映画短評」カテゴリーアーカイブ

『天地明察』(2012)

 WOWOWにて冒頭5分だけ鑑賞。

  • 大して笑う理由もないのに役者は張り付いたような営業スマイルを浮かべっぱなし。慌てているのを表現するために蹴躓いてみせるというマンガ的な陳腐な表現を実写映画で平気で使う。ぞっとする演出センスである。
  • ああ、邦画ってなんでこうなんだろう。

10点/100点満点

『シャイニング』(1980)

 WOWOWにて久しぶりに再鑑賞。

  • やっぱりこの話は辻褄が合ってない。というか、結局なんでこういうことが起こったのか訳がわからない。したがってこの話が何が言いたいのかもわからない。話の展開に意外性はあるけど、なんでそういう意外なことが起こったのかというところがいい加減。
  • 演技や映像は確かに優れているけれども、キューブリックとキングの名前がなかったらこんなに有名な作品にはならなかっただろうなあ。

50点/100点満点

『ワイルドバンチ』(1969)

 NHK BSPにて久しぶりに再見…だと思うのだけど、ほとんど覚えてなかった。

  • 強盗団(ワイルドバンチ)の一味が、いろいろあった末、最終的には仲間のためにメキシコ軍のマパッチ将軍一味に戦いを挑み、散っていく話。サム・ペキンパー監督。
  • 基本的には西部劇であり、銃撃戦が見どころである。特に最後の銃撃戦は機関銃が乱射される壮絶なシーンである。『ランボー』(1982)あたりからのハリウッドの撃ちまくりアクションの源流はこの辺なのかなあと想像されないでもない。ただ、『俺たちに明日はない』のラストにも似た風味のシーンで、こちらは公表年が2年遡る1967年なので、本当の源流としてはこちらを挙げるべきかも。『明日に向かって撃て!』(1969)の結末とも(実は結末以外も)かなり似ているが、公表年は同じである。
  • 脚本面では、とにかくかつてワイルドバンチの一員だったが今は彼らを追う立場となったソーントンの筋が本筋とすがすがしいまでに無関係なのを特筆すべきであろう。つまり、彼がいてもいなくても同じ結末が生じたに違いない。TV放映の際はどうぞカットしてくださいと言わんばかりである。同じペキンパー作品で『ゲッタウェイ』も3つ巴型の話で、これもまた脇の筋がやたらと目立つ割に本筋との絡みがよくわからないプロットであった。3つ巴はシナリオの地雷なのだろうか。
  • とはいうものの、最後の銃撃戦に至る経緯は確かに彼らを格好良く見せるに十分であった。やはりドラマはこうでないとね。

60点/100点満点

『エターナル・サンシャイン』(2004)

 BS JAPANにて久しぶりに再見。

  • (ネタバレのあらすじ)恋人のクレメンタインと仲違いした主人公の男ジョエル。彼は仲直りを期待して彼女へプレゼントを持っていくが、彼女は新しい恋人を作っていたばかりか、なぜか彼のことを知らないような素振りをする。その後ジョエルは、彼女が心理的施術を受けて彼についてのすべての記憶を消去していたことを知る。憤慨した彼は、クレメンタインの記憶を消去するために同じ施術を受けることにする。だが、施術中の夢の中に甦ってきた彼女との記憶を反芻するうちにそのことを後悔し始め、消去から逃れようと彼女とともに夢の中を逃げ回る。しかしその努力もむなしく二人は次第に追い詰められていき、結局クレメンタインの記憶を失ってしまうのであった。翌朝目覚めたジョエルは何も知らずに出勤しようとするが、ふとしたはずみで会社をズル休みし、いつもとは反対方向の電車に乗って海岸へと出かけることにする。実はそこは彼とクレメンタインが初めて出会った海岸だった。海岸を歩いているとクレメンタインがやってきて、何も覚えていない二人は再び恋に落ちるのだった。
  • …というのが本筋で、これがミステリアスさを演出する幾分時系列が入れ替えられた形で語られていく。これに、施術するクリニックの職員の方の人間関係についての脇筋が絡ませてある。本筋だけならせいぜい45分で十分なところを、脇の筋で無理やり1時間50分に膨らましたような形になっていて、少々冗長なのが残念である。
  • しかし本筋に限って言えば、シナリオがよく書けていることに疑いはない。ジョエルとクレメンタインの弱さがよく描けているし、ついに彼が最後の記憶を失うシーンは悲しみを誘う。そして何より、永遠の恋人という人類の希求してやまない理想が美しく描けている。この作品がアカデミー賞で脚本賞を取ったのは理由のないことではない。
  • 映像面でも、あのゴンドリーの監督作にしては控えめかなと思わないでもないものの、やはり夢の中の映像には彼らしい独自の表現が見られる。一見の価値がある佳作である。

70点/100点満点

『風立ちぬ』

  • 宮崎駿最新作。三菱の航空機の設計者堀越二郎が結核に侵された妻菜穂子を犠牲にしてゼロ戦を完成させる話。堀越の評伝と、ゼロ戦とは関係ない小説『風立ちぬ』をニコイチにした話らしい。
  • まあ狭い意味でのアニメーションそのものは毎度のジブリクォリティで特に不満はないのだけれども(美術だけはやはり山本二三には劣るなと思いましたけど)、脚本の方はどうもかなり問題を抱えていますねえこれは。宮崎駿のネームバリューがあるからいいですけど、ほかの人間が作ってたら第二のゲド戦記の汚名を着ても不思議ではなかったところです。とにかく話が退屈なのがなによりまずい。第一にこれは人物の心情より出来事を追ってしまって段取り芝居になってしまっているのがよくなかったし、またそれと関連していますが、第二には話に葛藤がありませんでした。私が書くなら、結婚はもっと話の前の方に持ってくるし、ゼロ戦の設計を倫理的に義務づけるようなエピソードを冒頭に追加して、これらの間で葛藤を作るところです。でも宮崎駿のポリシーとして戦闘機を作ることを美化するのは抵抗があったんでしょうねえ。結局そこをどう評価するのかが曖昧で、結末も中途半端になってしまいました。ゼロ戦を設計することを「美しい」と表現するのは逃げでしょう。良いことなのか悪いことなのかはっきりさせないと。
  • 主役に抜擢されて話題となっていた庵野秀明の演技だが、そこだけ見ればやはり失敗でしょう。『トトロ』の糸井重里、『耳すま』の立花隆より下手だし、なかなか味のある声だったこれらに比べて声質の点でも疑問です。というか、脇役のトトロや耳すまの父と違ってこれは主役なんで、感情入れないといけない難しいシーンが結構あるんですけど、そういうところがダメでしたね。ただ、この話は師匠宮崎と弟子庵野の話でもあるのかも知れず、そう解釈するなら上手い下手にかかわらずこのキャスティングしかありえないのでしょう。ただそれならカプローニも宮崎駿が演るべきでした。
  • 総合評価としては、金曜ロードショーで見れば十分といったところじゃないでしょうか。
  • ところで宮崎駿のクレジットが「原作・脚本・監督」となってましたが、少なくとも小説『風立ちぬ』との関係では「原作」を名乗るのはまずいのでは。まあ漫画版があるからということなのかもしれませんが、小説の方も少なくとも原作として併記しないと。もともと日本の映画・アニメ界は脚本と脚色の区別をしなかったり、手直し程度しかしてなさそうな監督が共同脚本を名乗ったりとかなりルーズな運用のようですが、感心できません。
  • なんだか全体的に細田作品の影響を受けているように思えたのは私だけでしょうか。特に冒頭などはサマーウォーズと時かけを足して2で割ったような…

45点/100点満点

『メランコリア』(2011)

 WOWOWにて鑑賞。

  • 惑星が地球に衝突するのが不可避と分かり、地球が滅びるばかりになった時期のある家族の話。
  • これ、本来はたぶん『クローバーフィールド/HAKAISHA』みたいなモキュメンタリーを狙ったんじゃないかと思うのだけど、作家性が合わなかったか、うまくいかなくて難解な感じでごまかしたのか、とにかく冗長で中途半端な出来。中身の割に明らかに尺が長すぎる。というか、プロローグと第一部いらない。
  • ただ、役者がいいのでだいぶ救われてはいる。

40点/100点満点

『最終目的地』(2009)

 WOWOWにて鑑賞。

  • アメリカの大学で文学を教える非常勤講師の青年が、自殺したある作家の伝記を書く許可を得るため、南米ウルグアイに住む遺族たちのもとへ交渉に行く話。
  • 良くも悪くも文芸的な映画で、よく言えば上品で知的、悪く言えば衒学趣味的な雰囲気漂う作品であるが、葛藤が弱いためにドラマチックでなく、どうも退屈である。3人の遺族のうち2人が伝記に反対しているというのが形の上では葛藤になっているのだが、反対者の態度が頑なすぎて、望みが見えないので、実質的に葛藤として成立していない。その後、ハード・ネゴシエイターの恋人が現地にやってくるところではじめて葛藤が生じてくるが、既に開巻から1時間以上経過していて遅すぎた。
  • しかしそれでも最後まで見てしまったのは、ときどき鋭いセリフが出てくるから。やはりドラマにとっていいセリフの力は絶大である。
  • 結末の締め方はまずまず整っていた。やはり、物語の結末の機能は語りの動機を説明することにあるという考えで大体問題ないようだ。

50点/100点満点

『言の葉の庭』

 新宿バルト9にて鑑賞。

  • 新海誠の最新作。興収好調との由で、バルト9も平日朝のわりに数十人くらいは入っていた。
  • 45分の中編。それに5分の短編のオマケ付きで特別料金1000円。45分の興行というものが許されるようになってくれば映画制作にだいぶ自由度が出てくると予想される。本来その程度が適切な話を無理矢理1時間40分に引き延ばしたような作品も見受けられる中で、良い傾向である。
  • 話の中身は新海誠の十八番、恋愛ドラマである。新宿御苑でたまたま出会った男子高校生と年上の女性とのひと夏の出会いと別れの話、といったところか。そういう意味では、バルト9での鑑賞がおすすめである。
  • シナリオ技術についてだが、アナグノーリシスまでの前半部分が少々キザで退屈なのがこの話の最大の問題である。どうしてこうなってしまうかというと、一つには説明すべき設定が薄いからである。これは新海作品全般にみられる弱点である。どこにでもいそうなふつうの男女を描いた現代劇となると、説明することが少ないのですぐ終わってしまう。そこを引き延ばそうとするからこうなるのである。靴づくりの話は、突っ込みが足りない。
  • また、説明の仕方の問題もある。少々淡々と説明しすぎているのである。もう少しひっかかりを作って観客をひきつけるような仕方を考えるべきだろう。
  • アナグノーリシス後は切なさを煽るおなじみの新海節でまあ悪くはない。ただ、なんというか……ベタな恋愛ドラマの展開すぎるような気はした。また、この前の『シュタインズゲート』の劇場版のときもそうだったが、話に大義がなくてどこまでも「2人にとっては重要」なだけの話なので、メロドラマの域を出ない感がある。新海誠は元祖セカイ系の旗手だったはずなのに。しかも、『シュタインズゲート』の方では一応義務と愛情の間での葛藤があったけれど、こちらはそこも弱いような……?
  • とはいうものの見終わった後の感触は悪くない。それは、「物語は、語り手がこの話を語る動機となった重要で意外な出来事で終わらなければならない」というルールをそこそこ守れているからである。

68点/100点満点

『月世界旅行』[カラー版](1905公開・2011復元)

 WOWOWにて鑑賞。

  • 映画のテキストには必ず出てくるが実際に見たことのある人は少ないと思われる『月世界旅行』。その彩色版のデジタル復元版。劇伴は現代の曲を後付けしてある。
  • 何しろ世界初のSF劇映画であるから、中身は実に素朴なもの。尺もわずか14分。映像にはカット割りというものがなくシーンをマスターショットでただ撮っているだけ。背景ははっきり書割。全体的に舞台演劇に近い。現代の観客としては不満を感じるわけだが、それは現代の様々な撮影技術が考え出された動機になっているはずで、想像するといろいろと興味深い。
  • とはいえ後付けされた音楽の出来がいいこともあって案外味わい深く、思ったより見れる出来。初歩的ながら特撮もある。映画って案外こんなもんでいいのかも、と考えさせられる。あとやはり劇伴音楽の重要性。
  • ストーリー面で衝撃的だったのは、月から地球に帰る方法。月から下に落ちると地球に着水するという発想はなかった。

劇場版『STEINS;GATE 負荷領域のデジャヴ』

 見るつもりではなかったけれど、近所のシネコンに回って来たのでつい鑑賞。

  • ゲーム版『STEINS;GATE』(以下正編という。レビューはこちら)のトゥルーエンド後、すべてが元に戻り牧瀬が救われた歴史(シュタインズゲート世界線)の世界が舞台。……と思うのだけど、牧瀬はじめラボメンたちにある程度記憶があったりするので、たぶん正編後に出た続編ゲームの中身なども織り込み済みなのだと思う。それらはプレイしていない。
  • 概して、まあよくあの話からなんとか続編を作ったものだなと思う。そういう意味で努力賞的な出来である。
  • あらすじを一言でいうと「岡部倫太郎の消失」。数々の世界線を旅してきたことで異常を来した岡部は、ある日シュタインズゲート世界線から消失してしまう。その後の世界では岡部はもともといなかったことになっており、その世界線上の人々の記憶から岡部の存在は消去されているのであった。だが唯一、わずかに岡部の記憶を残していた牧瀬は、岡部を救うべく禁断のタイムトラベルへと踏み出すのであった。
  • 時かけの次はハルヒかい。と思わないではないが、まあいいか。今回は角川も製作に入ってるしね。
  • そんなわけで今回の主人公は牧瀬なのだが、彼女は今回明らかに倫理的義務よりも岡部への想いを優先した決断をしている。このため、観客の立場からは、今回の主人公を「立派だ」と評価しにくくなっている(といって非難に値するというわけでもないが)。その意味で、今回の話は悲劇というよりメロドラマ的である。なにぶんギャルゲーという生い立ちゆえ、正編にもメロドラマ的な要素は多分に含まれていたが、主人公岡部はラボメンへの想いだけで行動していたわけではなかった。第三次世界大戦とか、ディストピア的未来を回避するという大義があった。作る側からすれば付け足しの設定のようなものではあったろうが、観客の観点からは、これがあるとないとでは主人公への評価が大違いである。正編の岡部は確かに立派だった。今回の牧瀬は、そういう要素が弱い。
    • そう考えると、一頃はやった「セカイ系」に対する批判はどうも失当であるように思われる。伝統的な悲劇を作ろうとすれば公益に関わるなんらかの大義はどうしても必要になるように思われる。まあ、世界全体の存亡をかける必要まであるのかという点は検討されなければならないが……
  • 細かいシナリオ技術についていうと、やはり導入部がどうにも水っぽかった(話の密度が薄かった、というかはっきりいうと退屈だった)。話の初めは導入部だから予備知識の導入をしなければならない、という固定観念は危険である。
  • それともうひとつ、これは正編からの問題なのだが、岡部が牧瀬とまゆしぃの二股をかけたような状態になっているままなのがどうもひっかかる。ギャルゲーの枠にとどまっているうちは「それは言わないお約束」で済んだが、この後もメディア展開していくつもりなら、どっかで決着をつけないとまずい。というより、正編の経緯からしてどう見てもまゆしぃを選ぶ以外の選択があり得るとは思えず、牧瀬をメインヒロイン扱いするのはまずいのではないか。

45点/100点満点