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『ミスト』【ネタバレ】(続)

 この作品の言わんとするところは何か、再考。

  1. 主人公たちが預言者の女に半ばスーパーを追い出されるような形になったことが、ラストシーンの悲劇に繋がったと考えるならば、この作品はパニック状態における流言飛語の恐ろしさを描きそのような言説に惑わされないことを求めるものと解することになる。この立場には、他の立場と比較して、物語中盤で話の中心になる弁護士が何のために出てきたのかを説明しやすい利点がある。彼も間違った言説で人々を惑わしたからである。一方で、この立場が成り立つためには、預言者のせいで結末において4人が死んだと言える必要があるが、そのためにはスーパーを追い出されなければ4人が死ななかった(≒スーパーに残された人たちは助かった)と言える必要があるところ、実際の本編の内容からはそれが明らかでないという問題がある。
  2. 一連の災厄がそもそも軍の秘密実験によって生じたものであることや、預言者の女の予言がほとんど当たっていること、特にラストシーンの悲劇を見事に言い当てている(子どもを犠牲にすることで救いが訪れている)ことを重視するならば、この作品は、彼女が言うように、科学技術の神をも恐れぬ傲慢さを警告し、いけにえを捧げることで罪を悔い改め旧約聖書の教えに従って謙虚に生きることを求めるものと考えることになる。あまりに現代的合理主義の考えから外れすぎるという点をさておくとしても、この立場には次のような大きな問題がある。この作品がフィクションである以上、軍の実験で怪物たちが現れたり、預言者の予言が当たったりというだけでは、作者がそのように作ったからそうなったという以上の意味を持たない。したがってそれだけでは、観客としては、それらは単なる作り事であって、もし自分たちが似たような状況に立たされたとしたら、よほどの偶然がないかぎりこの作品と同じ展開を辿るものとは考えにくく、したがって自分たちの人生においては作品の求めるような行動をとる必要はないと考えることになる。だからこの立場からは、この作品は観客を説得できなかった失敗作と評価せざるを得ないことになってしまうのである。元来、物語は因果関係(どうしてそうなったか)を明らかにすることによって、作中と同様な状況で同様な行動をとったならばなるほど同様の結果が起こるかも知れないと観客に納得させなければならないのであるが、この作品の場合にはその点につきなんの説明もないのである。また、この立場では、最後に軍の科学技術力によって事態が収拾されたことの説明がしにくい。さらに、この立場では、弁護士が何のために出てきたのかについて、『鳥』に出てきたからというメタな視点なくして十分な説明を行うことが困難である。
  3. 主人公たちが最後に望みを捨てて自ら命を絶ったことが悲劇に繋がったと見るならば、この作品は、希望の大切さを描き望みを最後まで持って努力を続けることを求めるものと解することもできるかも知れない。これはスティーブン・キングの諸作品に共通してみられるモチーフであるという点である種の説得力を持つ。とはいうものの、この立場で説明できるのは結局のところ結末だけであり、物語全体の解釈としては不十分のきらいがある。作中では、努力を続けた人々も次々に死んでいくのである。

『ミスト』【ネタバレ】

 WOWOW放送分をDVDに録画しておいたのを久しぶりに再見。

  • 初めて見た時もなかなかいいじゃないと思ったが、改めて見直してみてますます良さが際立ってきた。スティーブン・キング原作の映画なら『ショーシャンクの空に』よりこっちを推すなあ。やっぱりドラマの基本は悲劇ですよ。
  • この作品がヒッチコックの『鳥』をモチーフにしていることはまず間違いないが、シナリオはこっちが上。あのストーリーの崩壊した『鳥』をよくここまで持っていったものだ(『鳥』が好きな人は映画をシナリオでなく場面場面の演出で見ている人)。
  • 一度目を見終わったときには、初めの方で子供たちが家で待っているからと外に出て行った母親は、隣の薬局で蜘蛛の巣にからめ捕られていたと勝手に思い込んでいたが、見直してみたらなあんだ、ラストシーンに登場してるじゃないですか。でも時間的にはまだ救援はたぶん来てなかった頃のはずなんだけど。それならむしろ、時期的には弁護士も助かってないとおかしい。
  • ラストシーンと言えば、そこで出てくる戦車は主人公の車が走ってきた方から姿を現すので、主人公たちは救援から逃げる方向に走ってしまっていたことになる。これも初見では気付かなかったところ。ということは、スーパーに残っていた人々も助かったということなのか。
  • 預言者の女は狂っているようだが、実は彼女の予言はラストシーンで起こったことも含めすべて当たっているとはネットでもすでに指摘されているところ。するとこの作品は、旧約聖書の教義を支持し奨励するものと解釈すべきものか。彼女を撃った彼も結局死んだしね。
  • 福島直後の日本の(主としてネットの)言論の状況が、この作品におけるスーパーの中のそれとそっくりだという指摘があった。そういう目で見ると、預言者の女が(殺される少し前あたりで)核技術を非難していたことが不気味に見えてくる。

90点/100点満点

『告白』【ややネタバレ】

 WOWOWにて鑑賞。

  • メインプロットは古典的悲劇の基本に忠実で、目新しさはあまりないが結末において悲劇的な効果がよく出ている。
  • 中学生は集団になると厭わしいが、一人一人はやはり可愛らしい。
  • 松たか子はあまりうまい女優ではないが、それでも現在の日本の女優の中ではましな方ではある。日本の若手の平均レベルが低すぎるのである。
  • 初めに犯人を明らかにした以上は、それを使ってなにかしら葛藤を作らなければ話が持たない。中盤そこのところがまったくできてなかった。いじめをどう解決するかという話かと思ったらそうでもなかった。それなら犯人を明かすのは後回しにすべきだった。
  • 少年Bに関する部分はこの物語にとってまったく不要、蛇足。ここをカットすると本編が1時間30分を切ってしまうかも知れず、そうなると長編映画としての公開にはやや足りないということになるのかも知れないが、『クローバーフィールド』などは85分で公開にこぎつけているのだし、なんとかならなかったものだろうか。
  • 一見社会派のようだが、物語の本筋の因果関係だけを取り出してみると「母親へのゆがんだ愛情が多数の死を生んだ」という話で、あまり蓋然性も普遍性もありそうでなく、またそれらを感じさせるように語ろうともしていない。観客に何を求めているのかもはっきりしない。物語の語る意義という面から評価するような作品ではないというべきだろう。
  • この話の内容を前提とするならば、少年Aの犯したことは、少年法があろうがなかろうが起こったことである。また森口先生の犯したことは、少年法がなければ起こらなかったかも知れないが、いずれにせよ、結果は必ずしも不幸でなかった。したがって、この話が少年法の不当性とその改正を訴えるものだと解釈することはできない。もし実際のラストシーンのあと、森口先生が処刑されるシーンで物語が終わっていたら、話は違ってくるかもしれないが。
  • (追記)改めて検討すると、この話は「女性のキャリア志向は不幸を生む(ことがある)」と言っていると解釈することが可能なようである。とすると、現代の価値観のもとではなかなか過激な主張ではある。この立場からすると、少年B(の母親)のエピソードは無用なばかりか有害だということになる。

70点/100点満点

『インセプション』(吹き替え版)

  • WOWOWにて久しぶりに再鑑賞。
  • はじめ字幕版を見ていて、あまりに情報が足りなすぎる、怪しいぞと思ってこちらも見てみたら……案の定。情報量が違いすぎる。クリストファー・ノーランの映画は吹き替えで見よ、という貴重な教訓を得た。
  • とはいえ、それでもやっぱりわかりにくい面が残るのは確か。ノーラン映画全般に言えることだが、重要なことはエピソードの形にして念押しするという普通の映画に見られる配慮が足りない。尺が足りないからだろうが、セリフでサラリと説明して終わり。その結果一つのセリフの重要度が上がり、字幕の翻訳の過程で情報を削ってしまうと意味が通じなくなる。
  • ノーラン映画のもう一つの特徴は、展開の意外性を重視しすぎるあまり、人物の意図が事前に十分示されないままに話が進むので、観客が、視点を持っている人物と立場を共有して次の一手を考え、その結果に人物と共に一喜一憂するという楽しみがスポイルされていること。別の言い方をすれば、(撮影技術上でなく脚本技術上の)視点という概念について意識が弱い。だから、どうしても人物への感情移入が薄くなる。この作品でもやはりそういう傾向があった。この話の場合、一応主人公のコブの視点で話が進んでいるように見えるが、実のところ、コブの身の上については観客に開示されていない秘密が多すぎるので、彼に感情移入できるような構造になっていない。それならむしろ一貫してアリアドネの視点で話を進めるべきだったろう。彼女には別に隠されるべき秘密がないのだから。
  • 渡辺謙の吹き替えを本人がやっているのが面白い。その他はプロパーな声優が演じているが、比較するとやはり渡辺謙の方が上手い。俳優の吹き替えと言えば、『Mr. インクレディブル』の吹き替えも出来が良かった。

『星を追う子ども』

新海誠 最新作 「星を追う子ども」 制作ブログ

 ついに完成披露試写も終わり、5/7から公開だそうです。
 この制作ブログ、開始時から追っかけてたんですが、当然のことながら内容についての言及はなく、読んでる側としてはどうも盛り上がらないというか、やはりこの手のものは、公開後その作品を気に入った人が遡って見られるところに意義があるのだなという認識を新たにした次第です。
 そんなわけで内容については正直未知数ですが、少なくとも新海監督の演出技術については、いままで初歩的な問題もまま見られたとはいえ、明らかに作品ごとに改善しているのがみられるので、今回は結構いけるのではないかと想像しております。
 一方、新海監督の脚本は、これまでの作品では、いったん地の文を持った小説として書き下してから脚本化するという手法から、誰の視点で語るかがぶれにくくその意味でしっかりしたプロットを持っていましたが(出来事そのものを記述した「ハコ」から直接脚本にするとどうしても視点という観点が軽視されがち)、その一方で、中身が心理描写に偏るので、行動よりナレーションが優位に立つ傾向もみられました。今回の作品ではどうなっているでしょうか。

 美術面は定評がありますので当然心配ないものと思います。

『東京物語』デジタル・リマスター版

(NHK BSPにて放送)
 著作権失効対策ではあろうけれど、それにしてもこれは見直す価値のある高画質。ノイズが皆無とは言わないまでも相当除去され、画面のブレもない。また、HDらしい高解像度でピントが誰の顔に合っているかがはっきりわかる。映画館で見るよりよほどよく見えるのでは。音質もよく背景の音効がよく聞こえる。
 中身は従来通り素晴らしいのだけど、何度目かの再鑑賞で、やはり若干ペースが遅いように感じられたのは致し方ないところか。大阪の息子はこの話に必要だったか今でも確信が持てない。
 何度見ても杉村春子の演技は頭抜けている。
 名作の影に名映画音楽あり。あまり言われないけれど、この作品も音楽がいい。最近の邦画はまず音楽が安っぽくてダメだね。

 この話は、「老いた父が、ひとたび巣離れした子供はもはや当てにすべきでないと気付かされる話」である。

95点/100点満点

風刺

 かの手塚治虫氏はマンガの本質を風刺だと喝破しておりましたが……
 まあ結局ですね、ドラマというものの二大分類について言えば、観客から見て、風刺されているのが自分自身だと感じるようならシリアスドラマ、他人が風刺されていると感じるようならコメディなんですよ。そして誰も風刺されてないようなものはドラマではない。
 風刺というのは、描写(再現・ミーメーシス)を用いた遠まわしな批判です。