黒澤明映画ランキング

 筆者の独断と偏見による。特記なきものは白黒。

  1. 七人の侍(1954)
  2. 生きる(1952)
  3. 用心棒(1961)
  4. デルス・ウザーラ(1975・カラー)
  5. 羅生門(1950)
  6. 椿三十郎(1962)
  7. 隠し砦の三悪人(1958)
  8. 天国と地獄(1963・一部カラー)
  9. 夢(1990・カラー)
  10. 蜘蛛の巣城(1957)
  11. 生きものの記録(1955)
  12. 乱(1985・カラー)
  13. 影武者(1980・カラー)
  14. 静かなる決闘(1949)
  15. 醜聞(1950)
  16. 野良犬(1949)
  17. 赤ひげ(1965)
  18. 悪い奴ほどよく眠る(1960)
  19. 八月の狂詩曲(1991・カラー)
  20. 素晴らしき日曜日(1947)
  21. どですかでん(1970・カラー)
  22. 一番美しく(1944)

 お勧めできるのは『影武者』くらいまで。

『ブラック・ジャック』(電子書籍)

 eBookJapanの電子書籍版にて1~10巻を鑑賞。ブラックジャックの単行本にはいくつかのバージョンがあるが、これは原則として「講談社・手塚治虫漫画全集」版と同一のもの。

  • まず電子書籍の使い勝手について。なんといっても、従来の紙ベースの漫画本の場合、読み終わった後スペースを取るのが深刻な問題になるが、電子書籍ではそれを気にしなくていいのが助かる。このeBookJapanの電子書籍は、Amazonのそれと異なりPCで閲覧が可能なので、大画面で読むことができ見やすい。リーダーの使い勝手もまあまあで、読むのにストレスは感じない。
  • この電子書籍について。底本になっている講談社全集版同様、全22巻の構成で、作品は初出とは大きく異なる順序で収録されている。掲載順についてはこのサイトを参照。10巻まで読み進めた限りでは、特によくできた作品は第3巻までに集中しており、そのあとは徐々に下降線を辿る感じで、おそらく「よくできている順」ということなのではないだろうか。もし購入するなら、全22巻を大人買いするのでなく、はじめは最初の5巻あたりまでに止めるのを勧める。このシリーズは漫画の神様と言われる手塚治虫作品の中でも代表作クラスだが、できの悪い話も決して少なくない。
  • そのよくできている最初の3巻だが、中でも第3巻第7話『上と下』、第1巻第9話『タイムアウト』、第2巻第4話『アリの足』、同第7話『めぐりあい』の4本は誰にも勧められる名作である。特に『上と下』は、話にほとんど隙のない完璧な出来であり、作者の才能を感じさせる。

『駅 STATION』(1981)

 NHK BSPにて鑑賞。

  • 倉本聰脚本。高倉健主演。脇役も豪華キャスト揃いであり、日本映画全盛期の最後の残り火といった感のある作品。
  • 倉本聰の書くドラマは非常に独特で、どれも皆基本的に主人公の罪の懺悔をその内容としている。失敗(ハマルティア。ちなみに倉本聰は東大でギリシャ悲劇の同好会にいたそうである)が描かれるという意味では悲劇に似ているが、あくまで罪を告白するだけで、贖罪のためにそれ以上何かするわけではないのが特徴である。こういうドラマを書く脚本家はほかにあまりいないと思うが、敢えて言えば『秒速5センチメートル』などと似ていなくもない。本作でも主人公の男の、3人の女性に対する罪の意識が、半ばオムニバスのような構成で語られる。
  • 実際の人生では贖罪の機会などなく過ぎていくのがむしろ普通だから、このようなドラマはある意味でリアルであるとも言えるが、いわゆるドラマチックさに欠け、結末らしい結末を付けづらいという欠点もある(贖罪のための行為が語られるのならそれが済んだ時点が結末になるのだが……)。本作も話が終わったような終わっていないような曖昧なラストシーンとなっている。なお、『北の国から』のTVシリーズなども同様の問題を抱えていた。

ベストシーン

最後の酒場「桐子」でのシーン。対比効果がこれ以上ないくらいに強烈に効いていた。気まずいシーンを描かせたら倉本聰の右に出る者はない。

68点/100点満点

『ザ・シークレット・サービス』(1993)

 NHK BSPにて鑑賞。

  • クリントイーストウッド主演作(だが監督作ではない)。
  • 内容を一言で言えば大統領を警護するシークレットサービス版『ダーティー・ハリー』。良くも悪くもそれに尽きる。構成はウェルメイドとも言えるが新味や深みには欠ける。『ダーティー・ハリー』(1971)は当時革新的作品だったわけだが、本作は1993年の作品としてはおおむねB級作と言っていいと思う。
  • 大統領が暗殺されそうになるのだが、観客としては、どうも今一つ緊張感が感じられなかった。それにそもそもこの大統領陣営の人間は、選挙とカネのことばかり気にしてシークレットサービスからの警告にも反抗的なので、そういう人間を警護する行為自体もあまり立派に見えない。
  • 敢えて褒めるところを探すなら、悪役にも少しいいところがあるように作ってある性格造形だろうか。この悪役は主人公に優しいのである。ただ、そうであるにもかかわらず主人公が悪役にまったく妥協しないので、却ってなにやらその分主人公の印象が悪くなっている感があり、痛し痒しではある。

ベストシーン

  • 「振り返ったら俺に気がある」のシーン。何やらこの前見た『未成年』に似ているが、こっちの方が多少なりとも合理的である。

58点/100点満点

『未成年』(TVドラマ)

 DVDにて第1~2話を鑑賞。

  • 桜井幸子はいいけど……シナリオはすっごい退屈で見るのが苦痛。
  • 記憶の限りでは野島伸司ってこんなじゃなかったはずだけど……喜劇っぽいのは苦手なんですかね。

ベストシーン

  • 敢えていうなら1話のラストシーンなんだけれど、赤い傘さしたらってのはあまりに根拠なさ過ぎなんだよなあ。

30点/100点満点

『ラン・ローラ・ラン』(1998)【ネタバレ】

 レンタルDVDにて鑑賞。

  • なぜそれが可能なのか一切の設定の説明がないタイムリープ(ないしループ)もの。そのアイデア自体はよかったと思うのだが、シナリオにしても映像にしても技術が不足している感あり。
  • 序盤のあらすじは次の通り。主人公ローラの恋人マニは、麻薬を売却して現金に換えるようギャングに依頼される。マニが取引の場所へ向かうと、無事麻薬を売却できたが、その後迎えに来るはずのローラが現れなかった。これはこのときたまたまローラがバイクを盗まれたからであった。マニはやむを得ず電車に無賃乗車して帰宅するが、その途中、車内で検札に出くわしあわてて電車を降りた際に、その大金の入った袋を座席に置き忘れ紛失してしまう。午後の約束の時間までにギャングに現金を渡せなければ殺されると恐れたマニは、かくなるうえは近くのスーパーマーケットに強盗に入って金を作るしかないとローラに電話で相談するが、ローラはなんとか金を工面するからそれは止めるようにと説得する。しかしマニは20分後の正午までに金が用意できなければ強盗に入ると宣言する。そこでローラは父親のもとに金策に向かう。実はローラの父親は銀行の頭取なのだ。
  • そこから正午過ぎまで、ローラが東奔西走する時間が、この作品中で3回繰り返される。前述のように、なぜ時間を戻ってやり直すことができるのかについて何らの説明もないのだが、意外にこれは不自然に感じない。1回目の結末はローラが警官に撃たれて死亡、2回目はマニが車にはねられて死亡、3回目は置き忘れた現金が出て来てハッピーエンド。
  • このシナリオの主な問題点は次の通り。
    1. マニが大金を失う理由があまりにアホらしすぎてサスペンスとして成立していない。大金を手にしているのになぜわざわざ無賃乗車などというリスクを冒すのか。なぜ大金をしっかり身に着けずに座席に置くのか。そもそもなぜ麻薬取引などに手を出すのか。観客にとってこれらは「自分ならあり得ない」ことであって、その結果マニが困ったことになっても他人事のようにしか感じられない。またしたがって、ローラも「どうでもいいことのために走り回っている女」でしかなくなってしまう。
    2. 残り時間が20分しかないのでは、例え自分名義の普通預金口座に十分な残高があったとしても間に合うかどうか疑わしい。これでははじめからまともな金策など成功するわけがないのであって、葛藤にならない。時間のカセが必要なのはわかるがやりすぎである。
    3. 不幸ないし幸福な結果が偶然生じている。例えば、ローラが死ぬのは偶然警官が誤って発砲してしまったからだし、マニが死ぬのは偶然通りがかった車に引かれたからである。これはご都合主義そのものであって、教訓も何もあったものではない。物語においては不幸や幸福は人間の行為から蓋然的な因果を辿って生じなければならないのである。
    4. おそらくそういう風に作者が因果関係の重要性に鈍感なことと関係するが、結末と因果関係を持たない冗長なシーンが挿入されている。例えば「すれ違った通行人のその後の運命」が描写されたりするのだが、こんなものに興味などないのであってまったく不要である。
  • 映像の面でもあまり褒められない。なんといっても画面の疾走感が不足しているのが最大の不満点である。それにどういうわけか主人公も含めて出てくる女優に美人がいない。

本作のベストシーン

  • この映画短評の記事ではどうも苦言ばかりになる傾向があるので、バランスを取る意味で、このサイトを参考に、今回から作品からベストシーンを一つ選んで記しておくことにする。
  • 銀行の警備員が、ついてないローラに「こんな日もあるさ」と言って慰めるシーン。脇役ながらこの警備員が本作でもっとも魅力的なキャラクターである。

40点/100点満点

『映画「けいおん!」』

 WOWOWにて鑑賞。

  • 人気テレビアニメシリーズの結末にあたる劇場版。だがそのテレビシリーズの方はほぼ未見。
  • 主人公たち高校軽音部の3年生4人が卒業するにあたり、可愛い後輩の2年生中島梓……じゃなくて中野梓に曲をプレゼントする話。
  • あれだけネットで話題になっただけのことはあって、確かに梓の可愛らしさはよく描けている。
  • ドラマの構造としては典型的な喜劇型であり、周囲の状況から来る刺激に人物たちがどのように反応するかを描写するエピソードの積み重ねで話が進んでいく。つまり人物の行動は受動的である。その点で人物が能動的に周囲の状況に対して働き掛けるシリアスドラマ型と対照的であり、いわゆる「ドラマチックさ」には欠ける。したがってその分喜劇型ドラマでは展開や人物の性格に強烈なパンチが必要だが、この作品ではそのあたりがちょっとユルく、梓の可愛らしさに頼りすぎのように思われた。また、どうしてもこのタイプの話では、話の先行きに対する関心が薄くなりがちであり、今回この作品を鑑賞し終わるのに休み休みで1か月近くを要した。1話が20分強で終わるTVシリーズならこれでもいいのだろうが。
  • 卒業旅行として軽音部のメンバーたちがロンドンに行くというのが今回の話のウリになっているのだが、この話だとそれに必然性があったか微妙なところである。すなわち、この話のテーマは、直接には梓にどんな曲をプレゼントするべきかということだが、それに対して「いつも通りの曲でよい」という答えを得たことと、ロンドンに行ったこととの関連が弱いような気がするのである。極端な話、ロンドン部分をまるごとカットしても話の理解になんら影響を与えないのではないだろうか。
  • 卒業の日やその前日の描写はやや冗長である。筆者がシナリオを書くなら、この日の出来事は梓の視点で彼女から見えた部分だけを描くし、別れの寂しさをもう少し強調したところである。先輩たちが梓に曲をプレゼントしようとしていたことも、ラストまで観客にも隠すべきだったかも知れない。
  • それに、梓への曲が始まった時点でエンドロールにして、梓の反応は観客の想像に任せる形にすると思う。せっかく梓への想いを嫌味なく伝えられたいいシーンだったのに、そのあとにごちゃごちゃつけたのでは余韻がぶち壊しである。梓が先輩たちをどう思っているかがそこまでで充分描写されていれば、梓がどういう反応を示すかはわざわざシーンとして描くまでもなく自明なのだし、またそうなるようにそこまでのプロットが作られているべきであった。
  • ただ作者たちの彼女らへの愛情が感じられる作品ではあったと言えよう。これで最後なのだから愛すべき彼女らをロックの聖地イギリスに連れて行ってあげたかった……などと言われれば非難はしにくい。

55点/100点満点

『トゥルー・グリット』

 WOWOWにて吹き替え版で鑑賞。

  • 2011年公開の西部劇。コーエン兄弟監督。1969年にも同じ原作が映画化されている。
  • 主人公の少女をはじめ役者の演技はよくできている。
  • 例によってシナリオについていうと、この話にはテーマ、テーゼがない。ゆえに観終わった後の「中身のなさ感」に強烈なものがある。その他の点の出来がまずまずなので余計に残念。西部劇だとこういう娯楽性一本やりみたいな話は多いけれど、やっぱりとってつけたようなものでもいいから物語には全体を貫くテーマと、結末において示されるテーゼ、教訓がないとまずいのだ。それがはっきり確認できるという意味で反面教師として貴重な作品。
  • また、この話のように追跡する側に視点が置かれると、どうしてもサスペンス性に欠けるため、話の駆動力が弱くなる面がある。

50点/100点満点

『ホビット 思いがけない冒険』

 字幕・3D版にて鑑賞。

  • 『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズの前日譚である。トールキンファンのためのファンムービーで、前シリーズ同様一見さんお断り。これを見に来る観客の7割は既にストーリーを知り尽くしており、いかに映像が原作のイメージ通りに再現されたかをチェックするために劇場に足を運んでいる。
  • ファンとしては、まずまず満足できる出来である。ホビット庄(という訳語が復活した)や裂け谷の美術や、大自然の風景は、前シリーズ同様に美しい。話の中身も原作に忠実である。また、次回作送りかと思われた「指輪」のシークエンスもこの第一作に入っていた。一方、ピーター・ジャクソンお得意のモンスターが絡む映像の造形は、前シリーズ同様、過剰に醜く作られており、原作の雰囲気にふさわしくないし、真実味にも欠けると思う。だいたいモンスターの数も多すぎる。あんな過密状態で普段どうやって生活しているんだ。
  • 前シリーズ同様、独立した一つの作品として見た場合の完成度は、あまり高いとは言えない。特にシナリオの出来は、相変わらず稚拙であるといっていい。原作の内容を尊重したからということもあるだろうが、むしろフラン・ウォルシュとフィリッパ・ボウエンの脚本技術の問題が大きいと思う。彼女らの他の作品も見たことがあるが、彼女らの脚本は、どうしても語り手の決断に至る心情でなく出来事の方を追ってしまうようである。今回の話で言えば、ビルボはいくつかの決断をしている。一行とともに冒険に出るかどうか、足手まといと言われて家に帰るかどうか、オークからトーリンを救うかどうか。この作品のプロットで観客はこれらについてビルボが下した決断にもっともだと共感できただろうか。私には疑問に思われる。また同じ原因により、ラダガストやトーリンに絡んで視点が混乱しているシークエンスも見られた。
  • とはいえはじめに記したように、観客はストーリーはもう知り尽くしているのだから、シナリオの欠点はあまり致命的ではない。ただ、残り3割の一般客には憐れみの念を禁じ得ないのである。
  • ところで当たり前のようで今まで気づかなかったのだが、ビルボって地主階級なんだな。

80点(トールキンファンとして)/100点満点
30点(一般の映画ファンとして)