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『夕陽のガンマン』(1965)

 NHK BSPにて鑑賞。

  • クリント・イーストウッド主演の西部劇。しかしアメリカ映画ではなく、いわゆるマカロニ・ウェスタン、すなわち1960年代半ばから70年代前半にかけて流行した、イタリアで作られた西部劇である。マカロニ・ウェスタンの巨匠と呼ばれるセルジオ・レオーネ監督作で、マカロニ・ウェスタンの代表作の一つ。アメリカで製作されたものでないとはいえ、クリント・イーストウッドをはじめ役者はみな英語をしゃべっているし(妙にはっきり発音しているのでリスニングしやすい)、見た目もアメリカ映画と遜色ない、西部劇らしい西部劇である。
  • 演出はよくできている方だと思うが、シナリオ面はほどほどといったところ。一番大きなところでいうと、これはどうもマカロニ・ウェスタンに共通する特徴らしいのだが、人物描写の重点を個人的能力のほうに置きすぎて、倫理的性格(人間関係)の描写の方がお留守になっているようである。このために、主人公たちがそれほど魅力的に見えず、また敵役がそれほど憎むべき悪人に見えない。また、プロット面でも、比較的葛藤の乏しいまま話が進行するので、ストーリーの先行きにあまり興味が持てない。主人公たちの能力の見せ場であるシューティングのアクションシーンには見ごたえがあるので、誰でもある程度楽しめる作品にはなっているが、それ以上のものがないようである。

65点/100点満点

『逆転裁判3』

 iOS版『逆転裁判123HD 成歩堂龍一編』にて引き続きプレイ。

  • 新人弁護士成歩堂龍一とその助手綾里真宵を描いた成歩堂龍一編の完結編。逆転裁判シリーズは4以降もリリースされているものの、主人公が変わったりライターが変わったりしているので、さらに言うなら、本作は本来の意味での『逆転裁判』シリーズの完結編でもあると言っていいかもしれない。本作、特にその最終話「華麗なる逆転」の話の中身も、あまりこういうオタクくさい言い方は好みでないのだが、あえて言うなら、これまでのシリーズの伏線を一気に回収して大団円を迎えるという内容であった。
  • シリーズを通しての感想だが、細かく見れば問題は多々あるけれども、とにかく個性的なキャラクターの力が強くて、喜劇としてはよくできていると言っていいと思う。シナリオライターである巧舟氏のその点の実力は疑いようもない。
  • この作品を『ひぐらしのなく頃に』と比較してみて気づいたことがある。両作品は一見似ているところがあるが、この作品がミステリーなのに対し、『ひぐらし』は悲劇である。悲劇にもミステリー要素、つまり間違った認識からくる矛盾が気にかかるという要素は含まれるのだが、単なるミステリーと悲劇の違いは、ミステリーは間違った認識が比較的早めに正されるのに対し、悲劇はそれが正されないままどんどん事態が深刻になり、しまいには大ごとになるというところである。大抵の場合ドラマとしては悲劇の方が面白い。そしてミステリーには大ごとになっていく過程がないので、長編を作ろうとすると話を持たすために筋書がどんどん複雑になっていく傾向にある。『逆転裁判』シリーズの特に2以降の長編エピソードは、そのようにして話がやや複雑になりすぎたきらいがあり、筆者自身いま話を振り返ってみて正確にプロットを説明できる自信がない。これは本シリーズの大きな欠点の一つだったと言えるだろう。本シリーズはもともとゲームボーイ・アドバンス向けにリリースされたものだが、その主要ユーザー層と思われるティーンズたちが話の内容を正確に理解できたか大いに疑わしい。

『METAL GEAR SOLID V: THE PHANTOM PAIN』

 メタルギアシリーズの最新作にして、小島氏が監督する同シリーズとしては事実上最終作となると見られているMGSV:TPPが発売されたが、著名実況者の間ではほとんど実況されず、PewDiePie氏がプロローグ部分だけ実況したことなどのわずかな例外を除くと、弟者氏の実況が事実上唯一のフル実況となっている。このことから、少なくとも著名実況者は、パブリッシャーから許諾を得られたものを実況するポリシーであるらしいこと、コナミは本作についてかなり許諾先を絞っているらしいことがうかがえる。
 弟者氏が許諾を得られたのは、日本人のハイティーン以上視聴者向け実況者として第一人者であること、比較的批判の少ない敵を作らない実況スタイルであること、それになんといってもやはりMGSシリーズの大ファンだと以前より公言していることからだろう。ただフル実況といっても、サイドミッションは原則として実況しない方針らしく、コナミ側からこまごまと条件が付いているのではないか。
 もっともマイナー実況者はおかまいなしに実況しているようで、これは彼らにとってはチャンスかもしれない。すでに実況動画のアクセスの獲得競争は相当熾烈たが、大半の視聴者が一つのタイトルにつき見る動画は一つだけだから、実況者にとっては先制することが何より大事だ。大物がいないだけでだいぶ有利なはずである。

 ゲームの中身なのだが、ストーリー性という面で見れば薄味な作品である。筆者はこれまでのシリーズのストーリーにあまり詳しくないが、それにしてもプロローグ部分を除けばストーリー性の薄い話であることは間違いない。基本的には、ストーリーは各ミッションの行動目標を与えるためにだけ存在するようである。まあ、ゲーム性を重視した結果としてストーリーはほどほどに済ますというのも一つの考えではある。「映画みたいなゲーム」が常に正しいというわけでもない。ただ、同じオープンワールド型であったGTAVのストーリーがキャラクター面ではそれなりに成功していたのを見ると物足りなさを感じるのも確かである。

『逆転裁判2』

 iOS版『逆転裁判123HD 成歩堂龍一編』にて引き続きプレイ。

  • 前作の追加シナリオを除いた部分と同様に、本作もチュートリアル1話、ライトな雰囲気の2話、シリアス風の大詰め1話の計4話構成。
  •  初めの3話については相変わらずなライトコメディ風ミステリーなのだが、第4話の『さらば、逆転』については若干の問題を感じないでもなかった。
     これまでのシリーズで、主人公の成歩堂龍一は、受任時点では罪を犯しているとしか思えない被告人の無罪を主張し続けてきた。それは前作の第1~2話によると、弁護士は常に孤独な被告人の味方であるべきであって、被告人が無罪を主張するならばそれを信じるべきだ、という信念に基づくものであったはずである。ところがその後、早くも前作第4話の『逆転、そしてサヨナラ』あたりからこの原則が揺らぎ始め、『蘇る逆転』では被告人自身が有罪を認めているのにも関わらず無罪を主張するようになった。本作第1話『失われた逆転』と第3話『逆転サーカス』では被告人が無罪を訴えるパターンに戻ったものの、第2話『再会、そして逆転』はやはり被告人自身が有罪を疑う出だしであり、以上要するに、成歩堂龍一の信念が被告人を信じるというところにあるのかどうかがシリーズを通して混乱していたと言える。
     そして『さらば、逆転』のストーリーだが、これは要するに、成歩堂龍一が被告人の主張に合わせて無罪を主張していたら、やがてそれは嘘で実際には罪を犯していたことが判明したので、検事と共に有罪を立証するという筋であった。結末では、実体的真実の重要性が強調されて話が終わる。
     しかし本当にこれでいいのだろうか。確かにこの話の被告人は悪人ではあったが、それでも被告人の敵に回るのだから、明らかにシリーズ当初の信念と相いれない。成歩堂龍一に対する読者の支持の根拠はこの信念にあったと思うが、今までもあまり信念が一貫していなかったものの一応被告人の味方ではあったものが、ここで決定的に矛盾してしまった。明らかに有罪なら無罪を主張すべきでないというのは確かにその通りだが、それにしても弁護の方法は無罪の主張だけではないはずである。世の弁護人の大半は有罪の被告人を弁護しているのであって、有罪だから敵に回るというのでは弁護人失格であろう。以上要するに、常に被告人の味方であるような弁護人こそが立派だと褒めるシリーズのはずなのにそれと矛盾するようなストーリーであった。
     いやこの事件では真宵が誘拐されるなど決定的に被告人との信頼関係が破たんしたのだから、コロシヤが言っていたのと同様に成歩堂龍一も被告人に対する義理はなくなったのだという反論がありうるかもしれない。確かにそのような状況では成歩堂龍一といえどもそうせざるを得ないのはそうなのだが、しかしそういうシリーズのテーゼに反するような出来事をそもそもシリーズの一話として語るべきでないということなのである。
     それにあくまでも被告人は冤罪だから無罪を主張するのだということにしてしまうと、成歩堂龍一のところに舞い込む事件はどれもその時点ではどう見ても有罪にしか見えないものばかり(という設定)なのだから、今後何も事件を受けられなくなってしまうのではないだろうか。

『Until Dawn -惨劇の山荘-』(2015)

  • PS4専用ホラーアドベンチャーゲーム。若手中心ながら現役の俳優を起用した映画志向の強い作品で、ゲームシステムも含めて雰囲気は『HEAVY RAIN 心の軋むとき』(2010)に似ている。例えば、画面は原則固定カメラ視点、アクションゲーム要素は射撃とQTEが中心、所々に出てくる選択肢を選んでいくことで誰が生き残るかが変わってくる、などの点が共通している。8/27の発売から一斉に実況が始まり、ぼちぼちエンディングにたどり着く実況者も出てきた。
  • ストーリーなのだが、副題にある通り、下界と隔絶された冬山のスキーロッジ周辺で、そこに遊びに来ていた若者たちが次々に死んでいく(もっとも、うまくやれば全員生還するらしいが)という話である。話の前半はクローズドサークルのミステリー風でもあり、『かまいたちの夜』(1994)や『うみねこ』などを思い起こさせるところもあって若干期待したのだが、後半に入ってミステリーのネタが割れた後(あまり凝った真相ではなかった)、急にB級ホラーというかバイオハザードみたいな話になってがっかりした。ゾンビ化した後のハンナもゾンビの群れの中でどういう立ち位置で何をしていたのかよくわからない。そして何より、この結末では何が言いたい話なのかよくわからない。まさか復讐は行き過ぎだったからワシントン3兄弟は死んでよかった、めでたしめでたしと言いたいのか? そういうことにするには仲間たちの方の性格や実際にしたことに問題がありすぎる。あるいは喧嘩両成敗といったところだろうか。しかしそれはドラマの結論としては曖昧すぎる。それではわざわざ観客に向かって訴える価値がない。
    映像はさすがにPS4の性能を活かしていて特に人物の表情がよくできているし、俳優や演出もそこそこ頑張っていると思うが、ドラマとして見たときはアメリカのB級ホラー映画ないし連続TVドラマ程度、見られないことはないがとりたてて褒めるほどのこともない出来である。
  • 本作はプレイヤーの選択でストーリーが大きく分岐していく「バタフライシステム」を謳っているのだが、どうも選択は誰が死ぬかには影響してもストーリーの大筋には影響しない雰囲気である。『かまいたちの夜』や『ひぐらし』のようにまったく違う話になるのを期待したのだが……。
    この手の分岐システムはループものの元になったと言われるが、実際プレイヤーの選択でキッチリ分岐するゲームというのは案外少ないのではないか。作る側から考えると、同じ設定で違う結末をつけるというのは難しいのかもしれない。といっても、一つだけトゥルーエンドであとは未解決エンドというよくある形ならそれなりに行けそうだけれど……。要はこういうことか、つまり未解決エンドにしてしまうと元に戻ってプレイし直すのがプレイヤーにとって面倒なのでそれなら残りのキャラクターで話を続けてしまった方が効率的だと。

『逆転裁判 蘇る逆転』(2001・2005・2009)

 iOS版『逆転裁判123HD 成歩堂龍一編』にてプレイ。

  • CAPCOMから出た人気アドベンチャーゲームシリーズ第一作。『逆転裁判』部分の初出は2001年のGBA版。追加シナリオ『蘇る逆転』が2005年。
     本作は5話構成で、それぞれの話で、主人公の新人弁護士成歩堂龍一は、いわれなき罪で起訴されてしまった依頼人の無罪を勝ち取るべく奮闘する。
    ゲームシステムの基本は、今となっては懐かしい感じのするオーソドックスなコマンド選択型アドベンチャーゲーム型。主人公の行動は、証拠を収集するのが主な目的の探偵パートと、その証拠を検察側証人に突き付けて証言の矛盾を指摘するのが主な目的の法廷パートに分かれ、これが原則として各話3回程度繰り返される。最後の法廷で無罪を勝ち取れればクリア。
  • 『うみねこのなく頃に』に影響を与えた作品であることは明らかなので、そのうちやってみないとと思ってはいたがなかなか機会がなかった。先日たまたま手ごろな価格でiOS版が購入できるのに気づいてやっとプレイしてみた。ギャルゲーを除けば、現在までシリーズが存続している著名な国産アドベンチャーゲームとしては本シリーズがおそらく唯一だろう。話の中身は喜劇的な倒叙ものミステリーなのだが、キャラクターが魅力的だし、結末が気持ちのいい終わり方をするので、シリーズが現在まで存続したのも理由のないことではないように感じた。この話の結末のつけ方は、「主人公が社会に包摂されて終わる」というノースロップ・フライの喜劇の定義を彷彿とさせる。またキャラクターが魅力的というのは、主人公をはじめとする人間たちが信念をもって行動していることの結果である。

『死の接吻』(1953)

 倒叙ものミステリー小説だが、犯人の名前が後半部まで明らかにされないというところに特色がある。評価の高い作品なので期待して読んでみたが、これは失敗作。この小説のもっともキモである、犯人の名前が明らかになるところで盛大に滑っている。しまったそう来たか、と思えない。

『レベッカ』(1940)

 dTVにて鑑賞。

  • ヒッチコックが渡米後に撮った第一作。ヒッチコック作品唯一のアカデミー作品賞受賞作。ちなみに有名な話だが、ヒッチコックは監督賞は一度も取っていない。
  • dTVで見られるヒッチコック作品ということで(よそでも見られる著作権切れ作品が中心なので、ヒッチコック作品目当てでdTVに加入するのはお勧めしない)、何の気なしに鑑賞してみてびっくり。こりゃまず間違いなく『うみねこのなく頃に』の元ネタの一つだ。なにしろ洋館だの壁に掛けられた肖像画だのベアトリーチェ(英語映画なので劇中での発音は「ベアトリス」)だの、見覚えのあるモチーフがゾロゾロ出てくるのもそうだが、なんといっても「愛情のもつれの末に使用人が洋館に火を放って自殺する」という結末が『うみねこ』そっくりである。『うみねこ』でヤスが島を爆破した動機は十分に描かれず、世間でもそれが度々批判されていたが、この『レベッカ』を見てほんの少し理解に近づいたような気がする。
  • この作品そのものの出来はあまりよくないというか、ミステリーでもサスペンスでもないので、ヒッチコックらしい作品を期待してみると肩すかしを食わされる。ただ、『めまい』あたりの原型のような話でもあり、そういう意味ではヒッチコックらしさがないとも言い切れない。ともかく、話のはじめの方ではっきりとしたテーマ・問題が提示され、それについてストーリーが進んでいくという構成の話ではない。いったい何に興味を持てばいいのかよくわからないままに話が進む。その意味で少なくとも筆者好みのシナリオではない。

50点/100点満点

『バルカン超特急』(1938)

 WOWOWメンバーズオンデマンドにて鑑賞。

  •  結婚を控え、ヨーロッパのとある小国へ友人たちとともに独身時代最後の旅行に出かけていた主人公アイリス。日程を終え、駅で友人と別れてフィアンセの待つロンドンへと旅立つ特急列車に乗り込もうとした彼女は、老女フロイがカバンが見当たらないとホームを探し回っているのに気付く。アイリスはフロイを手伝って一緒に探してやるが、その際駅舎の上のほうにある窓から落ちてきた植木鉢で頭を打つ。フラフラになりながらもフロイに助けられつつかろうじて列車に乗り込んだアイリスは、その直後気を失ってしまうが、やがて気が付いたときには6人がけの車室にいた。目の前の席にはフロイ、その他の席には知らない乗客が都合4人。フロイがここまで連れてきて介抱してくれたようだ。アイリスとフロイは通路を通って食堂車へ行き、ともに紅茶を飲む。フロイはかの国で家庭教師をしていた英国人で、イギリスに帰国するところだという。たまたまその食堂車に居合わせた英国人男性二人とちょっとしたやり取りなどがあったあと、二人は座席に戻る。アイリスはやがてうとうととするが、目を覚ましてみるとフロイはいなくなっていた。アイリスが他の乗客たちにフロイはどこに行ったのか聞いてみると、皆フロイなる人物は元々いなかった、目の前は空席だったとおかしなことを言う。食堂車に戻り、給仕に聞いてみても、アイリスはさっき食堂車に一人で来た、フロイなる人物は知らないという。伝票にも紅茶1杯の注文しか書かれていない。アイリスは列車中を探し回り、フロイは見つからなかったものの、出発前の宿でたまたま知り合っていた英国人ギルバート(前に食堂車で会った二人とは別)と再会する。ギルバートは一緒にフロイを探してくれるようだ。元の車両に戻って、別の車室の乗客や、さっき食堂車にいた二人の英国人にもフロイのことを聞くが、覚えていないという。同じ車両に乗り合わせていた脳外科医ハーツはその経緯を聞いて、頭を打つと記憶が混乱することがあると話す。
     果たして、本当にフロイは実在せずアイリスの記憶違いに過ぎなかったのか。それとも乗客や給仕たちが示し合わせて嘘をついているのだろうか。もしそうだとしたら一体何のためにそんなことを? そしてフロイの行方は?
  • 英国時代のヒッチコック後期の作品。ミステリーよりサスペンスを好んだと言われるヒッチコックにしては珍しく本格ミステリー風な出だしのプロットなのだが、実は上で説明した序盤のあと、すぐにアイリスの記憶違いではなかったことが観客に開示される。その辺りはやっぱりヒッチコック流である。ただこの作品に限って言えば、アイリスが誰かに狙われているというわけでもなく、情報を早く開示したことがサスペンスにつながっていない。その意味であまり成功していないと思う。やはりヒッチコックの全盛期はアメリカに渡ってからで、英国時代はまだ粗削りである。
  • よくできたドラマでは、「どうやら話が本題に入ったらしい」感じがする時点というのが存在するものだが、この話ではフロイが消えた時点がそれに相当する。本題に入るというのが具体的に何を意味するかの一般的ルールはあまり明らかでないが、大まかに(1)動機(パトスないしメタバシス)の発生で説明する (2)テーマ(葛藤)の提示で説明する の2つの方向性が考えられる。この話を見る限りでは(2)が有望なように思える。

65点/100点満点

 画質はあまりよくないが、著作権切れのためYouTubeでも鑑賞可能。

Dパートのあらすじ

 時かけブログ記事公開終了のときにリンクを一緒に公開終了してしまっていましたが、ここにあります。

 ちなみに今回のTV放映の影響で、当サイトのGoogle Analyticsでのリアルタイムアクティブユーザー数が、放送終了直後時点で4000を超えました。やはりTVという媒体の瞬発力は未だに恐るべきものがあります。放送開始前や開始直後あたりはあらすじへのアクセスが多く、放送後は問答集のDパートへのアクセスが多かったようです。
 とはいうものの、以前の時かけTV放送のときと比べても桁違いに多いんですよねえ。何が原因なのか……。以前と比べるとスマホ系トラフィックの割合がはるかに増えているのが目を惹く違いとしてあるのですが、ひょっとしてスマホの普及でここ1~2年でWWWのトラフィック自体が大幅に伸びたのでしょうか? しかしそれなら普段のアクセスも大幅に伸びていないとおかしいがそんなことはないですしね。細田守人気が伸びたにしても、例えばおおかみこどものときと比べて桁違いに伸びるというのも変だし……

追記: 今回の放送の視聴率は13.4%だったそうで、2007年の12.2%、2008年の10.0%(以上フジテレビ時代)、2009年の7.8%(ここから日テレ)と比べてかなり高い数字でした。

 いずれにせよ、サーバー側で動いているnginxはこのトラフィックを楽々捌いてくれていました。さすが。

 実に久しぶりに観ましたが、やっぱり脚本の奥寺氏が女性ということで、女子のセリフ回しや、女子から見たある種の男子の理想像がよく描けてる作品だと感じました。また、「女子が好きになる男子とは」というテーマ設定とその答えは、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(1985)からの影響が濃いですね。演出だけでなく脚本面でもかなり影響されてたというのに今更気づきました。ロレインの側から見たバック・トゥ・ザ・フューチャーみたいなもんですね。
 今日久しぶりに目白の分かれ道の様子を見に行ってきましたが、ツタが絡まって少し感じが変わっていたものの、大体元のままでした。それと富士見坂に手すりが付き、また建物がいくつか建て替えられてました。