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水曜どうでしょう アフリカ篇 

 MXTVでの全編の放映が終了。
 既に各所で指摘が出ていたところだけれど、やはり今回の出来はどうでしょうの企画の中では下の方だったかな。

 有能なガイドに任せすぎて旅に目的と苦労と失敗がなかった。つまり劇作風に言えば葛藤がなかった。
 また映像面では、どうでしょうの特長である前方の車窓の風景をバックにしたトークが少なかった。

『黄金を抱いて翔べ』(2012)

 あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。

 WOWOWにて鑑賞。

  • 高村薫デビュー作が原作。井筒和幸監督。
  • 井筒和幸監督の言いたい放題レビューは深夜バラエティーでよく見ていたものの、監督作を見るのは初めて。どんな映画を撮るのかと思っていたが、本作の出来から判断するに、日本の現役映画監督としては実力のある方と言っていいと思う。ただ、主演の妻夫木聡の演技は、もう少し演出(=演技指導)すべきところがあったようにも思われる。
  • さて例によってシナリオだが、まず話の中身をざっくり言うと、6人の男たちが銀行から金塊を強奪する話である。オーシャンズナントカとかミニミニナントカとかの日本版と思っておけば大体問題ない。実際に銀行強盗をするシークエンスは全編125分のうちラスト40分間で、残りの85分のうち開巻からの30分程度は人物紹介、続く50分ほどは準備行為のエピソードに費やされる構成である。
  • まず、ラスト40分の強盗のシークエンスは、若干視点の置き方に混乱が見られたものの、まずまずよくできていた。犯罪の手口というものは、常に興味深いものである。なお、シナリオとは関係ないけれど、火薬の量も最近の邦画にしては奮発した方と思われる。この手の映画の映像の迫力は撮影で使用した火薬の量に由来するといって過言ではない。
  • しかしその前の85分がどうも今一つ退屈である。大きく言えば葛藤の作り方に関して問題が2つあって、第一の問題は、男たちの強盗の動機をきちんと観客が共感できるように説明しないままに話を進めていることである。こういう話の場合、なるほどそのやり方ならうまくいくかも知れない、またそのような状況なら強盗を実行すべきだ、と観客にまずはじめに思わせることが必要で、さもなくば主人公たちがどんなピンチに陥っても観客にとって他人事になってしまう。
  • 第二の問題は、強盗の準備を阻む障壁となっている事情が話の中身に対して本質的でなく、とってつけたようであることである。この話では、強盗の準備行為を繁華街を仕切る愚連隊や北朝鮮の工作員が邪魔しようとするのだが、なぜこの話に愚連隊や工作員なのか、必然性が感じられない。この話が直接に説明しようとしているテーマは、要するになんとかして銀行から金塊を盗み出すことは可能かなのであって、その問いに対して「工作員や愚連隊がいたら難しくなる」などというのはそもそも話題から外れたことだし、興味もないことである。銀行強盗には一般に工作員や愚連隊の妨害がつきものだというのなら別だが、そんな話は聞いたことがない。
  • また、冒頭いきなり工作員がらみの話から始まっているが、この話は本筋ではないのだから、こんなところに置いてはいけない。これではまるでモモが主役みたいではないか。

60点/100点満点

『ゼロ・グラビティ』

 IMAX 3Dにて鑑賞。

  • 地球上空の衛星軌道上でハッブル宇宙望遠鏡の修理に当たっていたNASAの宇宙飛行士たちが、スペース・デブリの嵐に巻き込まれて遭難する。果たして主人公たちは無事地球に生還できるのか、という話。なお、原題は『Gravity』で「ゼロ」は付いてない。まさか日本のワーナーがあの映画を意識したわけじゃないよね。
  • CGと物理シミュレーションによるリアルな物体の動きとか、緻密な取材に基づくと思われるスペース・ステーションや宇宙船のディテールとかからくる映像のリアリティと美しさが圧倒的。宇宙空間で思うように動けない感じもよく伝わってくる。身体感覚というのだろうか、臨場感というのだろうか、そういったものが優れていて、久し振りに映画らしい映画を見たなという印象。この作品は劇場で見るべきである。
  • シナリオそのものは、古臭いというか、一難去ってまた一難という感じの話で、昔の娯楽映画ってこんな感じだったなと思わせるようなストーリーである。危機がやってくるのもそれを切り抜けるのもかなり偶然に頼っているようなところがあって、冷静に見ると大したことがないシナリオである……いや、フィクションでは、偶然物事が起こっていけないわけではないのだけど、その場合、それが何かを描写する手段になってないといけない。この話の場合、そういう危機そのものが目的になってしまっているように見えた。それは単なるご都合主義である。ただ、映像の方が圧倒的なので見ている最中はあまり不自然に感じない。
  • 昨今のハリウッド映画のように、無理やりに観客に媚びたような話にしようとしていないところは潔いと言えば潔い。セルフプロデュースだからこういう話にできるのだろう。ただやっぱり、筆者がシナリオを書くとしたら、主人公にジョージ・クルーニーを助けに行かせたと思う…というより、あんなに早い時点でああいう風にはしないで、クライマックスの方で彼に見せ場を与えて(いや、実際の作品でも一応あるにはあるんだけど…)、ジョージ・クルーニーを讃える話にしたと思う。そういう風にするとこれはもう『ポセイドン・アドベンチャー』そのものだけど、まあパニック映画の型はすでに完成されていて変えようがないということかも。
  • シナリオということでいえばやはり検討しなければならないのは死んだ娘とかの話だろうが、あれは褒めるべきかけなすべきか判断しかねる。別にあの話がなくてもほとんど結果は変わらないように思え、また大した教訓になっているとも思えないので、そういう意味では本質的に取ってつけた話のような気もするのだが、ただそれをネタにしたダイアローグの出来はまあまあだったような気も…。登場人物があれだけ少ない中でセリフで場を持たすのは一つの腕といえば腕かも知れない。
  • 町山智浩言うところの「元ネタ」動画はこちら。確かにこんなシーンがあった。
  • 見終わった人におすすめの動画はこちら

80点/100点満点

『キャプテン・フィリップス』

 吹き替え版で鑑賞。上映時刻の都合だったが、劇場で吹き替え版を見たのは初めてかも。もっとも、シナリオの評価には吹き替え版の方が優れている。

  • フィリップス船長が率いる大型貨物船がソマリアの海賊に襲われる。海賊たちはその後救命艇で脱出するが、その際に彼が人質になる。果たして米国海軍は彼を救出できるかという話。後に船長自身が書いた手記を原作にした実話ベースの話。
  • したがって、彼が助かるという結末はわかったうえで見る映画である。だから葛藤を作るという面では、いかに彼が助かりそうにないように見せるかが勝負だが、そのあたりの出来は、可もなく不可もなく。いかんせん史実に縛られるので制約があり、若干の不満は残るが、まあその割によくやったほうではあろう。それなりにスリリングな話になってはいる。
  • 商船の海賊対策というものがいかに頼りないかはよくわかる映画である。
  • しかし全体的・本質的なところでいうと、どうも薄味な印象の話であった。何か毎回似たようなことを書いているような気がするが、すべからくドラマが直接目的とすべきものは、主人公の成したある特定の決断を倫理的に賞賛又は非難することである。で、この話におけるその決断はなんだったかというと、これが今一つよくわからないのである。フィリップス船長は、海賊たちの脅しにさらされていることもあって、決断らしい決断をしたように見えない。どうも素直に見ると、かえって、この話が称賛しているのは米国海軍の武力の方であるように思われるのだが、これだと主人公はフィリップス船長というより米国海軍ということになってしまうし、倫理でなく技術面・能力面に関して称賛しているにすぎないようにも思われる。といって、海賊たちの海賊行為を非難するものかというと、どうもそんな感じでもないのである。というのは、一つには何か少し海賊の側の事情にも中途半端に理解を示すような描写があること、またもう一つには、こちらが本質的な理由であるが、海賊行為を行わないという選択肢を選んだらどうなったのかをうかがい知ることに焦点があたったつくりになっていないことからである。そのあたりのピンボケ感が、薄味さにつながっていると思う。
  • ラストシーンの診察のシーン、あそこのセリフは大変リアルで、こんなセリフが書けるならかなり手練れの脚本家なんじゃないかと思ったが、実はあの医官はホンモノで、彼女に任せたシーンだったらしい。なあんだ。

68点/100点満点

Googleウェブマスターツールで少数のDNSエラーが報告される

 このブログはコンピュータ系の記事と映画系のとがごちゃまぜですが、数少ない読者の方々はどちらを期待されているのでしょうか…
 今回はネットワークネタを。

症状

 Googleのウェブマスターツールで少数のDNSエラーが報告される。しかし手元でホスト名を引いてみてもほとんど若しくは全くエラーは起こらない。

原因(の一例)

 当該ドメインを受け持つ公式(authoritative)サーバが、DNS Amplification攻撃(DNS Amp・DNS reflecton)のための大量のリクエストを受けていたために、DNSへの応答が遅れていたため。
 このことは、例えばLinux + BINDの場合、syslogに次のようなメッセージが大量に出力されていることで確認できる。
named[1528]: client 24.13.152.253#12767: query (cache) 'a.packetdevil.com/A/IN' denied
 なお、open resolverになってしまっている場合は、このようなメッセージも確認できない可能性がある。

対処策(の一例)

 まず、当該DNSサーバがopen resolverの場合、他のホストへの攻撃に利用されてしまっているので、外部からの再帰クエリを禁止するなどして早急にopen resolverでないようにする。
 その上で、当該DNSサーバ上でパケットフィルタを実施する。Linuxのiptablesの場合、GitHubにDNS Amp用フィルタを自動的にとってきて適用するためのスクリプトが上がっているので、これを利用するのが便利。

参考文献

DNSキャッシュサーバを使用した「DNSアンプ」攻撃が発生中……再帰的な問い合わせを悪用
DNS Ampの脅威
分散サービス拒否(DDoS)攻撃を仕掛けるDNS ampとは?
オープンリゾルバ(Open Resolver)に対する注意喚起
DNS Amplification Attacks Observer

『ガタカ』(1997)【ネタバレ】

 レンタルBDにて鑑賞。

  • NASA選出「現実性の高いSF映画10選」第一位。
  • 演出や映像は、低予算ながら落ち着いた雰囲気で上品。音楽もなかなか抒情的にできている。
  • あらすじは次の通り。妊娠と出産にあたり、受精卵の選別と遺伝子操作が当然となった近未来が舞台。そこでは、遺伝子診断により人間の将来が高い精度で予測される。若くして病気や障害を持つことになる可能性が高い劣った遺伝子を持つと診断される者は社会的に差別され、下層の職業にしか就けない。主人公のヴィンセントは、選別も遺伝子操作も受けずに自然に生まれた人間で、やはり劣った遺伝子を持つとされた男である。しかし彼は宇宙飛行士になりたいという夢を持っていた。宇宙探査を任務とする企業「ガタカ」に就職するには、しかし優れた遺伝子を持つことが絶対条件であり、どんなに努力して能力を高めても、彼がガタカに就職できる見込みはなかった。
    そこで彼は一計を案じ、闇のブローカーと取引して、遺伝子操作により極めて優秀な遺伝子を持って生まれてきたが、事故により下半身不随となった男ジェロームを紹介してもらう。彼に収入の25%を支払い生活の面倒を見る代わり、遺伝子検査に必要な尿や血液のサンプルを提供してもらい、彼に成りすましてガタカに就職しようという目論見だ。果たして入社面接で産業医のレイマー医師に彼の尿サンプルを提供すると、ヴィンセントはあっさりガタカへの就職に成功した。もともと彼は努力家であり、入社してしまえば社内の業務はなんとかこなせた。上司のジョセフ局長からの評価も悪くない。社内では毎日遺伝子検査が行われるが、ジェロームから提供を受けたサンプルを使って難なくごまかしていた。
    しかしいよいよ彼が宇宙飛行士に選ばれ、土星の宇宙探査への出発が近づいてきたある日、社内のある幹部が何者かにより殺害される。警察が社内を捜査する過程で、たまたま落ちていたヴィンセントの眉毛が採取され、検出された遺伝子から無実のヴィンセントに殺人の疑いがかかる。といっても、本人は社内でジェロームとして振る舞っているから、差し当たり危険はないはずであったが、警察は社員としてヴィンセントが潜んでいることを疑い、社の内外で抜き打ちの遺伝子検査を繰り返す。ヴィンセントは不安を感じるが、辛くもそれらの検査をすり抜ける。結局、土星への出発前日にジョゼフ局長が犯人とわかり、ヴィンセントへの疑いは晴れる。
    ジェロームはヴィンセントに言う。俺は一番になるべくして生まれてきたが、結局そうはなれなかった。下半身不随になったのは、実は事故ではなく自殺を図って失敗したせいだ。ヴィンセントに遺伝子を提供することで、再び夢を取り戻したように思う。冷蔵庫に一生分のサンプルを用意しておいたから、宇宙から戻ったらそれを使うといい。俺は旅に出ようと思う。
    打ち上げ当日。ガタカに出社したヴィンセントが、いよいよ土星へと出発するため、宇宙船に乗り込もうとする。ところがその搭乗口で突然、抜き打ちの尿検査が実施される。宇宙では検査はないと思っていたヴィンセントは、ジェロームの尿サンプルを持っていなかった。やむなく自分の尿を提供すると、遺伝子検査の結果は不合格。だが、自らも劣った遺伝子の息子を持つというレイマー医師は、なぜかその結果を合格に書き換え、ヴィンセントを宇宙船に行かせてくれた。ヴィンセントを乗せて、土星へと打ち上げられる宇宙船。その頃ジェロームは、焼却室の中で自殺するのだった。
  • 以上が本筋のあらすじで、これにユマ・サーマン演じる女性同僚とのちょっとしたロマンスの筋や、ヴィンセントの、こちらは遺伝子操作を受けて生まれてきた優秀な遺伝子を持つ弟との絡みなどもあり、それらが話のテーゼを補足している(が、後述するように問題がある)。
  • さて、このシナリオの評価だが、遺伝子による差別の否定ということそのものは大変意義のあるテーゼで、その心意気は高く買いたいと思う。ただ、この作品のストーリーがそのテーゼを例証するものとして適切だったかというところには、問題がないとは言えない。
    おおざっぱに言うと、実際の出来上がりを見る限り、この話は「遺伝子による差別をしないのが正しいと仮定するとどのような行為が正しいことになるか」を論じたものであって(遺伝子検査逃れをするのは正しい、検査に対抗するためのサンプルを提供してやるのも正しい、やたらと検査をするのは正しくない、宇宙船の打ち上げは延期しないのが正しい、などなど)、「遺伝子による差別が正しいかどうか」については論じていない。だから、特典映像などの外部資料などを見る限り、製作者の意図は反対であるらしいにもかかわらず、遺伝子に基づく差別そのものはこの話のテーマになっていないと言わざるを得ない。
    あるいは、遺伝子による差別をしないのが正しいと仮定した状況下で好ましい結果が生じたから、遡って遺伝子による差別をしないのが正しいことになるのだという論法かも知れない。しかしそれならば、宇宙船が打ち上げられたところで話は終われず、その後彼が目覚ましい成果を挙げたことを示さなければならないだろう。宇宙船に乗れたことは、検査逃れが成功したことを示すに過ぎない。また、今回たまたまうまくいったというだけでは足りず、そのような結果が蓋然的に生じることも示さなければならない。しかしこの話ではそれらのようなことを示せたとは言えない。
    例えば、上のあらすじでは説明しなかったが、ヴィンセントの遺伝子で特に問題視されたらしい点として、心臓疾患のために30歳程度までしか生きられない可能性が高いという設定が出てくる。ところが、どうやらそろそろ30歳が近づいているらしいヴィンセントに心臓疾患の様子はない。しかしこれを遺伝子検査はあてにならないからだと解釈することはできない。検査の精度が高いというのはこの世界の設定であって語り手の方から持ち出した話の前提だから否定することは許されないからである。したがって、ヴィンセントが心臓疾患に罹っていないのはまれな偶然にすぎないと解釈しなければならない。とすると、依然として心臓疾患に罹る可能性の高い遺伝子を持つ人間であっても宇宙飛行士に選んでよいことが示されたとは言えない。
    また、これまた上のあらすじでは説明しなかったが、ヴィンセントが子供時代によく弟と海で遠泳の競争をしていつも負けていたが、ある日、がむしゃらに泳いでいたら勝つことができたというエピソードが出てくる。これは、努力が遺伝子に勝ることがあるという主張だろうか。しかし、弟の方が遺伝子が優れているため体力があるというのは設定であって否定が許されないため、これまた勝利は偶然としか解釈できない。
    おそらく本来であれば、遺伝子診断は不確実なものだが、それが独り歩きして確実なものと信じられていたという設定にすべきだったのではないだろうか。遺伝子診断の結果が確実だという設定にしてしまうと、それに基づく差別の合理性は動かしがたいものになってしまう。もっとも、社会の最適効率という原則には反してでもチャンスが与えられるべきだという倫理もあり得るが、この話でそういうものが強調された節はない。
  • またこの話では、殺人事件に端を発する抜き打ち検査からなんとか逃れようとするというサスペンスが話の中心に来ているのだが、これらは遺伝子差別が誤りだという前提があって初めて同情に値する出来事になる。したがって、遺伝子差別が誤りだということ自体は別途証明しなければならないが、すでに述べたようにそのような証明は見当たらない。結局この話は、その点の証明はなしに、なんとなく正しくないような気がするという観客の先入観に頼って同情を買う話になっている。確かに正しくないような気はするのだが、そこはきちんと証明して欲しかった。
  • ところでラストの尿検査だが、レイマー医師が合格にしてくれた理由が説明不足である。いや、観客はなんとか行かせてやるべきだと思ってはいるが、レイマー医師としてはわかっていないはずなのである。思うに、この話の語り手はレイマー医師で、彼はそこまでの一連の出来事について、その時点ですべてを知っていたというプロットにすべきではなかったか。その理屈付けとしては、例えば、彼がヴィンセントの同僚の女性アイリーンの父親だったということにしてもいい。
    いずれにせよこの話は、全体を「レイマー医師が尿検査でなぜ合格にしたのか」を説明するものとして構成するのがまとまりがいいと思う。そういう意味では、あまり意義がはっきりしないジェロームの出番は削って、レイマー医師をもう少し前面に押し出すべきだった。

70点/100点満点

『最強の二人』(2011)

 WOWOWにて鑑賞。

  • 下半身不随の富豪と、彼に雇われた介護人の間の友情の話。
  • …とストーリーを表現するしかないことからわかるように、この話には全体を貫くものとしては明確な筋も正しさに関する決断も葛藤もない。脚本技術的に言えば、行為の単一(一致)のルールに沿っていないと言うこともできる。性格ないし人間関係を描写する小さなエピソードの積み重ねだけで話が進んでいくので、話の先行きに対する興味が持ちにくく、相対的に退屈な話である。そのあたりは、最近でいえば『けいおん!』の劇場版を見たときと感触が似ている。
  • もっとも、その割に結構見られる方だとは言っておくべきであろう。人間関係の描写一本で1時間50分持たすシナリオを描くのは並大抵のことではないと思う…といってもまあ、原作の本はあるわけだけど。

60点/100点満点

『アルゴ』追記

 以前のレビューに次の通り追加。

  • この話の要点となる重大な決断(プロット・ポイント)としては
    1. 襲撃の際、大使館員たちは大使館に留まることもできたがそこから逃げ出したこと
    2. トニーが大使館員たちを軍による救出作戦に任せるのでなく飛行機に乗せようとしたこと

    の2つが考えられる。ところで、およそドラマの観客の関心は、登場人物が実際に選んだ方の選択が選ばなかった方と比べてより正しかったかどうかに集中し、その点をはっきりさせたうえでなければ物語は終われないはずである。しかるにこの作品ではそこが不明確なままであった、つまり、軍に任せたら殺されていたのかどうかを明確に示す必要があったはずだが、そこがあまりはっきりしないままであった。
     筆者は歴史に疎いが、ネットで調べてみると、実際の歴史では、その後行われた軍の救出作戦は失敗したものの、事件の発端となった亡命した国王が死去したことで、結局人質は全員解放されたとのことである。ということは、結果的に、無理をして大使館から逃げ出すことも、飛行機に乗せることも必要なかったわけだ。これがこの物語の結末が曖昧にならざるを得なかった原因なのだろうが、そういうことであれば、むしろ実話としてではなく、オリジナルのフィクションとして制作されるべきだったろう。あるいは、むしろ徹底してコメディとして作るべきだったかもしれない。

『暴走機関車』(シナリオ)

 黒澤明デジタルアーカイブにて鑑賞。

  • 『用心棒』『椿三十郎』『天国と地獄』の菊島隆三脚本。クレジットとしては黒澤明と小国英雄も脚本ということになっているらしいが、実質は菊島単独脚本に近いのではないか? いずれにせよ、黒澤明監督作として企画されながら日の目を見ず、後にアメリカ版『暴走機関車』や『新幹線大爆破』『スピード』の原案として使われることとなった幻の作品の台本。なお、後日実際にアメリカでこの話に似た事故が起こり、それは『アンストッパブル』として映画化されたが、本作品と直接の関係はないということになっている。
  • 初っ端から観客をぐいぐいひきつける全盛期の菊島節が冴えている。娯楽性満載で、黒澤が撮ったら人気作の一つになっていたことだろう。
  • ただ、菊島脚本には欠点も多い。第一に、『天国と地獄』もそうだったのだが、前半と後半で主人公が別々になっている。この話だと、前半のうちは、主人公が司令員をはじめとする鉄道員たちで、彼らがいかにして列車との衝突を防ぐかという話になっているのだが、後半に入ると彼らの存在感がやや薄くなり、列車に乗り込んだ三人がいかにして機関車を止めるかという話になっている。また、鉄道員たちにせよ三人にせよ、報われぬ犠牲を覚悟した倫理的行為(不完全義務の履行)に欠けるため、主人公として語られるに足る立派さを備えているとはあまりいい難い。
  • 第二に、列車が暴走を始めた原因が十分に追及されずに終わるため、説得力不足だし、物語の教訓に欠ける。単にスロットルが入ったままだとATSが効かないというのでは、ATSの意味がないように思われる(前述の現実の事件ではATSがなかったそうだが、本作ではATSがあるような描写になっている)し、なぜスロットルが入ったままになったのか追及されないままであった。
  • この2つの欠点のせいで、結末も締まりのないものになったと思う。およそドラマはすべからく話の教訓を確認し、また英雄的行為を讃えることで終わるべきだが、この話にはそのどちらもないから結末で語られるべきこともないのである。