『パブリック・エネミーズ』(2009)

 NHK BSPにて鑑賞。

  • 1930年代の実在の銀行強盗を題材にした実録もの。「この物語は実話である」とのテロップを入れなかったことだけは褒めてもいい。
  • しかしそれ以外このシナリオはあまり褒められない。例によって、説明が後手後手に回り観客を突き放す語り口。こういう説明方法が許されるのは、既に語り手がその時点で知っていた情報であるところの物語の前提すなわち設定を説明する場合だけ。話が動き始めたら観客には語り手・主人公と同等の情報を与えておいて、彼と同じ立場だったらどう行動するかと考えられるようにしておかなければならない。この作品ではそれができていない。だから主人公(ってパーヴィスとデリンジャーのどっちなんだろう……そこもどっちつかず)が立派に見えないし、観客が話に乗れない。感傷的なはずのシーンで感傷に浸れない。スリリングなはずのシーンでハラハラできない。
  • 役者や演出は悪くない。

45点/100点満点

『太陽の帝国』(1987)

 WOWOWにて鑑賞。

  • 香港に生まれ育った英国人少年の目を通して綴った、香港への日本軍の進駐と彼の孤児としての収容所での生活の体験記。
  • 自伝的小説が原作で、ストーリーの細部にリアリティを感じるが、その代わりあまりまとまりのある話にはなっていない。葛藤やテーマやカタルシスや意外性といったドラマの定番の道具立てが不足していても、状況そのもの(とその画面)の物珍しさが確保されていればなんとか話が持つことを実証した作品。その意味でスピルバーグらしい。
  • 日本の軍人役で日本人が多数出演しているのだが、その芝居が大変な大根。日本語がわからない演出者が日本人の演技を演出するのが誤りであるのがはっきりわかる。ただ、伊武雅刀の演技はまずますだった。
  • 結局主人公の少年は日本と英米のどちらを選ぶのか(さらに言えばイギリスとアメリカのどちらを選ぶのか)という問題が最後まで混乱したままであった。このシナリオの最大にして致命的な問題である。

65点/100点満点

  • ところで、この放送では、前枠・後枠部分にWOWOWで制作したタレントたちの座談会のようなものを付加してあったのだが、その中身が低俗なバラエティのようでどうも今一つである。地上波のこの手の番組にうんざりしているからWOWOWを見ているという面があるわけで、これはWOWOWに求めているものと違う。
  • この手のものは見苦しくないものを作るのが見かけよりずっと難しい。タレントの類を出演させて成功している例をほとんど見たことがない。彼らは所詮うわべだけの盛り上がりを作ろうとするだけで視聴者の思っていることを代弁する能力はないし、視聴者に披露する価値ある知識にも乏しい。映画評論家という職業が存在するのは伊達ではないのである。

『シリアナ』

 WOWOWにて鑑賞。

  • 個々のシーンはよくできているので、観ていて退屈することはない。しかし話全体の流れが分かりづらい。おそらくもっとわかりやすくできたはずなのに、無用にわかりづらくなっているようで、腹の立つわかりづらさである。あまりにわかりづらいので、後で種明かしがあるのだろうと期待して続きを見たくなるのだが、最後までみても分かりづらいままである。
  • 「シリアナ」が国の名前だとわかった観客はどれほどいただろうか。
  • 複数の人物の筋をコロコロ切り替えるやり方、話のアラが見えづらくなるのでアメリカのTVドラマでは常套手段となっているが、観客にとっては話が分かりづらくなるだけで何もいいことがない。

30点/100点満点

『アーティスト』(2011)

 WOWOWにて鑑賞。

  • 21世紀に作られたモノクロサイレント映画。そういう意味で意欲作ではあり、それが認められてかアカデミー作品賞を受賞。でもそこまでの作品かというとやや疑問もあり。まあ作品賞はプロデューサーに対する賞だから、よくこの企画を通したという意味の賞賛であり、そういう意味では正しいのかも。
  • サイレント向けの大げさな演技がなかなか自然なのにも感心したが、なんといっても犬の名演技に恐れ入った。
  • ペピー役の女優はもう少し正統派の美女の方が……
  • 劇伴音楽の重要性を再認識させてくれる作品。私見では、劇伴は小説で言うところの地の文の代わりで、特に視点人物の感情を表現するのに重要な役割を果たす。
  • ノウハウなど伝わっていないだろうに、よくサイレントのシナリオを書いたなとは思うが、プロットについてはいろいろと問題もある。もっとも大きいところでは、ジョージがトーキーに出演しない理由に共感しにくいことと、ペピーがジョージを助ける理由に倫理的義務の裏付けがないことがある。例えば、ペピーがジョージを追い出すような形で彼の後釜としてスターになったというような事情があれば良かったのだが。実際のプロットだと時期が一致しただけなので、彼女に彼に対する(完全/不完全を問わず)義務が発生するとは言えない。

ベストシーン
やはりラストシーンだろうか。ただ、終わり方がぐずぐずしているのは頂けなかった。「喜んで」で即エンドロールが始まらなければダメ。

50点/100点満点

『ミニミニ大作戦』(2003)

 WOWOWにて鑑賞。

  • 有名な英国映画のハリウッドによるリメイク。
  • シナリオ面で問題あり。正しく葛藤を作れていない。観客がどちらの陣営にも肩入れできないで距離を置いて眺めるだけになっている。これは情報の出し方がおかしいから。説明が後手後手に回っているので、登場人物が決断する時点でその決断が正しいかどうかを観客が判断できない。情報の後出し全般が誤りというわけではないが、決断の時点までには観客が登場人物と同じ情報を持っていないとダメ。また同様の理由で、意外性にも乏しい。情報が少なくてそもそも予想が成立していなければ予想を裏切られようもない。
  • そもそも計画の内容が複雑すぎるのがいけないのかも知れない。屋敷から金庫を奪って逃げるくらいなら観客にも理解できたと思うのだが、あんな尺を使って折角説明しておきながらなんでヤメにしてしまったのか。都市の中を走り回るとなるともう細かいところは何が何だか。
  • 一応復讐劇の形をとっているわけだが、この話の経緯だと、娘はともかく仲間たちにそれをする倫理的義務がある(それをすると立派だ)と言えるか微妙なところである。こういう場合は本来、裏切りによる死を防げなかったことについてなんらかの原因を仲間たちが作ったと言えるような形にしておくのが良い。

ベストシーン
盛り上がりが今一つなので一つを選びにくいが、敢えて言えば冒頭の裏切りシーンだろうか?

40点/100点満点

twitter.comが引けない

 ソースポートを53に固定にしているDNSサーバからは局地的にtwitter.comが引けなくなっているようなので要注意ですよ。
 より具体的には、twitter.comゾーンのネームサーバのns1.p34.dynect.netやdynect.net.ゾーンのネームサーバのns1.dynamicnetworkservices.net.などに到達できないようです。

『ヒッチコック』

 ロードショー終了間際の平日のシネコンとはいえ観客1人での鑑賞は初めて。

  • 『サイコ』製作の経緯を追った実話もの。主な葛藤は、自腹で製作することになった『サイコ』が無事ヒットするかどうかなのだが、まあこれはこの映画を観るくらいの人間なら皆結果がわかっているわけだからかなり弱い。そこで脇の筋としてヒッチコックの妻アルマが浮気する話を追加して二人の関係が破たんするかしないかの葛藤で話を持たせる形。ただ、破たんしたらどうなるのかというところはあまりはっきりしないので、これもあまり強い葛藤とはなっていない。
  • そんなわけで、劇中のセリフを借りれば「盛り上がりに欠ける」話ではあるが、そうは言っても、彼の私生活を垣間見ることができる内容で、ブロットや演出に大きなほころびもなく、ヒッチコックファンにはまずまず楽しめる作り。ヒッチコックを知らない人間が見たらどうかは保証しかねるが。
  • この作品にしても『サイコ』にしてもそうだが、実話を元にした物語は破綻しにくいという傾向が確かにあるように感じられる。「創作」などというが、やはり根も葉もないところから話を作るのは邪道なのかも。「これは実話である」と表示するシナリオに駄作が多いことと併せて興味深い事実。

ベストシーン
盛り上がりに欠けるので一つを選びにくいのだが……あえていえばやはりバスルームのセットでサクサクやってるところかな。

55点/100点満点

『ジャンゴ 繋がれざる者』

  • タランティーノの最新作。自由を得た黒人の元奴隷ジャンゴが離れ離れに売られていった妻を取り戻す話。『ジャッキー・ブラウン』以来久々の黒人(が主人公の)映画。
  • とにかく役者が素晴らしい。サミュエル・L・ジャクソンとクリストフ・ヴァルツの演技。これだけでも見に行く価値はある。
  • ただ、シナリオは……うーん、まあ合格点ではあるけど……どこか素人くさいような……。特にコンストラククションに違和感あり。演出面でも、それ自体としてみればよく撮れてるけどここでそういう撮り方をする必然性があるのかと疑問に感じるショットが多々あった。ようするに、場面偏重というか、全体が見れてない感じがする。

65点/100点満点

『よつばと!』12巻

  • 全体的に周囲のキャラの善人度が上がりすぎ。独自の欲求が感じられないというか……。『リューシカ・リューシカ』あたりから逆に影響を受けたのかも知れないが、よろしくない傾向。

『たったひとつの冴えたやりかた』【ネタバレ】

 マンガじゃなくて古典SF小説。旧訳版にて。

  • 泣ける結末を持つ小説として有名らしい。
  • 簡単にあらすじを紹介すると、行方不明者を追って宇宙船で冒険に出かけた少女が、その途中、たまたま拾った病原体のようなエイリアンに「感染」し、脳に取りつかれる。少女とエイリアンは束の間友人になるのだが、結局はエイリアンには取りついた者の脳を食い尽くしてしまう習性があるうえ、強い感染性もあることがわかり、そのエイリアンともども太陽に突入して自殺するという話である。
  • ということで、おそらく自殺するというところが泣き所なのだろうが、残念ながら筆者にはちっとも悲しく感じられなかった。おそらくこれは、主人公の行動の動機に説得力が乏しく共感できにくかったことと、エイリアンのことを友人のようには思えなかったことが原因である。
  • そもそもおよそ物語においては、誰でも人が死ねば即ち悲しいというものではない。そうなるためには死んだり別れたりする者のことを観客が愛していることが必要である。而して観客が愛する者は、観客を愛する者である。といっても、物語には観客自身は登場できないから、実際には、観客と理念を共有し一体感を持って観客に代わって物語中で行動する者(通常は視点人物)を愛する者を愛することになるのである。この視点人物を愛する者のことは主人公という。この話でいうと、作者の意図としては、視点人物が少女、主人公がエイリアン、ということになるはずだったのだろう。
  • だがこのエイリアン、口先では少女を大事にするようなことをさかんに言うのだが、実際にしている行動を見ると、ちっとも友人のようでないのだ。特に脳を食べてしまうのはその最たるもので、自身が説明するところによると、このエイリアンの種族の年長者たちであるところの「師匠」に指導されれば食べないでも済む(しかし今ここに師匠はいないので食べざるを得ない)ということらしいのだが、師匠に言われれば食べないなら友人のためにも食べないべきだろう。
  • また泣ける原因として、感動の涙というものもあり得る。この場合、少女の自己犠牲により人類が感染を免れたということが感動のポイントになるということなのだろう。しかしこの話だと、感染してしまった以上どちらにせよ少女は死ぬので、立派な行為には違いないが自己犠牲というべきか微妙なところではないか。