁のTVドラマシリーズ。1話につき劇中の時間で1時間進む(CM部分等があるので正味の尺は40分強)。もともと13回シリーズの企画だったのを好評につき24回に延長したそうで、話の中身は13話までの前半とそれから後の後半で分断されている感じ。というより、前半部分でいったん終わった話を後半で再度繰り返しているように見える。
  • プロットは、主として3つの筋が同時進行で進む形で、前半部分の内容を中心に紹介すると次のようになる。
    1. アメリカのテロ対策政府組織CTUは、この日行われる民主党の大統領予備選挙の有力候補者デイビッド・パーマー上院議員が本日暗殺されようとしているという情報を掴み、テロリストの関係を中心に捜査を始める。一方で、CTUの主任捜査官であるジャック・バウワーは、CTUの局長ウォルシュから、CTU内部にこの件の内通者がいるらしいからそれが誰か突き止めて逮捕しろという極秘命令を受ける。果たしてジャックは内通者とテロリストを逮捕することができるのか。
    2. ジャックの娘キンバリー(キム)は深夜、友人のジャネットとともにこっそり家を抜け出し、男子たちとの合コンに行く。それに気づいた妻のテリーはジャネットの父とともにその行方を捜す。しかしそれらは罠だった。結局キムとテリーはテロリストの人質になってしまう。その狙いはジャックを脅してパーマー候補を暗殺させるためだった。果たしてジャックは、パーマーを守りつつ、かつ家族も取り返すことができるのか。
    3. デイビッド・パーマーの息子キースは、7年前に姉のニコールをレイプしようとした男を窓から突き落として死亡させたことがあったが、母のシェリーが方々に手を回した結果、それは事故死として処理され、真相はデイビッドに知らされなかった。ところがここにきて、著名ジャーナリストのモーリーンがこの疑惑を嗅ぎ付け、大統領予備選が行われるこの日の朝のニュースで報道するという情報が入る。キースのしたことは、正当防衛ないし過剰防衛が認められる可能性があるし、デイビッド自身は知らなかったことではあったが、これが報じられれば優勢だった選挙情勢が一気に逆転する恐れもある。デイビッドは、妻が事件を隠ぺいしたことに怒るとともに、選挙への影響を最小限に食い止めるため、報道より前に自ら事件を公表し謝罪しようとする。しかし妻シェリーはそれに反対し、有力な選挙支援者たちに依頼してモーリーンに圧力を掛け、また事件の証人を殺し証拠を隠滅して、報道を止めさせることに成功する。だがキース本人はこのやり方をよしとせず、すべてを認めて自首しようとし、デイビッドもそれを支持してこの件を公表しようとするが、シェリーと選挙支援者たちはそれを止めさせようとする。果たして事件は闇に葬られるのか。そしてパーマーは選挙に勝利できるのか。
  • 昔だいぶ話題になったシリーズなので観てみたが、期待したほど面白くないというのが正直な感想である。上述のあらすじで、「果たして~」の形式で表したものが、それぞれの筋の表面的な意味でのテーマということになるが(相反する可能性が示されることでテーマ=謎が提示される)、この意味でのテーマに観客がどの程度関心を持つことができるかでドラマの大体の面白さが決まる。そして、第2の筋のテーマにはそれなりに関心を惹かれるように作ってあるが、第1第3についてはそうでもない。観客からすれば赤の他人である登場人物の身の上に起こることに関心を持たせるには、同じ状況に置かれれば観客の身にも同じことが起こりそうであり、かつ結果が重要であることを示す必要があり、そのためには多くの場合、事件の被害者がいかにもっともな行為をした結果被害を受けたか、そしてそれがいかにあり得ることであるかを示すことが必要である。第2の筋では、被害者である2人がどのようにして誘拐されたか、そしてどのような危険に晒されているかが比較的丁寧に描写されているのに対し、第1第3の筋ではそもそも被害の内容からして曖昧である。内通者がいたら、あるいは事件が闇に葬られたら具体的に誰がどう困るのか、よくわからないままに話が進む。内通者がいたところで犯人の具体的目星もついていない状態では特に害はなさそうではないか? デイビッド自身が殺したわけでも隠したわけでもないのだから大統領にふさわしいかとは本来無関係な話で、事件が明らかになろうがなるまいがどちらでもいいのではないか?
  • シリーズ前半は、情報を隠そう隠そうとして失敗した感があり、どうも退屈なシーンが多かった。後半はそこが改善され、示すべきことは示す方針に転換したようで、その分見ていて退屈しなくなった。例えばシリーズ後半、テリーを捕り逃したテロリストたちが、どこを探しても見つからなくて困った挙句、待ち伏せしてやろうと彼女の自宅へ向かうのだが、一方、記憶喪失になりそこまでの記憶をなくしたテリーが、馴染みの医師に自宅に送ってもらう、という下りがある。もしシリーズ前半のセンスで脚本家がこの下りを書いたとするなら、「テロリストたちがテリーを待ち伏せしようと自宅へ向かう」部分は省略して観客に隠しておいて、何も知らずにテリーが自宅について腰を落ち着けたところで突然テロリストに襲われるというプロットになっただろう。だがこれではよくない。サスペンスが成立しないからという言い方もできなくもないが、それよりも、これではテリーが自宅でテロリストに襲われたのはノコノコ自宅に戻ってきたからだという因果関係が表現されないからである。
  • しかしそういう細かい点もさることながら、一番根本的な問題は、この物語に実質的な意味でのテーマがないことのように思われる。ここでいう実質的テーマとは、現実世界に通用するような疑問、ないしはそれに対する答えのことである。実質的テーマを持たない作品は、観客にしてみれば、最後まで見たら何か常日頃知りたいと思っていたことへの答えが得られそうだという期待が持てないし、実際話が結末を迎えても何かしら意義あるものを得たという実感がない。ドラマにこういう意味でのテーマは必要ないという人もいるが、それでは子供だましの話になってしまう。それが通用するのは、対象年齢層の低いマンガ業界くらいのものである。観客の年齢が上がれば上がるほど、得るところのない話を観るのが馬鹿馬鹿しくなる。昔から言われる名作の条件「おもしろくてためになる」の2つの要素はやはり両方とも必要なのである。この作品には、というかアメリカのTVドラマは大抵そうなのだが、「ためになる」の要素が薄い。

『太陽を盗んだ男』(1979)


 レンタルDVDにて鑑賞。

  • とある高校の冴えない理科教師である城戸が、プルトニウム化合物の溶液を原発から盗み出し、自宅でそこから精製したプルトニウムを使って原子爆弾を制作することに成功。警察に脅迫電話をかけて日本政府に対し様々な要求を繰り出す。その内容は、プロ野球のTV中継を試合終了まで延長しろだの、ローリング・ストーンズの日本公演を実現しろだのという奇妙なものだったが、実現しなければ原爆を爆発させるというので、日本政府はそれらの実現のため東奔西走する。事件を担当することになった山下警部は、果たして城戸を逮捕することができるのか、という話。
  • 純然たる娯楽アクション大作で、子供にはちょっと難しいかも知れないがだいたい誰が見ても楽しめる出来。芝居もいいし、爆薬の量もまずまず。昔の邦画はよかった。
  • プルトニウムを盗むところはちょっとウソ臭かったが、その後の原子爆弾の制作過程がなかなかリアルな感じ。Wikipediaによると、精製はともかく爆縮させる機構が難しいのであんな簡単にはいかないとのことではあった。作中では原爆として起爆できたかどうかがはっきり描写されなかったから、実はできてなかったという解釈も可能か。
  • 上述のあらすじはどちらかというと山下視点で記述したが、実際のプロットは城戸と山下の両方の視点で進むサスペンスである、つまり城戸の意図はおおむね早い段階で観客に開示される。むしろおそらく城戸視点のシーンの方が多く、ピカレスク調のストーリーと言うこともできそうである。そのため一見シリアスな話に見え実際に演出もそうなっているが、筋の本質はむしろ喜劇的である。つまり城戸と山下のどちらのすることも結構わかるナア、でも両方の望みは叶えられそうにない、なんとかならないかナアという喜劇型の葛藤で話を進めていく構造のプロットになっている。観客がもし城戸のように原爆を手に入れてしまったらやはりそれを使って望むものを手に入れようとするかもしれないし、山下の立場だったらなんとしても城戸を捕まえようとするだろう、と思えるように語られているのである。ただ結末では残念ながら葛藤を解決できてなくて、そこが最大の欠点である。こういう話はどちらにもそれなりの幸福が訪れて終わらないとダメだろう。とはいうものの、総じて話運びは自然で、近頃の邦画には見られないレベルの高いシナリオである。
  • ロケ撮影では無許可撮影や危険なスタント、交通妨害など相当な無茶をしたようで、予算を別としても今同じものを撮ろうとしてもまず無理だろう。しかしとにかく見ごたえのある映像の多い作品であることは確かである。現代と変わっているようで案外変わっていないところもある70年代後半の新宿の様子を眺めるのも楽しい。

75点/100点満点

『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』(1995)


 WOWOWメンバーズオンデマンドにて久しぶりに再鑑賞。

  • 攻殻機動隊シリーズの新作映画の公開も間近とのことだが、これはもっとも有名な最初の劇場版。
  • 個々のシーンはやはり文句なく格好よくできているが、話の方は……。初めて見たときは中身がさっぱりわからなかったし、いま何度目かに見てもやっぱり判りにくい。尺の都合はあったろうが、ややこしい設定がいろいろとあるのだからもう少し丁寧に説明できなかったものか。
  • とはいえ何度か見て表面的な話の筋は判ってきたが、しかしそれでもわからないのは、素子が人形使いと融合したからといってそれがどうしたのかということである。素子が9課を辞めたがっていてそれが実現したのはわかるし、バトーが振られてしまって悲しいのもわかるが、人形使いと融合したことそのものに対する語り手の評価が明らかでない。将来人類はネット上の人格として他の人格との融合と淘汰を繰り返しながら生きていくのがいい(だからこの結末はめでたしめでたしである)と言いたいのか? しかしそうだとすればそれはあまり説得的ではないようである。それに、ネット上に魂が存在できるというのはこの物語世界内の設定であって、現実世界でそのようなことが実現可能であるとも考えにくい。フィクションと言えどメイン・テーマくらいは現実に通用する何ものかを表現すべきではないか? さもなければナンセンスな話になってしまう。
  • また、これは押井守、というより伊藤和典のシナリオに特徴的なことだが、動機が極めて弱い。とりあえず刑事なんだから事件が起こったら犯人を追うでしょ、という以上のものがない。これはパトレイバーの映画のときもそうだった。一つには、戦闘シーン偏重で、事件そのものについてはセリフで要旨が説明されるのみ、それ自体の描写は極めて不十分だからである。犯人が何か不当なことをしているということを観客が実感できないまま話が進む。だから素子たちがしていることにあまり肩入れできないのである。つまり厳密に言えばここでいう動機付けは人物の動機付けというよりは観客の動機付けである。

『ブロンコ・ビリー』(1980)


 NHK BSPにて久しぶりに再鑑賞。

  • クリント・イーストウッド監督・主演の人情もの喜劇。年代的にはダーティーハリーの3と4の間くらい。筋はともかくキャラクターが魅力的で、クリント・イーストウッドの監督作の中ではこれがドラマとして一番よくできているかな。

70点/100点満点

『女王蜂』(1978)


 WOWOWにて鑑賞。

  • 市川崑監督、石坂浩二主演。市川・石坂のコンビによる金田一耕介シリーズ第4作。
  • 金田一耕介の映画は、作品によってけっこう出来にバラつきがあるのだけれど、これは上出来な方。シナリオはちょっと原作をいじりすぎて理解しにくくなったようなところがあるが、とにかく役者の芝居がいい。

70点/100点満点

『アナと雪の女王』(2013)


 WOWOWにて鑑賞。

  • 去年大流行したご存じアナ雪。しかしアメリカでの初公開は2013年で、公表年としては一昨年の作品ということになる。シナリオは大したことないようだったので、そのうちWOWOWでやるだろうと思って見送っていたら意外と時間がかかった感あり。放映権の交渉が難航したのかもしれない。今般の放送では、ディズニースペシャルと称する特集を組んでその他のディズニー作品と一緒に放送している。さては抱き合わせで買わされたか?(邪推)
  • あらすじはWikipediaにあるのでまた省略。最近Wikipedia日本語版では映画のあらすじをきちんと最後まで書くようになったのだろうか。
  • まあとにかく歌曲の出来は確かに秀逸である。普通ミュージカル映画というのは、それなりにヒットしたものでももう一度聞きたいと思えるようないい曲は大抵1曲だけ、オマケしてもう1曲くらいで、その他はイマイチな出来のものが多いもの。しかしこの作品の歌曲は粒揃いで平均的にレベルが高い。こうなるとシナリオがイマイチだったとしても歌曲シーンだけで十分間が持ってしまう。吹き替え版と字幕版の両方観たが、やはり音楽的には字幕版の方がいい。
  • シナリオ面。原作はアンデルセンの『雪の女王』だそうだが、エルサを前面に出すために相当無理をして改変したらしく、プロット面は特に終盤にかけて無理があったようにも思われる。一応構造を分析しておくと、実質的に主人公はクリストフで、彼の目標はアナを助けること(つまりパトスはアナの死亡)、葛藤になっているものはアナへの愛情、葛藤の解決はハンスが悪人だったというアナグノーリシスによる。いずれにしてもメロドラマ的な葛藤なのであまり深刻なものにならないが、コメディだからこんなものでいいのだろう。
  • 一方でダイアローグはコメディとしてかなりよく出来ている。主人公のアナは楽観的で人を信じやすい性格で、それでトラブルに巻き込まれるのではあるが、そこが観客から見て魅力的なキャラクターに仕上がっている。脚本家が女性であることもあってか、女性キャラが率直かつリアルに描けているのもいい。その代わり、男子キャラは少々理想化されているようであった。2人の男子のどちらを選ぶかという話であるというところも含めて、このあたり、『時をかける少女』(2006)となにか同じ匂いがする。
  • 公開時に『Let It Go』の吹き替え版の訳詩についてネットで議論があったが、全編通して観てみると、やはりあの訳詩はあまりに前向き過ぎるように感じられた。あそこはやはり絶望的なシーンなのではないだろうか。
  • この話の寓意をどう解釈するか? 元の童話を相当捻じ曲げているのであまり悩んでも仕方ないのかもしれない。

70点/100点満点

『インターステラー』(2014)【ネタバレ】


 dTVレンタルの無料キャンペーンにて鑑賞。

  • ノーランの新作SF。詳しいあらすじはWikipediaに完全なものがあるので省略。
  • とにかくブラックホールという題材で一本撮りたかったといったところかと思うが、どうにも無理のあるプロットである。いくら物理学で事象の地平面のあちら側では何があっても不思議ではないとされているといっても、いきなり自分の家の娘の部屋につながるってのは納得しがたい。科学的考証に凝ったという触れ込みだったが、ハードSFとは言えない程度である。また、ノーランのシナリオではいつものことだが、どうも不必要に話が込みあっているようである。それだから説明ゼリフも多くなる。
  • この話の葛藤の構造は、本来的には、(ア)移住可能な惑星へ行って人類を救うが地球に帰って娘に会うことはできなくなる (イ)人類は絶滅するが地球に帰って娘との約束を果たす の2つの選択肢のどちらを選ぶかというものだったろうと思う。一方は倫理的義務でもう一方はそうでない(少なくとも相対的に重要でない)ので、観客から見てどちらを選ぶべきかに議論の余地がない「悲劇型の葛藤」である。主人公が人類を救うために娘を諦め、そのことに観客が罪悪感を感じる。そして両方を解決する方法として重力方程式を解くという方法が提示されそれが実現することにより、罪悪感が払しょくされてカタルシスを得るという筋書きである。いや、そういう筋書きのはずであった。
    この種の葛藤で大切なのは、主人公は躊躇なく倫理的義務の方を選択しなければならないということである。なぜなら、娘と別れなければならないのが倫理的義務のせいだからこそ観客がそのことを申し訳なく思うのだからである。つまり、順序としてはまず先に主人公が倫理的義務を選択・決断するシーンがあって、その後に観客の同情を買うようなシーンが来なければならない。
    ところがこの話だと、この原則に反して、主人公が地球に帰ることに色気を見せ続けるので、観客の罪悪感と同情の度合いが低くなってしまっている。主人公が両立の道を模索してはいけないということではないが、いつまでも決断しないでいて、主人公は倫理的義務を履行しないのではないかと観客に疑わせるようではいけない。
  • dTVのレンタルを初めて利用したが、Google Playと比べると1回の支払いで吹き替え版字幕版両方選べる点、再生位置のレジュームに対応している点などが優れている。

55点/100点満点

『ベイマックス』(2014)【ネタバレ】


 Google Play「旅のおともに、映画を1本プレゼント」キャンペーンにて無料でレンタル鑑賞。日本語吹き替え版。

  • ゴールデンウィーク中限定で映画が1本無料で見られるというキャンペーンが実施されていたので、それで観た。Google PlayはAndroid向けアプリの販売サイトとして有名だが、映画・音楽等のコンテンツの販売・レンタルも行っており、それらはPCでも鑑賞できる。
  • シナリオだが、このプロットにはゆがみを感じる。この話の過程で主人公が避けるべき忌まわしい結果(パトス)は何かという問いに明確な答えがないようである。一応の主人公の目標として放火犯の逮捕というのがあるが、兄のタダシもキャラハン教授も死んでしまったのだから、今更逮捕しても彼らが戻るわけでない。だからヒロの動機付けと共感が弱く、どうも盛り上がりに欠ける。本来なら、初めから教授の娘を助け出すのが目的になるべきだったのではないか。中盤~終盤になってからそれが出てくるのは遅すぎる。また中盤にマスクの男に殺されそうになってそこから逃げるという目標も出てくるが、後述のようにマスクの男が放火犯なのかが曖昧であることもあって、マスクの男がヒロたちを殺すことで何をしようとしているのかがよくわからず、したがってそこからヒロたちが殺されないためには逃げる以外に何をすべきか具体的な行動が導き出されてこない。
  • 最終的にキャラハン教授が逮捕され、クレイ社長は特におとがめなしとなったようだが、教授の娘の事故の責任はどうなってしまったのか。こういう場合は、ベイマックスでなくてクレイ社長が犠牲になって助ける話であるべきである。
  • 廃工場にいたマスクの男が放火犯であるというヒロの推理は根拠薄弱であり、その後のヒロの行動に共感しにくい。こういう風にするなら、火事のシーンの手前にマスクの男が放火するシーンが必要であった。
  • このストーリーにおいて、ベイマックスの存在に必然性がない。5人の学生たちとベイマックスとで役割が重複しているため、ベイマックス抜き、もしくはベイマックスが5人と同格の脇役程度の位置づけでもほぼ同等のストーリーを構築できた。

60点/100点満点