『アナと雪の女王』(2013)


 WOWOWにて鑑賞。

  • 去年大流行したご存じアナ雪。しかしアメリカでの初公開は2013年で、公表年としては一昨年の作品ということになる。シナリオは大したことないようだったので、そのうちWOWOWでやるだろうと思って見送っていたら意外と時間がかかった感あり。放映権の交渉が難航したのかもしれない。今般の放送では、ディズニースペシャルと称する特集を組んでその他のディズニー作品と一緒に放送している。さては抱き合わせで買わされたか?(邪推)
  • あらすじはWikipediaにあるのでまた省略。最近Wikipedia日本語版では映画のあらすじをきちんと最後まで書くようになったのだろうか。
  • まあとにかく歌曲の出来は確かに秀逸である。普通ミュージカル映画というのは、それなりにヒットしたものでももう一度聞きたいと思えるようないい曲は大抵1曲だけ、オマケしてもう1曲くらいで、その他はイマイチな出来のものが多いもの。しかしこの作品の歌曲は粒揃いで平均的にレベルが高い。こうなるとシナリオがイマイチだったとしても歌曲シーンだけで十分間が持ってしまう。吹き替え版と字幕版の両方観たが、やはり音楽的には字幕版の方がいい。
  • シナリオ面。原作はアンデルセンの『雪の女王』だそうだが、エルサを前面に出すために相当無理をして改変したらしく、プロット面は特に終盤にかけて無理があったようにも思われる。一応構造を分析しておくと、実質的に主人公はクリストフで、彼の目標はアナを助けること(つまりパトスはアナの死亡)、葛藤になっているものはアナへの愛情、葛藤の解決はハンスが悪人だったというアナグノーリシスによる。いずれにしてもメロドラマ的な葛藤なのであまり深刻なものにならないが、コメディだからこんなものでいいのだろう。
  • 一方でダイアローグはコメディとしてかなりよく出来ている。主人公のアナは楽観的で人を信じやすい性格で、それでトラブルに巻き込まれるのではあるが、そこが観客から見て魅力的なキャラクターに仕上がっている。脚本家が女性であることもあってか、女性キャラが率直かつリアルに描けているのもいい。その代わり、男子キャラは少々理想化されているようであった。2人の男子のどちらを選ぶかという話であるというところも含めて、このあたり、『時をかける少女』(2006)となにか同じ匂いがする。
  • 公開時に『Let It Go』の吹き替え版の訳詩についてネットで議論があったが、全編通して観てみると、やはりあの訳詩はあまりに前向き過ぎるように感じられた。あそこはやはり絶望的なシーンなのではないだろうか。
  • この話の寓意をどう解釈するか? 元の童話を相当捻じ曲げているのであまり悩んでも仕方ないのかもしれない。

70点/100点満点

『インターステラー』(2014)【ネタバレ】


 dTVレンタルの無料キャンペーンにて鑑賞。

  • ノーランの新作SF。詳しいあらすじはWikipediaに完全なものがあるので省略。
  • とにかくブラックホールという題材で一本撮りたかったといったところかと思うが、どうにも無理のあるプロットである。いくら物理学で事象の地平面のあちら側では何があっても不思議ではないとされているといっても、いきなり自分の家の娘の部屋につながるってのは納得しがたい。科学的考証に凝ったという触れ込みだったが、ハードSFとは言えない程度である。また、ノーランのシナリオではいつものことだが、どうも不必要に話が込みあっているようである。それだから説明ゼリフも多くなる。
  • この話の葛藤の構造は、本来的には、(ア)移住可能な惑星へ行って人類を救うが地球に帰って娘に会うことはできなくなる (イ)人類は絶滅するが地球に帰って娘との約束を果たす の2つの選択肢のどちらを選ぶかというものだったろうと思う。一方は倫理的義務でもう一方はそうでない(少なくとも相対的に重要でない)ので、観客から見てどちらを選ぶべきかに議論の余地がない「悲劇型の葛藤」である。主人公が人類を救うために娘を諦め、そのことに観客が罪悪感を感じる。そして両方を解決する方法として重力方程式を解くという方法が提示されそれが実現することにより、罪悪感が払しょくされてカタルシスを得るという筋書きである。いや、そういう筋書きのはずであった。
    この種の葛藤で大切なのは、主人公は躊躇なく倫理的義務の方を選択しなければならないということである。なぜなら、娘と別れなければならないのが倫理的義務のせいだからこそ観客がそのことを申し訳なく思うのだからである。つまり、順序としてはまず先に主人公が倫理的義務を選択・決断するシーンがあって、その後に観客の同情を買うようなシーンが来なければならない。
    ところがこの話だと、この原則に反して、主人公が地球に帰ることに色気を見せ続けるので、観客の罪悪感と同情の度合いが低くなってしまっている。主人公が両立の道を模索してはいけないということではないが、いつまでも決断しないでいて、主人公は倫理的義務を履行しないのではないかと観客に疑わせるようではいけない。
  • dTVのレンタルを初めて利用したが、Google Playと比べると1回の支払いで吹き替え版字幕版両方選べる点、再生位置のレジュームに対応している点などが優れている。

55点/100点満点

『ベイマックス』(2014)【ネタバレ】


 Google Play「旅のおともに、映画を1本プレゼント」キャンペーンにて無料でレンタル鑑賞。日本語吹き替え版。

  • ゴールデンウィーク中限定で映画が1本無料で見られるというキャンペーンが実施されていたので、それで観た。Google PlayはAndroid向けアプリの販売サイトとして有名だが、映画・音楽等のコンテンツの販売・レンタルも行っており、それらはPCでも鑑賞できる。
  • シナリオだが、このプロットにはゆがみを感じる。この話の過程で主人公が避けるべき忌まわしい結果(パトス)は何かという問いに明確な答えがないようである。一応の主人公の目標として放火犯の逮捕というのがあるが、兄のタダシもキャラハン教授も死んでしまったのだから、今更逮捕しても彼らが戻るわけでない。だからヒロの動機付けと共感が弱く、どうも盛り上がりに欠ける。本来なら、初めから教授の娘を助け出すのが目的になるべきだったのではないか。中盤~終盤になってからそれが出てくるのは遅すぎる。また中盤にマスクの男に殺されそうになってそこから逃げるという目標も出てくるが、後述のようにマスクの男が放火犯なのかが曖昧であることもあって、マスクの男がヒロたちを殺すことで何をしようとしているのかがよくわからず、したがってそこからヒロたちが殺されないためには逃げる以外に何をすべきか具体的な行動が導き出されてこない。
  • 最終的にキャラハン教授が逮捕され、クレイ社長は特におとがめなしとなったようだが、教授の娘の事故の責任はどうなってしまったのか。こういう場合は、ベイマックスでなくてクレイ社長が犠牲になって助ける話であるべきである。
  • 廃工場にいたマスクの男が放火犯であるというヒロの推理は根拠薄弱であり、その後のヒロの行動に共感しにくい。こういう風にするなら、火事のシーンの手前にマスクの男が放火するシーンが必要であった。
  • このストーリーにおいて、ベイマックスの存在に必然性がない。5人の学生たちとベイマックスとで役割が重複しているため、ベイマックス抜き、もしくはベイマックスが5人と同格の脇役程度の位置づけでもほぼ同等のストーリーを構築できた。

60点/100点満点

『野生の証明』(1978)


 BS-TBSにて鑑賞。ひょっとすると多少カットされてるかも。

  • 福島の寒村で一人の娘を除いて村人全員が惨殺される事件が発生、真相やいかに、という森村誠一の推理小説の映画化。高倉健主演。原作小説はおそらく『ひぐらしのなく頃に』の元ネタの一つで(ネット上では一部で以前から指摘されている)、同作の終盤の展開に強く影響を与えたと見られる。しかし、この映画化作品の方は終盤がマトモな構成になっておらず、中盤まであれこれ複雑な事情を披露していたのにそれをすべてブン投げてアクションシーンに突入し、真相があまりはっきりしないまま終わってしまう。
  • とはいうものの、飛ぶ鳥落とす勢いだった角川映画の第三作目ということで、日本映画としてはカネのかかり具合に目を見張るものがある。高倉健をはじめとする俳優陣もリッチだし、薬師丸ひろ子も可愛いしで、それなりに見ごたえはある作品。大野雄二の音楽もいい。

『フロム・ダスク・ティル・ドーン』(1996)


 dTV(先日「dビデオ」から改称した)にて鑑賞。

  • FBIから強盗殺人犯として指名手配され逃亡中のある兄弟が、途中のモーテルで出会った元牧師の一家を脅し、一家のキャンピングカーに隠れてメキシコへ密入国しようと目論む。紆余曲折の末、彼らはメキシコへの入国に成功し、メキシコでの逃亡生活の面倒を見てくれる仲間と待ち合わせているあるストリップバーへ到着する。ところがそこは吸血鬼たちが人間の生き血を啜るために作ったワナだった。吸血鬼たちに襲われ倒れていく人間たち。吸血鬼に噛みつかれた人間は吸血鬼となって復活する。吸血鬼はいくら殺してもしばらくすると復活してくるが、心臓を杭などで打ち抜くと炎を上げて消滅する。さらに、店の外にはコウモリ人間が大勢いて彼らも人間を襲おうとする。吸血鬼もコウモリも、十字架と日の光が弱点だ。果たして主人公らは朝まで生き延びることができるのか。
  • タランティーノが脚本を書いたことで知られる作品。話の前半まで準主役で出演もしている。監督はタランティーノの弟子?でB級映画監督のロバート・ロドリゲス。メキシコへの逃亡を描いた前半はいつものタランティーノ節でまずまずの出来なのだが、後半、スプラッターものに急展開するところからC級映画としか言いようがない品質になる。
  • 特に出来の悪いスプラッター冒頭のシークエンスについて言うと、致命的だったのは、ここは店員たちが吸血鬼だったということを観客に明かす部分のはずなのに、ただ怪物みたいな姿に変身して人間を殺すだけであまり血を吸っているように見えないし、殺されても甦って来るので、吸血鬼というよりゾンビかなにかみたいに見えたことである。ゾンビも吸血鬼も似たようなものではないかと思うかもしれないが、ここでほかならぬ吸血鬼であるということがわからないと、そもそもなぜ踊り子がここで急にリッチーを襲おうとしたのか(答: リッチーの手から流れる血を見て我慢できなくなったから)、その直後に店員たちがなぜ一斉にほかの客まで襲いだしたのか(答: もともとこの店は吸血鬼の店員たちが人間の血を吸うために作った店だから)、なぜケイトが十字架を押し付けて対抗したのか(答: 吸血鬼は十字架が苦手だから)、なぜフロストが店員たちを机の脚を使って串刺しにしたのか(答: 吸血鬼は心臓に杭を打ち込むと死ぬから)といった様々な人物の行動の意図が理解できなくなるのである。そして実際ほとんどの初見の観客はそれらが理解できず、兄弟と争っていたはずの店員たちがなぜか急に客たちを襲い始めたと思ったら登場人物たちが意味不明な行動を取り続けるシーンが延々続く、というように見えたはずである。吸血鬼であることをぎりぎりまで隠しておきたかったのだろうが、前フリ不足である。
     逆に言うと、この映画には吸血鬼が出てくるという予備知識を持って観た観客や、2度目以降の観客にとってなら、いくらか評価が変わってくるかもしれない。世の中にはネタバレされてから見た方がいい映画もあるということか。
  • こういう作品をたまに見ると、あれこれ難点はありつつも普段観ていた映画がそれなりによく出来ていたんだということが認識できる。それがこういうC級映画の存在意義だろう。

20点/100点満点

『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』【ネタバレ】

  • 本日封切。アカデミー脚本賞・作品賞・監督賞等受賞作。
  • 主人公リーガンは、20年前のアクション映画『バードマン』シリーズで主役を務め人気者になったことがあったが、今や売れない中年俳優である。彼は財産をはたいてブロードウェイの舞台をプロデュースし、自ら脚色主演を務めて本格派俳優として復活を図ろうとする。だが試演公演を終えてみると、注目されるのは準主役を務めた今が旬の人気俳優マイクのことばかり。マイクは傲慢な男で、舞台の上でも外でも好き勝手をし、リーガンの娘で今は付き人をしているエマにも手を出す。しかし経済的にも後がないリーガンはマイクをクビにすることもできない。一方、ブロードウェイ興行の成否は批評家のレビュー次第と、リーガンはマイクの助けを得てNYタイムズの著名批評家タビサにアプローチするが、彼女は低俗なアクション映画俳優の舞台など嫌いだと言い、舞台を見もしないうちから酷評することに決めていると言い放つ。さらに、エマには今どきの俳優はネットで話題になるような派手なスキャンダルが必要だが、そのことをわかっていないとなじられる。あれやこれやでリーガンは自信を失い、やはり自分はアクション映画しかできない俳優なのだろうかと迷う。試演公演の最終日、リーガンはふとしたことから公演中に劇場から締め出されてしまい、裸でブロードウェイの通りを駆けて劇場に戻るが、その様子を映した動画がネットで話題になり、翌日の初日公演は大入り満員となる。その初日の劇のラスト、主人公が拳銃自殺するシーンで、リーガンは本物の拳銃を使って自殺を図る。だがそれは観客に大いに受けた。リーガンは病院に運ばれ、辛うじて一命を取り留める。だがそこで目にしたNYタイムズのレビューはやはり酷評。「無知にも意外な長所がある(The Unexpected Virtue of Ignorance)」との見出しで、演劇を何も知らぬ俳優がまぐれ当たりしたと皮肉るものだった。リーガンは病室から投身自殺する。
  • とにかくわかりづらいシナリオで、実際何が起こっているのか、何が言いたいのか、特に終盤において明らかでない点が多い。上記ストーリーは筆者の解釈によるもの。監督のアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥが共同脚本としてクレジットされているが、内容を見る限り、脚本の中身を理解せずに演出したか、あるいは内容が内容だけにわざとわかりづらくしたのか、とにかく悲劇的な脚本に見合っていないどこかあっけらかんとした演出になっていて、それがわかりづらさを増している。おそらく話の趣旨は、ドラマ作品に対する批評家や大衆の態度を批判するものなのだと思うが、とにかく見終わったときそれに共感しリーガンに同情するような構造になっていないわけで、シナリオの出来という面から言えばやはり失敗作だろう。また作品の趣旨について言えば、作品をリスクを冒して一生懸命作ったんだからソコを評価してよというのは気持ちはわかるが、それを客に向かって言うのは無意味であり、やはりプロ意識に欠ける主張というしかない。
  • 役者の芝居は悪くないし、ワンシーンワンカット風の映像やカッコいい音楽は一度鑑賞してみる価値ありとは思う。

60点/100点満点

iPad mini

 機種変更と同時だと安く手に入るというので、iPad mini 2(LTE)も手に入れた。特に使うあてがあったわけではないが、iOSデバイスを1台持っておくのも悪くない経験だろうと考えた次第。

 Apple製品を購入するのは初めてだが、ハードウェアについていえば、やはり意匠が優れているし、作りもしっかりしてよく出来ている。Retina Displayは、まあ、今となっては普通といえば普通だけれども、それでもやはり高精細で綺麗には違いない。また、Lightningコネクタはわざわざ独自規格を採用しただけあってUSBより使いやすい。概して細かいところまで気が配られているようで、惚れ込む人が多いのもわかる気はする。
 iOSだが、一通り触ってみた感じでは、後発のAndroidと比較してiOSの方が良くも悪くもシンプルである。シンプルな分わかりやすい面もあるが、少し複雑なことをしようとすると途端に難しくなる印象もある。また、メニューボタンとバックボタンがないのにはかなりのストレスを感じる。筆者がAndroidに慣れていることを差し引いても、これは明らかにAndroidの方が優れている。また、App Storeからアプリをインストールするたびにパスワードを聞いてくるのも頂けない。
 一方、iOSで画面の回転の固定ができるのは便利である。この機能がAndroidにないのは不思議に思える。また、AppleはGoogleよりはユーザーの権利に配慮しているようで、位置情報を使用するかどうかなどをアプリごとに設定できるようになっているようだ。Googleは本質的に広告会社なのでユーザーは客でなく商品という考え方だから、隙あらば個人情報をゲットしようとするわけで、このあたりは今後もAndroidに期待できない機能だろう。また、iOS自体がきちんとアップデートされていくのも国産Androidスマホにはない重要なメリットである。

 それにしてもiPad miniを使ってみて驚いたのは、タブレットというものに使い道がないことである。もともと使うあてもなく手に入れたものであるにしても、もう少し何かに使えるかと思っていたが、スマホとノートPCを持ち歩いている場合、最近のスマホが大画面化してきていることもあって、完全に機能が被るので本当に出番がないのである。iPadが初めて世に出た当初、アレに使えるのではないかコレに使えるのではないかとよく騒がれていた意味がわかった。あれは使い道がなかったからなのだ。
 敢えて言うなら、電車の中で電子書籍の読書をするには好適な機械だろうと思う。しかしそれだけのために購入するには少々割高なようでもある。それほど沢山読まなければならない本があるわけでもないし、現状、電子書籍よりAmazonマーケットプレイスの古本の方が安いのである。
 あるいはガラケーとの2台持ちという形なら使いでがあるかも知れない。
 結局今のところ、寝床の中でdビデオのドラマの動画鑑賞をするのに使っているが、割安に手に入れたからいいようなものの、本来の値段で購入していたらもったいない使い方である。

F-02G

 それで機種変更したのが富士通のARROWS NX F-02G。ちなみに筆者が富士通製品を購入するのはFM-TOWNS以来久々である。
 ARROWSは一時期ネットで大変な悪評を買っていたことがあり、そのためもあってか、機能面では全部入りスマホ的な位置づけであるにも関わらず大変安価に手に入る。筆者の場合、FOMAからLTEへの移行であることも手伝って実質価格はマイナスであった。ちなみに悪評の理由は、本体が過熱するとか充電がすぐなくなるとか動作が不安定とかといったことだったようだ。F-02Gでは今のところそういう問題に遭遇してはいない。まあ敢えて言えば若干熱くなることはあるようだが。
 Androidは今やGoogleから5.1がリリースされているところで、今更4.4の端末というのもつまらないとは思ったが、5.x(Lollipop)対応の端末というと今のところ高値止まりしている上にTVの見られないNexus以外にほとんど選択肢がなく、そうかといって国産スマホのLollipopモデルが出てさらにそれが価格がこなれるまで待つとなると、かなり時間がかかりそうだったので諦めた。SH-12Cのフリーズ地獄がなければ待つこともできただろうが……。まあ、LollipopはVMも変わっていることだし、4.4の方が安定していると思うことにしよう。ちなみに機種によっては4.4でも新VM(ART)が選択できるものがあるようだが、この機種では選択できないようだ。
 さすがに今どきのスマホだけあってRAMは3GBもある。その甲斐あってSH-12Cの頃からは信じられないほど快速に動いている。CPUや回線自体も速いのだが、SH-12Cを使っているときそのあたりにあまり不満を感じたことはなく、やはりメモリの方が効いていると思う。
 今どきのAndroid端末はボタンがソフトウェアキーのものがほとんどであり、F-02Gも同様である。この点は物理キーのSH-12Cのほうが良かった。押しやすさの問題もあるが、ソフトウェアキーだとどうしてもそれらを隠してその部分に何かを表示したいという誘惑に負けるアホエンジニアが出るのである。筆者の知る限りではTwitterアプリがそれをやっている。また、Android 4.4端末のGoogle標準のUIではメニューボタンが廃止され、代わりにタスクマネージャーを表示するボタンが配置されているが、F-02Gでは従来通りメニューボタンが配置されている。これはやはりメニューボタンがあったほうがいい。
 メニューボタンを廃止してアクションバーにメニューアイコンを配置するというGoogleの設計変更の意図は、どの画面でメニューが使えるのか分かりやすくするためということらしいが、すべてのアプリがアクションバーを持っているわけではないので結局不徹底になってしまう。また、ナビゲーションドロワーをメニュー替わりにするアプリも多いが、これは大変問題を含んだUIで、その存在に気づかない人が多いのである。これをメニューボタンで呼び出せるようになっていた方がまだしもわかりやすい。

SH-12C総括

 わざわざAndroidカテゴリを作っておきながら結局一記事しか書いていなかったまま、先日ついにSharp製Android 2.3.3端末、SH-12Cを機種変更した。
 このSH-12C、使い始めた頃はそれほど不満もなかったのだが、RAMがたった512MBしかなく、いつしかメモリ不足で1日1回は事実上フリーズするようになり、ほとんど使い物にならなくなっていた。始めそれなりにつかえていたのに慢性的なメモリ不足に変化した原因としては、途中からインストールすることになった「Google Play開発者サービス」あたりが怪しいのではないかと睨んでいるが、確証はない。どちらにしても、この機種のRAM容量にはあまりに余裕がなさ過ぎた。
 また、この機種はプリインストールアプリがむやみに多く、起動に異常に時間がかかった。以前fsckでも掛かっているのかもしれないと書いたことがあったが、SH-12CをUSBで開発マシンに繋ぎ、logcatを表示させながら再起動してみると、そうではなくて、プリインストールアプリの初期化に時間をとられていることは明白であった。Androidのバージョンは2.3.3なので、プリインストールアプリを無効化することもできない。辞書アプリなど役に立つものもあったのだが、基本的にはもっと絞るべきであったと思う。
 この機種のファームウェアには、接続したSDメモリ上のファイルシステムが破壊されるという致命的なバグがあった。その上、ファームウェアを自動更新する設定にしていてもなぜか更新が掛からなかったため、そのバグの修正版が出ていたにも関わらず長期にわたって古いバージョンを使い続けることになり、実際にSDメモリ上のファイルが破壊されてしまった。また、これはこの機種に限らないようではあるが、セキュリティアップデートなどの配信はほとんど行われた記憶がない。
 この機種は3Dカメラ・3D表示がウリの機種であったが、結局3D対応機種はこの機種限りでフェードアウトしてしまい、3Dを活かしたアプリはほとんど使えないままであった。

 以上の理由から、SH-12Cは失敗機種であったと評価せざるを得ない。次の機種はSHARP製を避けることにした。

『グランド・ブダペスト・ホテル』(2014)

 WOWOWにて鑑賞。

  • 舞台は1932年、東欧にある名門ホテル、グランド・ブダペスト・ホテル。そのコンシェルジュ、グスタヴは、裕福な侯爵夫人の未亡人マダム・Dのお気に入りの愛人だった。ある時マダム・Dが亡くなり、グスタヴは遺言により高価な絵画『リンゴを持つ少年』の遺贈を受けることになる。マダム・Dの財産の大半を相続することが見込まれる息子ドミトリーは、グスタヴへの遺贈に憤慨してそれを妨害しようとするが、グスタヴはマダム・Dの館からその絵画を黙って持ち帰り、ホテルの金庫に保管する。だがその直後ホテルにやってきた警察により、彼はマダム・Dの殺人の疑いで逮捕されてしまう。どうやら館の執事セルジュ・Xが誰かに脅されて嘘の目撃証言をしたためらしいが、彼はその後行方不明で問いただすこともできない。無実の罪で収監されたグスタヴだが、やがて監獄の仲間と共に脱獄に成功し、ホテルマンたちの人脈を駆使してセルジュ・Xを探し始める。一方、何者かに雇われた殺し屋ジョプリングは、相続書類に不審な点があるのに気付いた遺言執行人のコヴァックスや、証言が嘘であることを認めたセルジュ・Xを殺す。結局グスタヴは、弟子のゼロとその恋人アガサの助けを借りて、ホテルの金庫にある絵画を取り戻して逃走しようとするが、そこへ偶然ドミトリーがやってきて、絵を巡っての銃撃戦となる。駆けつけた警察が関係者全員を拘束して調査した結果、ドミトリーがすべての黒幕であったことがわかり、グスタヴの疑いは晴れる。さらに絵画に隠されていた新たな遺言状により、グスタヴがマダム・Dのすべての財産を相続することになる。
  • 『ダージリン急行』(2007)のウェス・アンダーソン監督・脚本・製作作。絵本のような漫画のような独特の絵作りが目を惹く作品で、アカデミー賞の美術系を含む4部門で受賞。とにかく映像だけでも見ておく価値はある。
  • 一方、脚本面ではあまり出来がいいと思われない。語りが3重になっている若干技巧的な構成なのだが(そのことにあまり必然性を感じない)、メインプロットは上述のあらすじの通り、ミステリーを狙ったと思われる内容である。しかし、話の中に怪しい人間は最初からドミトリー一人しか出て来ないのだから、謎も何もあったものでない。その点で失敗作と言うほかないと思う。ただキャラクターは個性的だし、上のあらすじでは説明しなかったが、最後にグスタヴが死んで寂しさを感じさせる終わり方になっていて、見終わった後の感じは悪くない。それが評価されたのか英国アカデミー賞などでは脚本賞を取ったようだ。個人的には、それも少々評価し過ぎのようにも思われたが。

65点/100点満点