WOWOWにて鑑賞。
一応当年のアカデミー作品賞・脚本賞等を獲得した作品なのだそうだが、この年はアメリカ映画が不作の年(とはいえ、『マトリックス』第一作と『スターウォーズ エピソード1』がヒットしたのはこの年)。実際のところ、なんだか出来の悪いコメディーを間違ってシリアスに演出しちゃったという感じの話。どうなんだこれは。
50点/100点満点
WOWOWにて鑑賞。
一応当年のアカデミー作品賞・脚本賞等を獲得した作品なのだそうだが、この年はアメリカ映画が不作の年(とはいえ、『マトリックス』第一作と『スターウォーズ エピソード1』がヒットしたのはこの年)。実際のところ、なんだか出来の悪いコメディーを間違ってシリアスに演出しちゃったという感じの話。どうなんだこれは。
50点/100点満点
ここのところ、日本の著名実況者の一人であるガッチマン氏が『零 濡鴉ノ巫女』シリーズを実況しているほか、英語圏の著名実況者のMarkiplier氏が『FATAL FRAME II CRIMSON BUTTERFLY』(原題:『零 紅い蝶』)の実況を始めるなど、テクモの『零 zero』シリーズの実況が増えてきているように感じる。このお二人は基本的に企業側から許可を得て実況している人たちのようなので、たぶんテクモとしては実況を推進する方針なのだろう。
このシリーズ、幽霊が次々出てくるのをカメラで撃退するという、それだけ聞くと意味不明なゲームである。どういう理由づけなのか知らないが、主人公らが持っているある特定の種類のカメラにはいわば霊力のようなものがあり、それで撮影すると幽霊にダメージを与えられるというゲームシステムのようだ。
幽霊が出てくるということで、一応ホラーゲームに分類されているが、実際実況を見ている限りでは『バイオハザード』の日本版という感じで(ある程度『サイレン』あたりの影響も感じる)、テイストとしては第三者視点型アクションゲームであり、本当の意味でのホラーとは違う。以前書いたように、敵に対する対抗手段が明確に確立されているものはホラーではない。
テクモのゲームということで、女性キャラクターの造形や動き(特に特定箇所の)がウリで、確かにそれ自体はよく出来ている。
一方で、シナリオの方はお世辞にもよく出来ているとは言えない。このシナリオの作者に言いたいことは、意味深なセリフで伏線を張るだけではストーリーにならないし、謎めいた面白さも生まれないということである。
ストーリーテリングでまず第一にやらなければならないことは、主人公(視点人物、ゲームではプレイヤーキャラクター)の行動の動機を観客が共感できるようにきちんと説明することである。このシリーズのシナリオは、伏線を張ることにだけ熱心で、この点が極めて不十分である。この手のゲームにおける個々のステージ(面)は、ドラマ用語で言えば一つのアクト(幕)に相当すると思うが、そもそもアクト(幕)とは次のアクトにおける行動の動機を説明するために存在するのである。そのように次々にアクトが数珠つなぎになって一つのドラマが構成される。ところがこのゲームのシナリオの場合、個々の面で行動がブツ切りになっている。以前も書いたような気がするが、たぶん、日本のゲームの場合、まずステージ設計が先にあって、そこにストーリーをこじつけるからこうなるのだろう。アリストテレス言うところの「場面偏重の筋」(『詩学』1451b)である。
また、ミステリー的な面白さは、単に理解できない情報を観客に提示することで生まれるものではない。なにか観客が知りたいことがあって、その参考になりそうな情報だから興味を惹かれるのである。そういうことが何もないところに単に意味深なセリフを配置しても観客は退屈するばかりである。
ここ最近のゲーム実況動画界のホットトピックスは『Far Cry 4』の登場。さっそく世界各地の実況者がプレイを始めている。Far Cryシリーズはプレイしたことも見たこともなかったのだが、プレイ動画を観る限りでは、『Grand Theft Auto』シリーズ(GTA)を大自然あふれる奥地バージョンにしたものといった感触(英語でfar cryは「遠く離れて」の意)。いわゆるオープンフィールド型FPSで、移動できる範囲が広く遠出するときは基本乗り物に乗って移動、どこに行くかは自由だが、フィールド内に存在するミッションを引き受けて完遂すればストーリーが進んでいくというタイプのゲーム。
舞台は架空の国らしいのだが、モデルとなっているのはチベットかネパールか……とにかくアジアの高地で、そこに広がる山岳風景が大変美しい。ゲームの映像表現もここまで来たかと思う。
ストーリーの方は、どうやら当地の独裁政権に対抗して反乱軍(テロリスト)が戦う話で、主人公はテロリスト側ということのようなのだが、ロクに設定の説明がされないので正確なところがよくわからない。実況されているのはまだ序盤だけなので、プレイが進めば追々わかってくるのかも知れぬ。ただ、GTA5あたりと同様に、個々のミッションの独立性が高いので、全体のストーリーというものは相対的に希薄にならざるを得ないであろうと予想される。GTA5の場合、ストーリーに明確な目的がなかったこともあって、仲間たちの絆を確認して終わりという感じで、曖昧な結末だった。この作品の場合は、最低でもテロリスト側が独裁政権に対してなんらかの成果を挙げて終わるのだろうが……。
SQUARE ENIXから発売された(開発はフランスの会社)アメリカの地味系女子高校生が主人公のタイムリープものアドベンチャー『Life Is Strange』も実況が始まっている(例えばCinnamonToastKen氏)。主人公の特殊能力により、前回行動を選択したところまで時間を巻き戻してやり直すことができるというゲームシステムが特徴。
英語版しか出てなくて、ストーリーメインのゲームだけになかなかつらいものがあるのだけど、一応英語字幕は付いているのでなんとか見てみた限りでは、5日後に町に迫る大災害を救うために主人公があれこれする話らしい。ただ、この第一話ではそういう目的が匂わされたところで終了。
ある意味ループものに近いという点と併せてなんとなく『ひぐらしのなく頃に』を思わせる内容。また、灯台が出てくるところなど雰囲気は『Alan Wake』にも近い。
シナリオの出来という点では、セリフや人間の描写は自然な感じではある。だけど……ちょっと話にエンジンがかかるのが遅いようでこの第一話に限って言えば少々退屈だし、キャラにも魅力が乏しいようである。一本あたり2時間くらいのボリュームで連作していく形式の作品で、このあと第5話まで出す予定らしいのだけど、ちょっと不安な滑り出しである。
今や旧作扱いにはなるが、同じ連作ものアドベンチャーゲームの『Walking Dead』のSeason 1のシナリオはまずまずよく出来ていたと思う。『Walking Dead』は元々TVドラマで、本作はそのスピンアウト的作品らしいのだが、さすがにアメリカのTVドラマで活躍する脚本家を投入するとはっきり出来が違ってくるようである。また、主人公の行動選択次第で他のキャラクターからの好感度が変わり、それにより話のクライマックスで誰が協力してくれるかが変わってくるというシステムは、日本のギャルゲーとの類似を感じさせた。もっとも、マルチエンディングではないらしく、来てくれる人が少なくとも最終的な結果は変わらないらしい。例えば弟者氏の実況ではたった一人しか来てくれていなかったが、それでも無事エンディングに辿り着いていた。
フジテレビにて鑑賞。
おそらくアガサ・クリスティ作品で知名度ベスト3に入る代表作で、叙述トリック抜きの作品としてはもっとも意外な結末を持つものとして有名な原作のTVドラマ化。三谷幸喜脚色。前後編構成で、この前編は、舞台を日本に移した以外ほぼ原作通りのストーリー。後編は視点を変えたオリジナルストーリーとの由。原作の映像化としては、シドニー・ルメット監督・アルバート・フィニー主演の1974年の映画版がおそらくもっとも有名で、評価も高い。
実際見てみた印象は、絵作りも含めて映画版とほとんどそっくり。そしてやっぱり、TVドラマとしちゃ相当健闘してはいるけれど、映画版には劣るなあという印象。もともときわめて分の悪い勝負なのは見えているのだから、どうしたって比較される内容の前編なんていらなかったのではないかとも思うが……。なにしろ有名な話で犯人を知っている人も多いはずなので、結末を変えてくるかとも思ったがそんなことはなかったようだ。
演技面で言うと、役者によって演技の質に相当なバラつきがあった。主演の野村萬斎は外連味ある芝居ながらまずまず健闘していたと思うが、その他の俳優の演技のレベルにはかなりバラツキがあり、総じて若手の演技の質が低い。特に二枚目役の沢村一樹と二宮和也は、演出家の責任もあるとは思うが、タレントとしてはともかく、プロの俳優としての水準には達してない。沢村一樹はまず発音の訓練が必要。二宮和也はカッコつけるのをやめること。それと西田敏行なのだが、あの人は何を演じても西田敏行という役になってしまう人で、この作品でもあまり車掌という感じはしなかった。
脚本面では、まあ基本原作通りだから大枠については特に文句はないのだが、細かいところの処理には疑問がないでもなかった。特に序盤の方、発言に十分な動機付けが与えられてないようなセリフが目立った。またこれは演出側がカット割りなどでカバーするなり脚本家に修正を要求するなりしなかったという責任もあるかも知れないが、演技の合間などに変な間ができる箇所が結構あって、これはたいてい、脚本家がシナリオ上セリフがあるべきところに(ト書きの動作だけで)セリフを書かなかった凡ミスが一因である。三谷幸喜ってこんなに下手だったっけ、と思いながら見ていた。後編が本番ということで前編は雑になったのかも知れぬ。
あと鉄道省の重役(上級公務員のことを重役とは言わないけどなあ)のあの人はいったん一般車両に行ったらしいけど、一般車両との間の行き来はできないとも言っていて矛盾していないだろうか。というか、そもそも推理の過程において一般車両がいつの間にかなかったことになっているような気がする。車両の屋根でも伝って一般車両の方に犯人が隠れている可能性だってあるはずなのだが。
映像面。この作品、冒頭以外は列車の中だけで展開する話なので意外にシーンの種類の数の少ない演劇的なドラマなのだが、その列車についてはなかなか金のかかっていそうなTVドラマ離れのした重厚な映像。SLで牽引してるシーンなんてどうやって撮ったんですかね。
編集面で、カットの割り方がちょっと貧相というか、長めのカットで撮り続けるものだから間延びした感じになっている箇所が度々あったのは残念だった。カット割りを工夫すればもっと時間をつまんでスピーディーに進行できたと思う。また、尋問のあと3人が感想を述べる下りが何回もあるが、被尋問者が完全に退室しないうちから話し始めていて早すぎた。そうしないと間延びしてしまうからということだろうが、これは間違いで、いったんカットを割って退室までの時間をつまむのが正解なのである。
WOWOWにて鑑賞。
ウォール街の新興証券会社の創立者ジョーダン・ベルフォートの、栄光と堕落と転落の人生を記した回顧録を元にした作品。マーティン・スコセッシ監督、レオナルド・ディカプリオ主演。
3時間近くある作品なのだが、とにかく前半が退屈。急成長した会社内部で繰り広げられるスキャンダラスな乱痴気騒ぎのエピソードが次々に描写されるにも関わらず、どうしてこうなってしまうのかというと、いつも言っているように、主人公を動かすような脅威がない、そしてそれを避けるための決断がない、つまり葛藤がないから。主人公はこれで行くことにしたらしいけれど、さてそれでうまくいくのかな、というのを確かめたくて観客は話の続きを見るのだが、この話の前半にはそれがない。後半に入ると警察をどうやり過ごすかという問題が出て来てやっと面白くなりはじめるが、ちょっと遅すぎた。率直に言って、この半分の尺で十分な話。一応コメディ路線も狙った作品らしいのだが、大して笑えるわけでなく、その面でも失敗。
60点/100点満点
WOWOWにて鑑賞。
最近なにかと話題の脚本家、虚淵玄の代表作の一つである2011年のTVアニメシリーズ『魔法少女まどか☆マギカ』(全12話)の総集編。前後編に分かれており、ほぼ同時に公開された。翌年、シリーズの完全新作である同『[新編] 叛逆の物語』も公開されたが、ここではとりあえず大変話題を呼んだTVシリーズに相当する内容のこの2編だけレビューする。
あらすじに関しては珍しくWikipediaに完全なあらすじが書かれているのでそちらを参照されたい。
若干問題を含むストーリーのように感じられたが、以下レビュー執筆中。とりあえず今簡単に指摘できそうなことは、Steins;Gateの劇場版と同じく、これは悲劇になりそこねたメロドラマだということである。だから結末にカタルシスがない。
70点/100点満点
第4回電撃ゲーム小説大賞受賞作品。ライトノベルが、それまでのTRPGリプレイ小説の延長線上から外れて独自の路線を歩み始める最初期に出た元祖ライトノベルともいうべき作品の一つ。この賞の名前がそれまでのライトノベルレーベルの位置づけをよく表している。
ここでいう独自の路線とは、これまでもここで説明してきているように、一言で言えば十代男子向けのSFファンタジー風学園ロマンス軽小説という路線のことで、早くも本作でその要素はほぼすべて出そろっている。また、いわゆる「セカイ系」の源流でもある。
その後ブギーポップシリーズの本は20冊近く出たが、本書はその第一作。作者曰く、本書は本書だけで完結しており、シリーズのその他の本は本書の姉妹編という位置づけとのことである。そのあたりの事情は『涼宮ハルヒの憂鬱』(谷川流著・2003年)とも似ている。
この物語の本筋は、事件の表層だけを取り出して言えば、女子高生宮下藤花に「ブギーポップ」と名乗るなんらかの霊的存在が取り付き、その仲間にあたる存在と共に、彼女の通う高校に巣食い世界征服を目論む人食い「マンティコア」(やはりこれも高校生に取り付いて支配する能力を持つ)を退治するという話である。しかし、霊的存在と言っても、それは実際には取り付かれたとされた人間が元々持っていた別人格だったと解釈する余地もあるような曖昧で意味深な設定である。
そういうことが何を含意するかという深読みの部分はひとまず置いておいて、表面的なドラマ性という面で評価するならば、これはかなり粗削りな作品である。物語は5つか6つくらいの章から構成されていて、それぞれの章で視点人物が違うが、藤花視点で進む章は存在せず、もっぱら藤花の周囲の人間から出来事が語られる形式になっている。そういう構成になっているために、上述のメタファを解釈しなければならないことと相まって、ライトノベルというわりにそれほどわかりやすい話にはなっていない。また冒頭の章でブギーポップが敵を倒したという結果を開示した上で話が進むこともあって、サスペンスとしてもミステリーとしても何か中途半端で、物語のそれぞれの時点で読者に何に興味を持たせようとしているのかという狙いが曖昧になっているように思われた。
そういえば、学園ファンタジー形式の物語に寓意を持たせるというやり口は、その後のライトノベルにしばしばみられるところだ(そもそも寓意というものはファンタジーの本質的要素ではあるが)。『涼宮ハルヒの憂鬱』にしても『ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ』(滝本竜彦著・2001年)にしてもそうだった。そういう意味でもこの作品はライトノベルの元祖であり、お手本なのだろう。
65点/100点満点
当ブログでの「細田守」関係の記事は公開を終了しました。
今までお付き合いくださいましてありがとうございました。
雑多なページの方の問答集などの記事はこれまで通り公開します。
WOWOWにて鑑賞。
75点/100点満点
一度は投げ出したが、それでは文句も言えないと考え直し、一応クリアした。
とにかく、何が何だかさっぱりわからない話であった。事件の真相は考察サイトを見なければわからなかったし、それ以上に、一体この作品で作者が結局何がしたかったのかついぞ理解できないままであった。しかし敢えて言えば、この作品は、少なくとも部分的には、読者と作者との戦いの記録であると言うことができるだろう。
おそらくこの作品の当初のコンセプトは、作者の竜騎士07氏が、『ひぐらしのなく頃に』でこれはミステリーではないと批判されたのをなんとか跳ね返すために、今度こそ文句なしの本格推理に挑戦する、というようなものだったろうと思う。そのために凝りに凝ったトリックを大量に用意し、満を持してepisode 1を送り出したはずである。だが、一度でも「信頼できない語り手」に手を染めてしまった作者の書く地の文は信用できないということで、不幸にも読者から推理物としては相手にされなかったのではないか。そしてそこからこの作者の迷走が始まったのではないかと思われる。この『うみねこ』から何かを読み取るとすれば、推理作家は絶対に地の文にウソを書いてはならないという教訓であろうか。ちなみに、この話の元になったクリスティの『そして誰もいなくなった』は叙述トリックの名作だが、地の文でウソは書いていないから、「信頼できない語り手」を用いた作品ではない。
もう一つ教訓を付け加えるなら、読者は楽しませる相手であって競争相手ではないということだろうか。当ブログの筆者は学生時代TRPGのゲームマスターをやっていたことがあり、語り手の立場であるにもかかわらずプレイヤーと競り合いたくなる気持ちはわからないでもないが、やはりそうすることは間違いである。語り手が権力を振り回せば無理やりプレイヤーに勝つことはもちろんできるが、それではプレイヤーにとっていいシナリオにならない。結局のところ、作者は最後には読者に負けてあげる立場でなければならぬ。しかし推理小説の分野ではどうしても読者を出し抜くという要素が強いために、ここのところを誤りがちである。
竜騎士07氏の語りの実力は『ひぐらし』の頃からいささかも衰えていない。しかし正直言って、楽しむために読み始めたつもりなのに、こんなややこしく不愉快でわけのわからない話を延々8話も読みたくなかった。その意味で、この作品に対する世間の悪評には一定の根拠があると言わねばならぬ。竜騎士07氏が読者を敵視し、楽しませる姿勢を放棄し続けるなら、筆者としては今後距離を置くしかない。
-50点/100点満点
単にプレイする価値のない駄作であれば0点とするところだが、この作品には読者に対する敵意と悪意が渦巻いているように思われ、プレイすることが却って有害と考えられることから、マイナス得点とさせて頂いた。