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ひぐらし再訪【ネタバレ】

 ここのところ『ひぐらしのなく頃に』を復習している。

 振り返ってみると、シリーズ前半の出題編3話で起こった事件は、大半が本筋である鷹野の陰謀とほとんど無関係であった。鬼隠し編で圭一が魅音とレナを殺してしまうこと、綿流し編で魅音が佐都子や梨花や詩音を殺してしまうこと、祟殺し編で圭一が鉄平を殺してしまうことは、いずれも鷹野らが計画したことではなく、また鷹野らの陰謀がなければ起こらなかったとも必ずしも言い難いものであり(過去4年間綿流しの日にストレスから雛見沢症候群の重症者が発生して殺人を犯したり自殺すること自体は鷹野らにかかわらず自然に起こっていた、また祭具殿への侵入は鷹野の個人的興味により陰謀がなくても行われ得る、との解釈を前提とした場合。ただ5年目の殺人と失踪だけは鷹野の陰謀と若干の因果関係を認めざるを得ない)、鷹野からみて偶然に近い。これらは精々、雛見沢症候群という共通の原因を持っているという程度の関係にしかない。
 共通の原因をもっている以上不自然な偶然とは扱わないというのがドラマの世界のお約束である。ミステリーはこのルールに大きく依存している。だからこれらの後に鷹野の陰謀が出てくることは一応不自然ではないものと扱うことになる。連続失踪の方は鷹野の陰謀の結果でもあったし。しかし描写されるものという観点から見た場合、シリーズ前半で描写されるのは主に雛見沢症候群の危険性であって、鷹野の陰謀の危険性ではないということになる。これは本筋から外れているのではないか。読者をミスリードするという方向に偏り過ぎているようにも思われる。推理小説はこういうものなのだろうか。
 実は、鷹野の陰謀という要素は比較的後になってから追加されたのではないかとする説がある。もしシリーズから鷹野の陰謀という要素を除去し、入江あたりが雛見沢症候群が真の問題だと突き止めてめでたしめでたしで終わるような話にシリーズを書き換えたとすると、上で述べたような問題は大幅に軽減される。ひょっとすると、元々の構想はそのようなものだったのかも知れない。

 またダム建設計画が雛見沢に持ち上がったことは読者や圭一をミスリードする上で重要な役割を果たしたが、これは雛見沢症候群とは共通する原因すらない純然たる偶然である。ドラマにおいて純然たる偶然を完全に排除することはできないが、偶然が増えれば増えるほど実現確率が下がり、描写の強さが弱まる。鬼隠し話で言えば、雛見沢症候群が危険だといっても、圭一の殺人はダム建設計画という偶然がなければ起こらなかったということになるから、雛見沢症候群が危険だという描写を弱める方向に働く。もっとも、偶然だったということは最後まで読まないとわからないから、読んでいる途中にはあまりそう感じさせない構成ではあるが。

 ドラマの主題とは結局その中で起こる出来事の共通原因のことなのだろうか。そうであるような気がしたこともあるし、そうでないような気がしたこともある。
 とにかくこの主題というのは作劇における呪いのような概念である。

『ひぐらしのなく頃に』のページ数

 『ひぐらしのなく頃に』は、プレイしているときからずいぶん長い話だなあと思っていたが、小説などと違ってページ数という概念がない(正確に言えば一応ないこともないけど)ので、実際どの程度の分量なのかよくわからなかった。かかった時間で言えば相当なものだが、チマチマクリックしたりエフェクトを待ったりしながら読んでいくので、ふつうの小説に比べると文章を読む速度が遅くなっていたと思われるから、時間で計るのも正確ではない。
 ところがこのたび同作のテキスト部分をテキストファイルとして抜き出すことに成功したので、文字数や行数を正確に数えることが可能になった。その結果は次の通りである。いずれも本文部分だけでTIPSやお疲れさま会部分は含んでいない。空行やNScripterのスクリプト部分も除外してある。1ページの文字数はあるライトノベルの文庫本の値、42文字×16行で計算した。文字数はUnicodeの文字数である。

  1. 鬼隠し編 227857字 9047行 566ページ
  2. 綿流し編 314013字 11764行 736ページ
  3. 祟殺し編 324306字 12222行 764ページ
  4. 暇潰し編 133483字 4931行 309ページ
  5. 目明し編 316695字 11885行 743ページ
  6. 罪滅し編 343937字 12631行 790ページ
  7. 皆殺し編 406577字 14513行 908ページ
  8. 祭囃し編 (不明)
  9. 賽殺し編 91942字 3360行 211ページ

 祭囃し編は、カケラ集めがある関係でうまく抽出できなかった。
 大体文庫本1冊は300~400ページ前後が多いため、各編は概ね文庫本上下二巻程度の分量、ただし真相が明かされる皆殺し編は上中下3巻相当、暇潰し編と賽殺し編は1冊相当程度という結果になった。祭囃し編も2冊程度と仮定すると、なんと全17巻の大長編ということになる。実はこの作品にはノベライゼーションも出ていて、それがまさに17巻構成である。
 同人ゲームとしてはこれだけの字数の文章を書いたというだけでも大したものである。完成させるためにはさらにプログラミングも必要なのだから、片手間で作れる作業量ではない。

『逆転裁判3』

 iOS版『逆転裁判123HD 成歩堂龍一編』にて引き続きプレイ。

  • 新人弁護士成歩堂龍一とその助手綾里真宵を描いた成歩堂龍一編の完結編。逆転裁判シリーズは4以降もリリースされているものの、主人公が変わったりライターが変わったりしているので、さらに言うなら、本作は本来の意味での『逆転裁判』シリーズの完結編でもあると言っていいかもしれない。本作、特にその最終話「華麗なる逆転」の話の中身も、あまりこういうオタクくさい言い方は好みでないのだが、あえて言うなら、これまでのシリーズの伏線を一気に回収して大団円を迎えるという内容であった。
  • シリーズを通しての感想だが、細かく見れば問題は多々あるけれども、とにかく個性的なキャラクターの力が強くて、喜劇としてはよくできていると言っていいと思う。シナリオライターである巧舟氏のその点の実力は疑いようもない。
  • この作品を『ひぐらしのなく頃に』と比較してみて気づいたことがある。両作品は一見似ているところがあるが、この作品がミステリーなのに対し、『ひぐらし』は悲劇である。悲劇にもミステリー要素、つまり間違った認識からくる矛盾が気にかかるという要素は含まれるのだが、単なるミステリーと悲劇の違いは、ミステリーは間違った認識が比較的早めに正されるのに対し、悲劇はそれが正されないままどんどん事態が深刻になり、しまいには大ごとになるというところである。大抵の場合ドラマとしては悲劇の方が面白い。そしてミステリーには大ごとになっていく過程がないので、長編を作ろうとすると話を持たすために筋書がどんどん複雑になっていく傾向にある。『逆転裁判』シリーズの特に2以降の長編エピソードは、そのようにして話がやや複雑になりすぎたきらいがあり、筆者自身いま話を振り返ってみて正確にプロットを説明できる自信がない。これは本シリーズの大きな欠点の一つだったと言えるだろう。本シリーズはもともとゲームボーイ・アドバンス向けにリリースされたものだが、その主要ユーザー層と思われるティーンズたちが話の内容を正確に理解できたか大いに疑わしい。

『逆転裁判2』

 iOS版『逆転裁判123HD 成歩堂龍一編』にて引き続きプレイ。

  • 前作の追加シナリオを除いた部分と同様に、本作もチュートリアル1話、ライトな雰囲気の2話、シリアス風の大詰め1話の計4話構成。
  •  初めの3話については相変わらずなライトコメディ風ミステリーなのだが、第4話の『さらば、逆転』については若干の問題を感じないでもなかった。
     これまでのシリーズで、主人公の成歩堂龍一は、受任時点では罪を犯しているとしか思えない被告人の無罪を主張し続けてきた。それは前作の第1~2話によると、弁護士は常に孤独な被告人の味方であるべきであって、被告人が無罪を主張するならばそれを信じるべきだ、という信念に基づくものであったはずである。ところがその後、早くも前作第4話の『逆転、そしてサヨナラ』あたりからこの原則が揺らぎ始め、『蘇る逆転』では被告人自身が有罪を認めているのにも関わらず無罪を主張するようになった。本作第1話『失われた逆転』と第3話『逆転サーカス』では被告人が無罪を訴えるパターンに戻ったものの、第2話『再会、そして逆転』はやはり被告人自身が有罪を疑う出だしであり、以上要するに、成歩堂龍一の信念が被告人を信じるというところにあるのかどうかがシリーズを通して混乱していたと言える。
     そして『さらば、逆転』のストーリーだが、これは要するに、成歩堂龍一が被告人の主張に合わせて無罪を主張していたら、やがてそれは嘘で実際には罪を犯していたことが判明したので、検事と共に有罪を立証するという筋であった。結末では、実体的真実の重要性が強調されて話が終わる。
     しかし本当にこれでいいのだろうか。確かにこの話の被告人は悪人ではあったが、それでも被告人の敵に回るのだから、明らかにシリーズ当初の信念と相いれない。成歩堂龍一に対する読者の支持の根拠はこの信念にあったと思うが、今までもあまり信念が一貫していなかったものの一応被告人の味方ではあったものが、ここで決定的に矛盾してしまった。明らかに有罪なら無罪を主張すべきでないというのは確かにその通りだが、それにしても弁護の方法は無罪の主張だけではないはずである。世の弁護人の大半は有罪の被告人を弁護しているのであって、有罪だから敵に回るというのでは弁護人失格であろう。以上要するに、常に被告人の味方であるような弁護人こそが立派だと褒めるシリーズのはずなのにそれと矛盾するようなストーリーであった。
     いやこの事件では真宵が誘拐されるなど決定的に被告人との信頼関係が破たんしたのだから、コロシヤが言っていたのと同様に成歩堂龍一も被告人に対する義理はなくなったのだという反論がありうるかもしれない。確かにそのような状況では成歩堂龍一といえどもそうせざるを得ないのはそうなのだが、しかしそういうシリーズのテーゼに反するような出来事をそもそもシリーズの一話として語るべきでないということなのである。
     それにあくまでも被告人は冤罪だから無罪を主張するのだということにしてしまうと、成歩堂龍一のところに舞い込む事件はどれもその時点ではどう見ても有罪にしか見えないものばかり(という設定)なのだから、今後何も事件を受けられなくなってしまうのではないだろうか。

『逆転裁判 蘇る逆転』(2001・2005・2009)

 iOS版『逆転裁判123HD 成歩堂龍一編』にてプレイ。

  • CAPCOMから出た人気アドベンチャーゲームシリーズ第一作。『逆転裁判』部分の初出は2001年のGBA版。追加シナリオ『蘇る逆転』が2005年。
     本作は5話構成で、それぞれの話で、主人公の新人弁護士成歩堂龍一は、いわれなき罪で起訴されてしまった依頼人の無罪を勝ち取るべく奮闘する。
    ゲームシステムの基本は、今となっては懐かしい感じのするオーソドックスなコマンド選択型アドベンチャーゲーム型。主人公の行動は、証拠を収集するのが主な目的の探偵パートと、その証拠を検察側証人に突き付けて証言の矛盾を指摘するのが主な目的の法廷パートに分かれ、これが原則として各話3回程度繰り返される。最後の法廷で無罪を勝ち取れればクリア。
  • 『うみねこのなく頃に』に影響を与えた作品であることは明らかなので、そのうちやってみないとと思ってはいたがなかなか機会がなかった。先日たまたま手ごろな価格でiOS版が購入できるのに気づいてやっとプレイしてみた。ギャルゲーを除けば、現在までシリーズが存続している著名な国産アドベンチャーゲームとしては本シリーズがおそらく唯一だろう。話の中身は喜劇的な倒叙ものミステリーなのだが、キャラクターが魅力的だし、結末が気持ちのいい終わり方をするので、シリーズが現在まで存続したのも理由のないことではないように感じた。この話の結末のつけ方は、「主人公が社会に包摂されて終わる」というノースロップ・フライの喜劇の定義を彷彿とさせる。またキャラクターが魅力的というのは、主人公をはじめとする人間たちが信念をもって行動していることの結果である。

『レベッカ』(1940)

 dTVにて鑑賞。

  • ヒッチコックが渡米後に撮った第一作。ヒッチコック作品唯一のアカデミー作品賞受賞作。ちなみに有名な話だが、ヒッチコックは監督賞は一度も取っていない。
  • dTVで見られるヒッチコック作品ということで(よそでも見られる著作権切れ作品が中心なので、ヒッチコック作品目当てでdTVに加入するのはお勧めしない)、何の気なしに鑑賞してみてびっくり。こりゃまず間違いなく『うみねこのなく頃に』の元ネタの一つだ。なにしろ洋館だの壁に掛けられた肖像画だのベアトリーチェ(英語映画なので劇中での発音は「ベアトリス」)だの、見覚えのあるモチーフがゾロゾロ出てくるのもそうだが、なんといっても「愛情のもつれの末に使用人が洋館に火を放って自殺する」という結末が『うみねこ』そっくりである。『うみねこ』でヤスが島を爆破した動機は十分に描かれず、世間でもそれが度々批判されていたが、この『レベッカ』を見てほんの少し理解に近づいたような気がする。
  • この作品そのものの出来はあまりよくないというか、ミステリーでもサスペンスでもないので、ヒッチコックらしい作品を期待してみると肩すかしを食わされる。ただ、『めまい』あたりの原型のような話でもあり、そういう意味ではヒッチコックらしさがないとも言い切れない。ともかく、話のはじめの方ではっきりとしたテーマ・問題が提示され、それについてストーリーが進んでいくという構成の話ではない。いったい何に興味を持てばいいのかよくわからないままに話が進む。その意味で少なくとも筆者好みのシナリオではない。

50点/100点満点

Higurashi When They Cry Hou

 何気なくSteamを眺めていたら、『ひぐらしのなく頃に』の英語版新訳版のリリースが始まっているのを発見した。とりあえず第一話鬼隠し編がこの5月にリリースされたばかりのようだ。
 文章を日本語と英語の両方で表示させられるほか、絵もオリジナル版と新しいバージョンとを切り替えられるらしい。Steamの画面で見る限りでは、新しい絵は、なんというか女子が髪の色を除いて全員同じ顔に見えないでもない。でもオリジナル版も五十歩百歩か。
 1本538円とのことなので、オリジナルの『ひぐらしのなく頃に奉』が8話+おまけで3480円なのに比べると日本人にとってはちょっと割高である。日本語版なら第一話は無料の体験版があるわけだし。ただ、Mac OS版とLinux版は今回のSteam版にしかない。

 この作品、以前にも品質はよくないながら旧英語版が出ていて、そのおかげで英語圏のゲームデザイナーの間などでも意外に知名度はあるらしいのだが、それにしてもオリジナルから10年前後も経っているのに随分引っ張るもんだとは思う。
 『うみねこ』では一杯喰わされたが、それでも『ひぐらし』がよくできていることに変わりはない。

『HEAVY RAIN -心の軋むとき-』(2010・ゲーム)

 「HEAVY RAIN −心の軋むとき− PlayStation®3 the Best」版にてプレイ。

  • フランスのクアンティック・ドリーム制作のアドベンチャーゲーム。ストーリー志向が強く、絵作りにしろ芝居にしろ音楽にしろ、まるで金のかかった海外ドラマのよう。一方でゲーム性は弱く、一応ムービーシーン以外ならゲーム世界内を歩き回ることはできるが、戦闘はいわゆるQTEのみ、つまり表示された通りにボタンを押すだけ。あまり面白いものではないが、まあラスアスみたいにスティックで射撃させられるよりはマシかも知れない。
  • 話の中身は一応ミステリーで、主に4人の登場人物の視点を切り替えながら話が進む。本筋にあたるイーサンの筋を説明すると、シングルファーザーであるイーサンが、折り紙殺人鬼と呼ばれている連続児童殺害犯に息子ショーンを誘拐されるという話である。この殺人鬼は児童を雨水の溜まる穴に閉じ込め、少しずつ溺れさせて殺し、死体に折り紙を握らせて線路沿いに放置するという手口で既に多くの児童を殺している。ところでイーサンは時々記憶を失う病を患っており、これまで度々、気づくとなぜか折り紙を持って路上に立ち尽くしているが、どうしてそうなったのか覚えていないことがあった。息子の誘拐のときも、誘拐される少し前に息子と一緒に公園にいたところから、息子がいなくなり、イーサン自身が折り紙を持って路上に立ち尽くしていたところまでの記憶がない。それでイーサンは、ほかならぬ自分が折り紙殺人鬼なのではないかと悩む。しかしそれはそれとして、この殺人鬼が、折り紙の中に忍ばせた手紙だのスマホだのを通じて、息子を返してほしくば高速道路を逆走してみろだの自分の指を切り落とせだのと無理難題を突きつけてきて、イーサンはそれをこなすのに死ぬような思いをする。果たして折り紙殺人鬼の正体は。そしてショーンは雨によって溺死させられる前に救出されるのか。
  • 発売当時としては意欲作であったろうことは間違いないのだが、シナリオ面に限って言えば、あまりよくできている方ではない。人間関係の描写の生硬さもあるのだが、なんといってもまずこの話の最大の謎である「イーサンが犯人なのか」ということと、イーサンが息子を取り戻すためにすることとの間に関連がないことが問題である。つまりイーサンが真犯人であろうとなかろうととにかく息子を取り戻すためにそれをしなければならないには変わりないので、ミステリードラマであるにも関わらず、謎が比較的どうでもよくなってしまうのである。ミステリーならとにかく謎を煽って煽って煽りまくらなければ面白くない。煽るというのは一つにはその謎の答え如何で正しい行動が変わってくるような状況を主人公に次々に突きつけるということである。この話はそうなってない。これは残りの3人の筋についても同じである。

58点/100点満点

『The Last of Us』(2013・ゲーム)【ネタバレ】


 『The Last of Us PlayStation®3 the Best』デジタル配信版にてプレイ。

  • PS3・4独占配信のゾンビものサバイバルアクションアドベンチャーTPS。通称「ラスアス」。SCEI製作、アメリカNauty Dog制作。Neil Druckmann脚本。全米脚本家組合賞ビデオゲーム部門大賞受賞作。『Grand Theft Auto V』を抑えて2013年度の各種年間ゲーム大賞受賞数第一位を獲得したとされる2013年を代表するゲーム作品の一つ。
  • ほぼ発売と同時に購入したPS3だったが、初めの頃に『グランツーリスモ5』を買ったきりPS3タイトルを遊ぶことはなく、たまに起動したときに実施されるシステムアップデートで、アップデート中に電源が切れるかも知れないスリルを味わうくらいしか楽しみようがなかった。もうPS4まで出てしまったのにこのままではいけないと、実況で始めの方を見てストーリーが良さそうだった当タイトルを購入した次第(プロローグは特に出来がいいので必見)。ダウンロード版を購入したので、60GBしかない標準HDDでは空き容量が足らず、ノートPCのを換装して余っていた分に入れ替えた。元のHDDからデータ移行したのでそこが少し面倒だったが、ディスク交換作業自体は簡単にできた。
  •  非常にストーリー志向・映画志向の強い作品で、あらすじは次の通り。
     時は2013年。主人公のジョエルは、その12歳の娘サラと共にテキサスに住むシングルファーザーである。ある晩、二人の住む街の市街地で、人間を次々に凶暴化・ゾンビ化してしまう正体不明の感染症の大流行が始まり、町中にゾンビが現れて人々を襲うようになる。ジョエルはサラとジョエルの弟トミーとともに車で市外へ避難しようとするが、同じように車で避難しようとする市民たちによる大渋滞と、そこに襲ってくるゾンビのため、右往左往するうち、市街地で自動車事故に遭う。車を放棄して徒歩で移動せざるを得なくなった三人は、市街地でゾンビから逃げ惑うことになる。そうこうするうち、彼らは町はずれで治安維持のため投入された州兵に出会う。州兵は助けてくれるどころかジョエルとサラに発砲するが、危ういところでトミーが州兵を射殺、そのおかげでジョエルは助かったものの、兵士の弾が腹部に当たっていたサラは死んでしまう。
     その後感染は全米に拡大し、至る所に人を襲うゾンビ(この世界では感染者、infectedと呼ばれる)が徘徊するようになった。この病原菌には感染者に噛まれるか、感染者の遺体から放出される菌の胞子を吸い込むことで感染し、その後2日と立たずに発症してゾンビ化する。治療法は一向に発見されず、正常な人間の数は減る一方。現代文明は崩壊の危機に瀕した。非常事態の宣言されたアメリカには、やがて軍政が敷かれ、生き残っている人間たちの多くは、軍によって各都市に設置されエリア外との出入りを厳しく統制された小さな隔離地域の中で、細々と生きていくことになった。隔離地域内は常に物資が不足しているため、違法に隔離地区外に出てそこに住むアウトローたちからそれらを調達しようとする者も少なくなかったが、そうした者は見つかり次第逮捕され、強制的に感染の有無を検査される。そして感染が見つかった者は、その場で直ちに殺されることになっていた。やがてそんな軍政に対する不満を抱く者たちによって、ファイアフライと呼ばれる地下組織が作られた。ファイアフライは治療法に関する研究を続ける一方で、軍に対するテロを繰り返した。軍はそれに対抗してファイアフライのメンバーを取り締まり処刑していったが、ファイアフライの勢力が衰える気配はなかった。
     そんな風にして20年が経過した。アメリカ東海岸のかつての大都市ボストンの隔離地域に移り住んだジョエルは、隔離地域外との密輸を手掛けることで糊口をしのいでいた。経過した年月にも関わらず、ジョエルのサラを失った悲しみが癒されることはなかった。そんなある夏の日、ジョエルの私生活と仕事の両面でのパートナーである女性テスが、武器の取引でトラブルのあったロバートの手下に襲われるという事件が起こる(トラブルの詳細は明らかでないが、どうもロバートがジョエルとテスから金を受け取ったまま商品の武器を渡さずに逃げたらしい。それで二人はロバートを追っていた)。ロバートが隔離地域外にある倉庫をアジトとしていることがわかり、早速ジョエルは共にそこへ出向く。手下のものを全滅させてロバートを捕まえ、テスがロバートを拷問して武器をどこへやったのかと問い詰めると、ロバートは武器はファイアフライに渡したと白状する。テスはそれを聞いてロバートを殺すが、その直後、その場にファイアフライのリーダーであるマーリーンが現れる。彼女曰く、ロバートから受け取った武器は既に代金を支払ったものだからタダでは返せないが、エリーという少女を隔離地域外にある州の議事堂へ届けてくれたら倍にして返してやるという。ジョエルははじめその話に消極的だったものの、多量の武器が手に入るチャンスだと大いに乗り気のテスに説得され、二人でエリーを連れていくことに同意する。エリーは14歳の少女で、ファイアフライのメンバーではないもののマーリーンの知り合いのようだが、正体は秘密らしい。
     いつも密輸に使っているトンネルを通り、ファイアフライの受取人たちが待つ議事堂へ向けて早速出発した三人は、しかし郊外で地上に出たところで、巡回中の軍の兵士たちに捕まってしまう。直ちに三人の感染の有無が検査されたところ、エリーに陽性の結果が出た。しかしエリーが突如として隠し持っていたナイフで兵士を刺し、その混乱に乗じてジョエルとテスが兵士たちを制圧して事なきを得る。その後エリーの告白によって、二人は、彼女がゾンビ化感染症に対して人類初の免疫を獲得した人間であること、ファイアフライは彼女を研究すればワクチンが開発できるかも知れないと見ていることを知る。ジョエルはよくあるホラ話に過ぎないと一蹴するが、テスはワクチン開発の可能性に希望を見出し、なんとしても議事堂に彼女を届けようと気概を新たにする。荒廃した旧市街地のビルや地下鉄、美術館の跡などを、感染者の群れに遭遇しながらも通り抜けた三人は、ようやく州議事堂に辿り着く。だがそこで三人は、エリーを受け取るはずのファイアフライのメンバーたちが殺されているのを目の当たりにする。どうも軍に襲われて一部は逃げ、一部は殺されたらしい。それでジョエルは諦めて帰ろうと言うが、そこでテスが一時間ほど前に感染者に首筋を噛まれ、今やその噛み跡が赤く腫れ上がっていることが判明する。テスは3週間前に噛まれたというエリーの噛み跡が腫れていないことを指摘して、エリーに免疫があるのは本当だとジョエルを説得し、人類の唯一の希望であるエリーをなんとしてもファイアフライに引き渡すため、かつてメンバーだったトミーのところへ連れていくようにと懇願する。ジョエルと別れて久しいトミーが今いるはずのワイオミング州ジャクソンシティはアメリカ北西部にあって、東海岸のボストンからは3000km以上ある。ジョエルはテスにそこまでの借りはないと渋るが、そうこうするうちに議事堂の外に軍の部隊が到着するのが見え、テスは自分は感染が進んだゾンビのようになりたくないからここに残って戦うことにする、二人は逃げろと言う。彼女の働きもあって結局ジョエルはエリーを連れて議事堂から脱出することに成功するが、テスは射殺される。二人は胞子の充満する地下鉄跡に逃げ込むが、ジョエルはそこでエリーがマスクなしで生きていられるのを見て驚く。これでジョエルは、エリーをトミーのところへ連れていくことを決心する。
     ジョエルはまず近くの町(同州リンカーン)に住む男ビルを訪ねることにする。彼は仕事で付き合いのある調達屋で、自動車を手に入れられるかも知れないからだ。ビルはトラップの名人で、ビルのいる町にはいたるところに感染者除けのトラップが仕掛けてある。感染者とそれらに注意しながら進むジョエルたちだったが、ある建物に仕掛けられていたトラップに引っ掛かり、ジョエルが宙に逆さづりにされてしまう。そこへ折悪しく感染者たちの群れがやってきて、ジョエルは逆さづりのままでの戦いを余儀なくされる。エリーの助けでトラップからは逃れられたものの、際限なく現れる感染者たちに押され気味になってきたところで、そこに現れたビルに助けられ、三人はビルの家へと辿り着く。ビル曰く、ここに動く自動車はないが、町外れの高校跡からバッテリを取って来て古い自動車に取り付ければ動かせるかも知れないという。そこで三人は感染者のうろつく町外れへバッテリ探しに出かけることになる。その準備をしながら、どうにもエリーとそりの合わないらしいビルが言う。あんなガキは捨ててしまえ、俺にも昔は守るべきパートナーがいたが、今どきはそんなものを持っている人間から先に死んでいく、だから俺は一人で生きていくことに決めた、と。さて、町外れへと出発した三人は、道中の墓地や民家で例によって感染者たちの群れに襲われつつも、なんとか目的地の高校跡へと辿り着くが、当てにしていた古い自動車からは既にバッテリが抜き取られていた。なおも感染者に追われ、三人は学校からとある民家に逃げ込むが、その部屋の中で、かつてのビルのパートナー、フランクが自殺しているのを見つける。感染者に噛まれたことでゾンビ化する前に自殺したものらしい。フランクの家のガレージにはフランクがこの町を去るために用意していたらしい自動車が発見され、そのエンジンが押し掛けすれば使用可能らしいことがわかる。ジョエルとビルは感染者たちでいっぱいの路上を車を押して下り坂まで持っていき、エンジンをかけることに成功する。
     ビルと別れた二人はその車でハイウェイを一路西に向かう。1000km弱走ってピッツバーグへ差し掛かったところで、道がふさがれて先に進めなくなったため、やむなくハイウェイを下りることになる。ところがそれは地元の強盗たちの罠だった。ハイウェイを下りた先の路地で車に助けを求めてきた男を見て、手口に身に覚えのあるジョエルはそれを見破り強行突破を図る。しかしバスを車の側面にぶつけられ、車が壊れてしまう。二人は車を放棄し、襲ってきた強盗の一味をなんとか全滅させる。ピッツバーグを出るには、市街地を通り抜けてその端に架かる橋を渡る必要があるが、市街地の中は強盗の仲間たちでいっぱいだった。彼らと戦いつつやり過ごしつつで進んでいった二人は、やがて廃ホテルを通り抜けることになる。そこにも屯していた一味たちを倒したあと、古いエレベーターのシャフトを通り抜けようとしたとき、エレベーターのカゴが落下し、そのときたまたま上に乗っていたジョエルも一緒に落下、エリーは上の階に取り残され、二人は離れ離れになってしまう。無事だったジョエルは、例によって建物の中をうろついていた感染者たちを排除しつつ、いくつかのフロアを抜けてエリーの待つ上の階へ戻る。しかしあと少しというところで、またも強盗の一味に襲われる。敵の大半は排除したものの、最後の一人に追い詰められるが、危機一髪のところでエリーが駆けつけ、敵の拳銃を取り上げて発砲したことで救われる。ホテルの外に出ると、そこも強盗一味でいっぱいだった。ジョエルはそれまでエリーに銃を持たせておらず、それがエリーには不満だったが、先ほどの一件で考えを改め、彼女に猟銃を持たせて援護させることにする。その作戦は見事当たり、敵を全滅させることに成功する。ジョエルはエリーを認めて拳銃を手渡すのだった。
     これで橋に近づいたが、二人はその先でさらに一味の装甲車に襲われる。機関銃を乱射するそれから逃れて近くのビルの中に入ると、そこには一組の兄弟がいた。ヘンリーとサムと名乗る彼らは、仲間と共にここピッツバーグに物資を調達に来たが、一味に襲われ散り散りになった、かくなる上はさっさとこの町から逃げ出すつもりだと言う。ジョエルとエリーは彼らと協力して町を出ることにする。サムとエリーは年の近い者同士で早速仲良くなる。橋のすぐ近くにある兄弟の隠れ家に移動すると、そこからは橋が一味に占拠され守られているのが見えた。ヘンリーは橋の警備が手薄になる夜を待って出発する計画だと言う。ジョエルがヘンリーに町を出たあとどこへ行くつもりかと聞くと、ファイアフライに加わるためにどこか西にあるという彼らの拠点へ向かうつもりだ、しかし差し当たり明日は、万一のとき町の外れにある軍の無線施設跡で仲間たちと合流することになっているので、そこへ向かうつもりだ、君たちも来るといいと言う。夜が来て一行は橋を襲撃、警備に当たっていた一味の掃討に成功するものの、トラックで作られた障害物に阻まれて手間取っているうちに一味の増援が到着。ヘンリーとサムは先に行き、ジョエルは置き去りにされてしまう。戻ってきたエリーとともに、ジョエルはなんとか迂回路から橋に辿り着くが、橋の途中で道が壊れて渡れなくなっていた。そうこうするうち敵の追手が迫ってきて、やむを得ず川へと飛び込むと、激しい川の流れに流されて岩に激突、気を失って漂流してしまう。しかし彼らを探していたヘンリーとサムに助けられ、下流の川岸に流れ着く。俺を見捨てたと詰るジョエルに、ヘンリーはサムを危険にさらすわけにいかないから仕方なかった、立場が逆ならジョエルも同じようにしたはずだと反論する。彼に助けられたこともあり、ジョエルは矛を収めるのだった。再び無線施設跡へ進み始めた一行は、かつて人々の隠れ場所として使われていたらしい下水道を通る。そこはかつてそこで暮らしていた人々のなれの果てと思しき感染者たちでいっぱいだった。感染者に追われ一時はエリーと離れ離れになったりしつつ、一行はなんとかそこを抜け出して住宅街に出る。だが先に進むと、ここにもまた一味の仲間がいて、狙撃銃で一行を狙ってくる。ジョエルが建物に隠れながら接近しスナイパーを倒すと、次に再び例の装甲車が姿を見せ襲ってくる。ジョエルはスナイパーの使っていた狙撃銃でそれを倒す。すると今度は感染者の群れに襲われる。手に負えなくなった一行はそこから逃げ出すのだった。無線施設跡に着き夜になったが、仲間たちは現れない。眠りにつく前、エリーとサムは自分が何が怖いかという話をする。エリーはひとりぼっちになることが、サムは感染者になることが怖いと言う。翌朝、エリーがサムを起こしに行ってみると、彼はゾンビになっていた。昨日感染者の群れに襲われたときに足を噛まれていたのだった。ヘンリーはサムを射殺し、次いで自殺する。
     残された二人は旅を続け、季節が秋へと移り変わった頃、ワイオミングに到着した。ジャクソンシティに近いジャクソン郡の水力発電所を通りがかった二人は、そこで妻や仲間の家族たちと発電機を修理していたトミーと再会する。彼らはここを要塞化して外敵を防ぎつつ、畑を耕し家畜を飼ってここで生活していくつもりのようだ。トミーは去年テキサスの家に戻ったといい、その時持ち帰ったサラの写真を渡そうとするが、ジョエルは受け取らなかった。さて、ジョエルがトミーにエリーをファイアフライのところに連れて行ってほしいという話をすると、トミーはファイアフライのところには久しく行っていないし決して近くはない、それに今は家族や仲間の方が大事だから自分で連れていけとそれを断る。ジョエルは人類を救うという大義より家族の方が大事なのか、昔は俺がお前の面倒を見たではないかと詰め寄るが、トミーはなかなか承知しない。そうしているうちに警報が鳴り、盗賊たちが襲撃してきたため、ジョエルはトミーたちに加勢して彼らを撃退する。その後、妻を説得したトミーは、ようやくエリーを連れていくのを引き受けるが、今度はエリーが馬に乗ってどこかへいなくなってしまう。馬の足跡を追って森へと探しに出たジョエルとトミーは、途中盗賊たちのアジトで一戦交えつつ先へ進み、ある牧場の建物の中にエリーが一人でいるのを見つける。ジョエルが話を聞くと、エリーはジョエルが彼女をトミーに任せて帰ってしまうつもりなのが不満らしい。自分にとって大切な人は皆いなくなってしまった、もうジョエルしかいない。置いて行かれたら不安になる。あたしには免疫があるからサムやサラのようなことにはならないから。そうジョエルに訴えるエリーだったが、ジョエルは、俺はお前の父親ではないしお前は俺の娘じゃない、だから別の道を行くのだとそれを拒絶する。そこへ盗賊たちの残党が襲ってきて、ジョエルが彼らを倒したあと、三人は発電所への帰途につく。だが、その後のエリーの落ち込みようを見て心が揺れたか、発電所に戻るとジョエルは、トミーと別れてエリーと旅を続けると決める。二人は一匹の馬に乗り、トミーにファイアフライの研究所があると教えてもらった東コロラド大学へと旅立つ。
     やがて隣の州にある同大学に到着するが、研究所があったと思しき建物には、実験動物として使われていたらしいサルたちのほかには誰もいなかった。残されたものを調べたところ、ここにいたファイアフライの研究員たちは、ソルトレイクシティの病院へと移ったらしい。しかしそこへ正体不明の賊たちが出現し二人を襲う。ジョエルは例によって彼らをあらかた倒すが、待ち伏せされていた敵と組みあった際に上の階から吹き抜けに落下、下にあった瓦礫の鉄筋に串刺しになり重傷を負う。エリーはジョエルを連れて残りの賊を片付け、なんとか建物を脱出する。二人は馬に乗って安全圏まで逃走することに成功するが、その後ジョエルが倒れてしまう。やがて季節は冬になり、エリーは湖畔地帯の森の中で狩りをしていた。弓矢を当てた手負いの鹿の血の跡を辿ると、その鹿は廃工場の手前で死んでいた。と、そこへ見知らぬ二人の男が現れ、我々が共に生活しているグループに持ち帰るため、この鹿を譲ってほしいと頼まれる。エリーは抗生物質と交換することを条件にそれを承諾する。一方の男がグループのところへそれを取りに行っている間、デイビッドと名乗るもう一方の男と建物の中で待っていると、そこへ感染者の群れがやってきたため、エリーはデイビッドと共に戦って全滅させる。デイビッドはそれに感心した様子で、エリーにグループに加わるよう勧めるが、一方で彼のグループが東コロラド大学で二人を襲った賊のグループであり、仲間を多数殺したジョエルを恨んでいるらしいこと、またエリーがその連れだと知っていることも明かす。だがエリーのことは、子供のしたことだから許すという。エリーはそれを断り、戻ってきた男が持ってきた抗生物質をジョエルのいる廃村に持って帰る。ジョエルに抗生物質を注射し、しばしまどろむエリー。だがそれは罠だった。気づくと廃村の中は、足跡をたどってきたデイビッドのグループのメンバーだらけだった。とはいえ、どこの家にいるのかまではまだ見つかっていないと踏んだエリーは、まだ動かせないジョエルが発見されるのを防ぐため、馬に乗って彼らを遠くにおびき出す作戦に出る。馬は射殺されたものの、湖畔に建つロッジの建物に身を潜めつつ彼らを一人ずつ倒していき、あらかた掃討することに成功する。しかし結局デイビッドに待ち伏せされて捕まり、グループのアジトへ連行される。そこで入れられた牢屋の中からエリーが見たものは、食料として捌かれる人間の遺体だった。そこへデイビッドが来て、仲間に加わるように再度説得するが、エリーは断固として拒否し、デイビッドに抵抗する。それでエリーは翌朝食料にされることになる。一方、抗生物質の効き目が出て動けるようになったジョエルは、廃村に残っていた一味を掃討し、一部は捕虜にしてデイビッドのアジトの位置を聞き出す。翌朝、エリーはデイビッドらによって屠殺台の上に載せられるが、エリーが感染者であることにとまどっている隙をついて脱走。吹雪の中彼らの町を逃げ回り、あるレストランの建物に辿り着く。その中で後を追ってきたデイビッドと一対一で対決することになり、タフな戦いとなるが、結局ナイフで彼を倒す。またそこで、同じころ彼らの町に到着していたジョエルと合流する。
     春になり、二人はソルトレイクシティに辿り着いていた。目指す病院はもうすぐだが、エリーはどこか上の空だ。それを見たジョエルは、病院へ行くのは止めてトミーのところに帰ってもいいと言うが、エリーはここまで来てそういうわけにはいかない、すべてを済ませたら二人で行きたいところに行こうと言う。またエリーは、トミーのところから持ってきたと言ってサラの写真を渡す。今度はジョエルもそれを受け取った。二人は半ば水没したトンネルを例によって感染者たちを倒しながら進んでいくが、激しい水の流れの中に浸かっていたバスの上を通ろうとしたとき、バスが流されはじめ、エリーが溺れてしまう。ジョエルはエリーを助けようと心臓マッサージをするが、そこへファイアフライの兵士たちがやってきて気絶させられる。気がつくとジョエルはファイアフライの病院のベッドの上にいた。傍らにはマーリーンがいて、曰く、エリーも助かった、こんなにタイミングよくエリーを見つけて救うことができたとは、これも何かの運命かも知れない、と。しかしジョエルがエリーに会いたいというと、マーリーンは、これからワクチン開発のために必要な、エリーの脳にある特殊な抗体を取り出す手術をするから会わせられないと言う。そのためには脳自体を摘出することになると気づいたジョエルは、他の人間を探すように言うが、マーリーンは他の人間などいない、私もエリーのことは小さい頃から知っていて、気持ちは痛いほどわかるが、人類を救うためにはどうしても必要で選択の余地はないと言い、なおも抵抗しようとしたジョエルを病院から追放しようとする。だが警備の兵士の隙をついてジョエルは銃を奪い、病院中の兵士を制圧して今まさに手術が行われようとしていた手術室に到達、執刀医たちを殺して麻酔で眠っているエリーを取り戻す。なおも追ってくる増援の兵士たちの隙をつき、エリーを抱えてエレベーターに乗り込んだジョエルは、地下駐車場から逃走を図るが、エレベーターを降りたところで待っていたマーリーンと対峙する。マーリーンはエリーを連れて逃げたからといって何になる、今からでも正しいことをしてくれ、エリーも望むはずのことだ、エリーが苦しむことはないと説得するが、ジョエルは隠し持っていた拳銃でマーリーンを射殺。傍らの自動車にエリーを乗せて走り去るのだった。やがて車中で眠りから覚めたエリーに、ジョエルはウソの説明をする。ファイアフライの病院にはエリー以外に免疫を持った人がたくさんいたし、ファイアフライは治療法の研究を中止していた、と。やがて二人はトミーの住むジャクソン郡まで戻ってくる。エリーがこっそり噛まれた傷口を確認すると、以前より少し腫れてきているように見えた。発電所の近くまで来ると、エリーが言う。ボストンで感染者に噛まれたとき、ライリーという名の友達も一緒にいてやはり噛まれた。そのときライリーは、一緒にゾンビになるのを待とうと言った。ライリーが死に、テスもサムも死んだ。私もそうなるのを待っているんだ、と。それを聞いてジョエルが言う。俺は生きるために戦い続けてきた。お前も戦う目的を探し続けなければならない、と。するとエリーが、車の中で聞いたファイアフライの話はすべて本当だと誓えと言い出す。ジョエルが誓うと言うと、エリーは覚悟を決めたようにも見えた。
  •  話のジャンルは基本、ゾンビものだが、オカルト的なものでなく医学的な治療の可能性がなくもないタイプで、治療法開発の鍵を握っている人物エリーを目的地まで連れていくというのが主人公ジョエルの一応の目的である。この構成は『トゥモロー・ワールド』(2006)と『アイ・アム・レジェンド』(2007)が元ネタになっているものと思われる。また、ファイアフライを探しながら結局アメリカをほとんど横断する話で、いわゆるロードムービー的でもあり、また『The Walking Dead』(2010-・TVドラマ)などにも似ている。
     話の本質は、最終的にジョエルがエリーを取るか人類の未来を取るかの選択に迫られ、エリーの方を取るというところにあり、義務と愛情との葛藤で愛情の方を取るわけだから本質的ジャンルとしてはメロドラマということになる。つまり主人公ジョエルは人類を滅亡させたわけで立派な行為をしたとは評価できない、しかし大半のプレーヤーに少なくとも同情の余地はあると思わせたはずであり、それができたという点でメロドラマとしては上等な方に入る。
     もしジョエルが人類を救う方を選んでいたら、この話はメロドラマでなく悲劇になっていたはずである。また、ある種の偶然の力を借りて、人類とエリーと両方を救えるという結末だったら、いわゆる悲喜劇になっていたはずである。
  • 脚本賞を取るだけのことはあって、ゲームとしてはかなり出来のいいシナリオである。しかしこれだけ延々とあらすじを紹介しておきながら何だが、このシナリオのよさは主にプロットでなくシーンの中での人間関係描写の丁寧さにあり、梗概だけ読んでもこのシナリオの良さの半分もわからないはずである。ゲームのシナリオは一般に映画と比べて長いので、人間関係描写がリッチになる傾向があり、ここが得意な脚本家だと名シナリオになりやすい。ただ逆に、このプロットは少しストレートすぎて話を引っ張る力が弱いきらいがあり、そこは短所と言えるだろう。
  • またこのゲームは世界観がしっかりしていて、そこは日本製のゲームなどと比べて相当な実力差を感じた。これはつまり、ある前提となっている事実があるときに、その結果としてどういうことが起こり得るかということについてどれほど真面目に考えているかということで、日本製のゲームはどうしてもそのジャンルの「お約束」に頼って深く考えていないようなのが多いのである。ここが甘いと所詮お子様向け、子供だましのストーリーにしかならない。
  •  あっけない幕切れのようにも見えるラストシーンをどう考えるか。ここは、ジョエルにとってみれば、死に場所を探し続けていたエリーに、ウソをついてでもなんとか生き続けさせようとするシーンである。ジョエルがそういうことをする話なのは確かだからそれをダメ押しするのはいいとして、それだけで終わっていいものか。物語は、語られた一連の出来事の最終的な結果に対する語り手にとっての評価を示して終わるべきではないか。エリーが最後までジョエルのウソを信じておらず、真実に気づいているという前提に立てば、エリーの最後のセリフを、ジョエルのしたことを語り手であるエリーが肯定したものだと読み込めなくもないかもしれないが、そうだとしても表現としてかなり弱い。それがあっけない感じがする一つの理由だろう。(追記: 脚本家の意図は逆とのこと。となると問題はより深刻化する。これはジョエルを非難する話だったのか? まさかそうではあるまい。)
     またこの話には「正解ルート」がない。つまりこの設定のもとではジョエルがどう行動したとしても人類が滅びるかエリーが死ぬ。望ましくない結末で終わる話では、観客はそれが実現しないまでも正解ルートが明らかにされて終わることを期待しているが、この結末にはそれがない。またさらにいうなら、正解ルートがないということは、冷静に考えると、望ましくない結末になったのは作者がそういう風に設定したからに過ぎないということであって、少々作り物臭い結末のようにも感じられてしまう。以上を俗な言葉で言えばこの話には教訓がない。
  • ドラマの良さを決めるのはもちろんシナリオだけではなく、この作品でも、演技・演出や背景美術、それに音楽が素晴らしい。美術についていうと、PS3版の場合720p出力で少し解像度が低いのだが、それでも荒廃した市街地やアメリカの四季が十分に美しく描かれている。それとエリーの顔のモデルは若い頃のエレン・ペイジだそうだが、このキャラクターデザインは少女の華奢な感じもよく出ていて、アメリカ版萌えキャラといった感じ。この出来がいいからオジサンオバサンたちがつい頑張っちゃうストーリーに説得力が出る。また声の吹き替えは、この作品では、大変珍しいことに原語版より日本語版の方が出来がいいようである。原語版はモーションキャプチャーで演技している俳優の声そのままのようなのだが、ちょっと地味な印象。一方、日本語版の方は特に山寺宏一が上手く、ジョエルの格好良さが2割増しである。ただ、翻訳の質については、まあマシな方だが今一歩の感もあり。この手の翻訳の質はまず何より語尾の処理の巧拙に出る。
  • 総合的に見て、大人にとって十分鑑賞に堪えうるドラマだと評価できる。レーティングも18歳以上向けであり、いわゆるエロ作品でもないのに大人を主力層としてゲームを発売するというのは経営的に冒険だったろうが、結果として売り上げ的にも成功したようである。
  • 脚本賞はともかくとして、本作がゲーム大賞の類も多く受賞したという事実は、やはり映画志向の強いGTAVが当作品に次いで多く受賞しているという事実と併せて、ゲーム業界が依然として「映画みたいなゲーム」をゲームの理想と考えているらしいことの証拠と言えそうである。それにしても、そういうゲームが決まってTPSなのは、やはりメタルギアシリーズの影響だろうか。
  • 最後にゲーム面について簡単に。筆者はコンシューマ機のTPSの経験がなかったのだが、PCならマウスで操作するところを右スティックで視点移動させるというのは、やはり少々無理があるように感じられた。それでも視点移動だけならプレイしているうちにある程度慣れてきたが、射撃の照準合わせまでこれでさせられるのには最後まであまり慣れなかった。もともとこの手のゲームのある種のルーツとも言える初代『バイオハザード』では、この問題を、ゾンビの動きを遅くすることと、視点をシーンごとに固定にすること、またあまり厳密に銃の向きを合わせなくても弾が当たるようにすることなどで解決していた。また最近のTPSでも、GTAVのように、時々画面をスローモーションにできるようにする能力を付けたりしていくらか対策しているようである。しかしこの作品ではそういった工夫があまり見られない。そういう意味でこの作品のゲームとしての操作性はあまり高く評価できない。唯一の救済策として、初級だとオートエイムを効かせられるはずなのだが、設定でONにしていても合わせてくれるのかくれないのかよくわからないような動作で、このあたりはドキュメントが不完全なこともありそうだが、とにかく信頼性に欠けた。

70点/100点満点

『野生の証明』(1978)


 BS-TBSにて鑑賞。ひょっとすると多少カットされてるかも。

  • 福島の寒村で一人の娘を除いて村人全員が惨殺される事件が発生、真相やいかに、という森村誠一の推理小説の映画化。高倉健主演。原作小説はおそらく『ひぐらしのなく頃に』の元ネタの一つで(ネット上では一部で以前から指摘されている)、同作の終盤の展開に強く影響を与えたと見られる。しかし、この映画化作品の方は終盤がマトモな構成になっておらず、中盤まであれこれ複雑な事情を披露していたのにそれをすべてブン投げてアクションシーンに突入し、真相があまりはっきりしないまま終わってしまう。
  • とはいうものの、飛ぶ鳥落とす勢いだった角川映画の第三作目ということで、日本映画としてはカネのかかり具合に目を見張るものがある。高倉健をはじめとする俳優陣もリッチだし、薬師丸ひろ子も可愛いしで、それなりに見ごたえはある作品。大野雄二の音楽もいい。