昨年WOWOWでの放映分を録ってあったのをチビチビ見ていたけど、もう限界と思って1時間少々まで進んだところで残念ながら削除。
この作品は、おそらくは『時をかける少女』とか『河童のクゥと夏休み』のような、一般人が見られるアニメを狙って作られた、基本的にはローティーン層向けのオリジナルアニメ。そういう作品を作ろうという心意気は買うけれど、いかんせんProduction I.G.のクールな絵柄で描かれたヒロインにはどうも華がなかったし、なんといってもシナリオが退屈過ぎた。
いちおうストーリーは『となりのトトロ』とか『北の国から』といったヒット作を手本にして書かれたと思われるのに(偶然かわからないが同年公開の『おおかみこどもの雨と雪』と基本が同じ)、ここまで見事に失敗しているとなると、その原因にはかえって興味深いところがあるが、ともかくシナリオについて一つだけ指摘するなら、導入部をもっと切り詰めればまだマシだったと思う。妖怪たちの目的が判明するまでに1時間も掛かるのはいくらなんでも長すぎた。そしてどうしてそうなってしまったかというと、おそらく、脚本家の地元の瀬戸内海の島々を観客に紹介したいという脚本家個人の欲求を、ドラマ上の必要よりも優先させてしまったからである。
さらにいうなら、宮崎駿という偉大すぎる先例があるために業界的におかしな雰囲気になっているようであるが、本来アニメーターと脚本家の仕事には何の共通点もないのであって、どうしてそういう人が脚本を書くという話になるのか理解できない。
まあそりゃ脚本家名乗ってる人種にも頼りない人は多いだろうけども…
「映画」カテゴリーアーカイブ
『オール・ユー・ニード・イズ・キル』
3D吹き替え版にて鑑賞。
- 中盤まではなかなか出来が良く、この調子だとトム・クルーズ近年の代表作となるのではないかと思われたが、残念ながら終盤がどうにも興醒めであった。中盤までの話の約束(世界観)は、失敗を経験することでしか前に進めないということであったはずだが、終盤に入ってそれが黙って無視されてしまった。観客としてはそういう状況においていかに行動すべきかについての作者の信念が開陳されることを期待していたのに、結局その答えは明らかにされないままで、これでは約束が違う。またやや細かく言えば、他人にタイムループのことをどんなに説明しても理解してもらえないというカセがあったはずなのに、終盤それも黙って無視されていた。
- しかし世界観というもののドラマにおける位置づけを理解するにはいい教材かも知れぬ。
68点/100点満点
『All You Need Is Kill』(桜坂洋著・2004・小説)【ややネタバレ】
数年前に買ったまま積読になっていたライトノベル。このたび映画化されると聞いてなんとか公開日までには読み切ろうと再チャレンジ、ぎりぎり間に合った次第(7月4日公開)。なお、映画化版の原題は『Edge of Tomorrow』。
- 人類が正体不明の生物「ギタイ」の群れに襲われるようになった近未来の日本が舞台。主人公キリヤは、そのギタイに対抗するために人類が組織した「統合防疫軍」に入隊した初年兵である。キリヤはある日いよいよ初めての戦闘に参加するが、敵の圧倒的な力になすすべもなく瀕死の状態に陥る。そこで彼はまだ19歳の少女ながら防疫軍のエースであるリタと出会う。キリヤは最後の力を振り絞って1匹のギタイを倒すことに成功するも結局戦死する。ところがその直後、キリヤは出撃前日のベッドで目を覚ますのだった。キリヤは再び前回と同じような2日間を過ごし、同じように戦死するが、また同じようにベッドで目覚める。周囲の人間は何も知らないようだが、どうも死ぬと記憶だけを残して時間が戻るようだ。そう理解したキリヤは、各「ループ」で経験したことを次回に活かすことで、なんとか戦闘を生き延び、ループから逃れようと決心する。だが、ループに陥っている人間はキリヤのほかにもう一人いたのであった…
- いわゆる「ループもの」(広い意味ではタイムトラベルもの)のライトノベル。今となっては、えっまたこれもそうなのという感じもするが、Wikipediaなどを見る限り、ループものがサブカル方面で流行りだしたのは2002年のギャルゲー『ひぐらしのなく頃に』あたりが嚆矢らしく、当作品の初出2004年頃はまだ新味があったかも知れない。
まあもちろん、大本としてはインド哲学の輪廻転生思想というものがあってマンガでは手塚治虫の『火の鳥』が作られていたし、またそれから直接影響を受けたかは別として、SF小説としては『時をかける少女』(1966)、夢オチの濫用という意味では『パプリカ』(1993)、映画方面では『恋はデジャ・ブ』(1993)、『ラン・ローラ・ラン』(1998)などもあり、既に前例は大いにあったわけで、その意味では伝統的なSFの一形式とも言って云えなくもない。
なお、サブカルの批評家はループものをゲームの「セーブ地点からの再スタート」を真似たものと分析するようであり、この作品の作者あとがきにもそれを示唆する表現があるのだが、このような前例を見る限り、そういう作品もあるかも知れないが、必然的な関係はないように思う。 - いわゆるライトノベルの定義には定説がないようだが、私見では、ハイティーン男子向け純愛ロマンス小説というあたりが本質的定義だろうと思う。男子向けロマンスだから、男子から見たある種の理想の女子を描くのが最大の目的の一つとなる。そして敢えてもう少し条件を追加するなら、多くのライトノベルで描かれる女子の理想像は、時に男をリードしてくれる強い女子である(多分原型となっているのは『新世紀エヴァンゲリオン』(1995-1996)のレイとアスカ)。これを男子の軟弱化であって嘆かわしいことと見るか、この問題の評価に深入りすることは避けるが、ライトノベルはオタク文化とジェンダーフリーの社会の申し子のような小説だとは言えるかもしれない。ともかく現実としてそういうフォーマットになっているのである。
集英社のライトノベルレーベルから発売された本作も一応、そのフォーマットに則っており、初年兵で情けない戦いしかできない男子の主人公から見た、戦いで向かうところ敵なしの少女兵リタが描かれる話と云えなくもない。ただ後述のように、良くも悪くもそのフォーマットからズレている部分がある。 - 話の出来についてだが、「ジャパンのレストランのグリーン・ティーは確かに無料だ」のシーンは確かに決まっていた。多分作者はこれがやりたくてこの話を書いたのではなかろうか。ただそうするとその他のシーンはこのシーンから逆算して書いたということなのだろうが、それゆえの難点が生じている。つまり、このシーンを軸にこの話を別の面から要約すると、孤独な戦いを続けてきたリタがキリヤという理解者を得る話ということになるが、これだとリタから見たキリヤを描いた話ということになるので、前述のライトノベルのフォーマットと正反対になってしまうのである。そこを無理にフォーマットに合わせてキリヤ視点で語ろうとしたものだから、前半のキリヤ視点の筋を読んでいるとなんとなく重たいのである。当ブログの筆者が読み終えるのにこんなに時間がかかったのも、それゆえに話に惹きつけられる力が弱かったからである。
むしろこの話はリタとキリヤの立場を逆にした方がよかったのではないだろうか。 - もう一つ指摘したいのは結末の付け方である。この話の「結果」は、キリヤがリタからエースの立場を受け継いだということであり、その結果はリタの決断から生まれたわけである。最近同じことばかり書いているが、物語の結末は、語られた出来事の結果とそれを齎した決断(行為)を評価する場だから、リタが命を投げ出してキリヤにエースの立場を譲ったことが良いことであることを示さないといけないと思うのだが、実際の結末はそうなっていないように思える。
75点/100点満点
『パピヨン』(1973)
WOWOWにて鑑賞。「TSUTAYA発掘良品~100人の映画通が選んだ本当に面白い映画~」枠にて放送。
- 無実の罪で終身刑となり、フランス領ギアナの収容所に流刑となった主人公パピヨンが、繰り返し脱獄を試みる話。実話ベースの話とのこと。
- 「TSUTAYA発掘良品」は、B級映画として埋もれてしまったながら見どころのある過去の作品を選定してお勧め旧作レンタル作品として特設売場(というかレンタル場?)にてプッシュするツタヤの企画で、この放送枠はそれらの作品をWOWOWで放映するというTSUTAYAとのコラボレーション企画。
- スティーブ・マックイーンとダスティン・ホフマン主演で演技・演出は申し分なく、またギアナの映像にも絵になるものが多い。それらの点だけ見ればちょっとした大作映画である。にも関わらずなぜB級扱いになってしまったかというと、これはシナリオが問題なのである。
- まず、細かいことではあるが重要な点として、このシナリオだと、この話の理解に必要な予備知識をきちんと説明し切れていないという問題がある。例えば、当時、収容所での刑期を終えた収容者には不動産が支給されるが島から出ることは禁止という法律があったらしく、物語の終盤では、主人公ら2人が空き家の支給を受けてそこに住んでいる下りがあるが、そのような制度が存在するという説明がない。どうしていきなり空き家に住み始めたのか、観客には訳が分からぬままに話が進んでいく。そもそも終身刑だったはずなのにどうして刑期が終わっていることになるのかも未だ理解できない。
- しかしこのシナリオのおそらく最大の問題点は、主人公のした脱獄という決断に観客が今一つ乗れないということであろう。ドラマにおいては、主人公は、観客が理想的と考える結果(観客の望み)を実現するために行動するのでなければならない(『はてしない物語』を見よ)。さもないとたちまち観客は退屈を始める。この話の場合、無実の罪で投獄されたならすべきことは再審で無罪を勝ち取ることであって脱獄することではないように思われる。脱獄しても名誉が回復するわけでないし、一生追われる身ではないか。そして実際の展開もその危惧の通りになるのである。そのような観客の望みと、主人公のしようとする脱獄という行為にズレがある。それでも実話ベースで行くと決めてしまったなら、史実に拘束されるからこうするほかないわけではある。実話の落とし穴である。
しかもこのシナリオだと、本当に主人公が無実だったのかどうかも、主人公自身がそう言っているという以上の描写がなく、曖昧である。 - また、それらのことと関係しているが、この話は結末の出来が悪い。結局主人公は島からの脱出に成功したということらしいが、あのラストではそんな風に見えない。そしてまたその結果が「めでたしめでたし」なのか、「残念なことだ」なのか、語り手の評価がよく見えない。そういう評価を語り手と観客と分かち合うのがドラマの結末のあるべき姿だが、この話はそうなってない。
- ところでこの作品だが、『ショーシャンクの空に』の元ネタの一つであることが明らかである。『カッコーの巣の上で』が元ネタの一つであることは知っていたが、むしろこっちの方が影響が大きいようである。
55点/100点満点
映画短評一覧と得点
どうも最近どうかすると60点台ばかりつけているような気がする。
というわけで、点数の基準の再確認のために過去の作品の点数を一覧にした。
- 95 東京物語
- 93 時をかける少女(2006)
- 92 七人の侍
- 92 バック・トゥ・ザ・フューチャー
- 92 生きる
- 91 用心棒
- 91 パルプ・フィクション
- 90 デルス・ウザーラ
- 89 羅生門
- 88 シュタインズ・ゲート
- 85 十二人の怒れる男
- 85 裏窓
- 85 椿三十郎
- 85(90) ダイヤルMを廻せ!
- 84 秒速5センチメートル
- 81(90) ミスト
- 80 ゼロ・グラビティ
- 80 エイリアン
- 80 千と千尋の神隠し
- 80 隠し砦の三悪人
- 79 十二人の優しい日本人
- 79 カッコーの巣の上で
- 78 北北西に進路を取れ
- 78 バック・トゥ・ザ・フューチャー PART 2
- 78 エイリアン 2
- 78 ショーシャンクの空に
- 78 サタデー・ナイト・フィーバー
- 78 サイコ(1960)
- 78(70) エターナル・サンシャイン
- 77 櫻の園(1990)
- 75 幸福の黄色いハンカチ
- 75 ターミネーター 2
- 75(80) お葬式
- 74 新幹線大爆破
- 73 ポセイドン・アドベンチャー
- 73 タワーリング・インフェルノ
- 73 アメリカの夜
- 73 ターミネーター
- 72 天空の城ラピュタ
- 72 博士の異常な愛情
- 72 スター・ウォーズ
- 71 楢山節考(1958)
- 70 告白
- 70 家族
- 70 ガタカ
- 70 ブレア・ウィッチ・プロジェクト
- 70 評決
- 70 遥かなる山の呼び声
- 70 タクシー・ドライバー
- 70(75) [リミット]
- 70(80) ボルト
- 70(80) 病院で死ぬということ
- 70(-) ゾンビ
- 70(-) ブレードランナー ファイナルカット
- 69(-) 史上最大の作戦
- 69 時計じかけのオレンジ
- 69 クローバーフィールド/HAKAISHA
- 69 笑の大学
- 69 鉄コン筋クリート
- 68 駅 STATION
- 68 息子
- 68 ゲッタウェイ
- 68 ウエストサイド物語
- 68 天然コケッコー
- 67 ブギーナイツ
- 67 たそがれ清兵衛
- 66 ダークナイト
- 66 パプリカ
- 65 インセプション
- 65 ハート・ロッカー
- 65 ゴールデンスランバー
- 65 おおかみこどもの雨と雪
- 65 ファーゴ
- 65 ジャンゴ 繋がれざる者
- 65 太陽の帝国
- 65 アメリカン・ジゴロ
- 65 愛、アムール
- 65 失われた週末
- 65(70) 白夜行
- 65(68) 言の葉の庭
- 64 知り過ぎていた男
- 61 めまい
- 60(68) オーシャンズ13
- 60(68) キャプテン・フィリップス
- 60(68) 人生の特等席
- 60(70) 特攻野郎Aチーム THE MOVIE
- 60 ベッジ・パードン
- 60 孤高のメス
- 60 少年と自転車
- 60 ワイルドバンチ
- 60 黄金を抱いて翔べ
- 60 最強の二人
- 60 オーメン
- 60 フライト
- 60 疑惑の影
- 59 8 1/2
- 59 引き裂かれたカーテン
- 58 ザ・シークレット・サービス
- 55 キック・アス
- 55 アルゴ
- 55 タンタンの冒険/ユニコーン号の秘密
- 55 ヒッチコック
- 55 マグノリア
- 55 鳥
- 55(50) シャイニング
- 50 アイズ・ワイド・シャット
- 50 マイマイ新子と千年の魔法
- 50 サウンド・オブ・サイレンス
- 50 ディア・ドクター
- 50 ダークナイト ライジング
- 50 ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル
- 50 トゥルー・グリット
- 50 アーティスト
- 50 最終目的地
- 50 サンセット大通り
- 50 気狂いピエロ
- 50 ロープ
- 50 マーニー
- 50(45) レナードの朝
- 45 STEINS;GATE 負荷領域のデジャヴ
- 45 パブリック・エネミーズ
- 45 トゥモロー・ワールド
- 45(30) シリアナ
- 45(55) 映画「けいおん!」
- 45 カーズ2
- 45 風立ちぬ
- 40 ラン・ローラ・ラン
- 40 ミニミニ大作戦
- 40 メランコリア
- 40 松ヶ根乱射事件
- 40(50) 127時間
- 30 サマーウォーズ
- 30 ブラック・スワン
- 30 SUPER8/スーパーエイト
- 25 ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q
- 20 シン・レッド・ライン
- 20 お引越し
- 20 キャリー
- 20(-) ONE PIECE THE MOVIE オマツリ男爵と秘密の島
- 10 天地明察
ついでに短評を書いてないものでも、mixiの方に書いていたものなどで(退会したのでもう見られないが5段階評価だった)、基準となりそうな作品をいくつか追加した。
どうもこれは順位で見るとおかしいなというものは点数を見直した。カッコ内は見直し前の評価。
主観的には、60点あれば一応商業映画として合格点というつもりで付けている。が、こうしてみると実際の合格点は50点くらいになっている気がする。
映画ファンのタイプの試金石となる作品というものがいくつかある。ここで挙げた作品だと、ヒッチコックの『鳥』『めまい』ゴダール『気狂いピエロ』あたりに対する評価は人によってはっきり分かれる。これらの作品は、雰囲気に大変独特なものがあるのだが、話の中身に難があるのである。
『愛、アムール』(2012)【ネタバレ】
WOWOWにて鑑賞。
- 右半身不随となった老妻を夫が献身的に介護するが、それもむなしく病状は進み、ついに妻を安楽死させる話。話の種類としては、30年くらい前に日本のTVドラマで流行った難病もののようでもあり、『カッコーの巣の上で』のようでもあり、フランス版『東京物語』のようでもある。
- パルム・ドール受賞作。その通り、良くも悪くもカンヌ映画らしい内容である。
- 演技・演出に文句はない。老夫婦の2人の演技はさすがに年季が入っていて安心して見られる。そしてあの鳩の演技! 音楽の使い方が控えめなのも好印象である。演出的に見て、概して上品で手堅い仕上がりで、その点では確かにパルム・ドールも伊達ではない。また同じ介護ものフランス映画でも『最強の二人』あたりよりこちらの方がよくできている。
- しかしシナリオには問題がある。最大の問題は、話の終盤、観客にとってまったく不意打ちな形で夫が妻を殺す行為の動機が、暗喩を用いた遠回しな形でしか表現されないことである。あれだと、この手の映画を見慣れない観客には動機がまったくわからないか、下手をすると介護疲れで衝動的に殺してしまったと解釈されかねない。ある種の映画マニアや批評家はこういう「わかる人にしかわからない」映画をありがたがる傾向にあり、そしてカンヌ映画祭というところはそういう人たちの根城なのだが、その種の制作態度は映画産業を蛸壺化させる。権力側からの検閲が厳しく馬鹿な役人たちの目をくらます必要があるというなら別だが、そうでないなら、もっとわかりやすく作ることができたろうし、そうすべきであった。
- また、縷々ここで述べて来ているように、およそドラマの目的というものは、主人公の為したある特定の行為(とその結果)に対する語り手の評価を示すことである。この話の語り手は、ラストシーンに出てきているところを見ると、夫婦の娘であろう。そしてもちろんこの話における「主人公の為したある特定の行為」とは夫が妻を殺したことである。観客のドラマに対する興味はこの行為の評価に葛藤するところから生まれるが、この作品ではこれらの要素が明かされるポイントがあまりに話の後ろにあるため、大きく見た場合に中盤まで観客の興味を惹く要素に乏しく、個々のシークエンスには興味深い要素もあるものの、その単位で興味がブツ切りになっている。そのため、やや長尺の作品であることもあって、中盤まではダレ気味の感を否めない。せっかく冒頭、妻が死んでいるのが発見されるシーンから始まっているのだから、夫に殺されたらしいこともそこで一緒に明かしてしまえばよかったのではないか。
- 結末もまた少々曖昧すぎる。娘が父のよく座っていた椅子に座って佇むというラストシーンから娘の父に対するなんらかの評価が読み取れるかというと、父の椅子に座っているから父の行為を認めているのだと解釈できなくもないが、決め手に欠ける。ここももう少しわかりやすくできなかったか。
- ただ中盤まで、妻の介護に対する夫の献身的な態度は、立派に描けていた。ここはシナリオ上優れているポイントである。ただ、性格や人間関係の描写は、ドラマにとって手段であって目的ではないのである。よく文芸やシナリオの世界で「ドラマ(小説)は人間を描く」と言われるが、この限りでそれは間違いである。
65点/100点満点
『失われた週末』(1945)
WOWOWにて久しぶりに再鑑賞。
- 主人公はアル中の売れない作家である。彼の理解者である兄は、ある週末、禁酒中の彼を療養を兼ねて田舎に連れていくことにする。だが出発の直前、主人公が禁酒中も隠れて酒を飲んでいたばかりか、出発の時刻になっても酒場に入り浸っていることを知り、主人公を見捨てて一人田舎に旅立ってしまう。残された主人公は、なけなしの金をはたいて酒を飲む。主人公の恋人が彼を助けようとするが、主人公の方は合わせる顔がなく彼女から逃げ回る。やがて金がなくなると他人の財布を盗み、酒場の女から金を借り、酒場の主人に酒をせびり、商売道具のタイプライターを質に入れてまで酒を飲もうとする。そうこうするうち彼は倒れ、病院に運び込まれてアルコール依存症病棟に入院することになる。しかし一晩もしないうちにそこを抜け出して自宅に戻り、酒屋から酒を強奪してきてそれを飲む。だが夜になり、アルコール依存症を原因とする幻覚を見るようになる。いよいよ絶望した彼は、拳銃で自殺を図ろうとするが、やってきた恋人に励まされ、この週末の出来事を小説にすることを決心するのだった。
- 先日の『フライト』でも触れた元祖アル中映画。WOWOWでの放映日が近かったが、そのあたりを意識した編成だったのかも知れない。
- アカデミー賞のほかカンヌのグランプリも取っている。最近のカンヌは映画の楽しさより高尚さを鼻に掛けたどこかいけ好かない映画のための賞という印象が強いが、この頃はまだマトモだったようだ。
- 内容面だが、とにかくアル中の救いのなさは非常によく描けている作品なのだが、その鬱々とした印象が強すぎる感はある。結末は一応前向きといえば前向きなのだが、実際問題これでアル中から抜け出せるほど甘いわけはなく、強引な結末である。野田高梧の『シナリオ構造論』からの孫引きとなるが、志賀直哉は次のように書いている(原文を現代仮名遣いに直した)。
『心の旅路』の終りでもこれに近い感じを受けたが、これではそれ以上に呆気なかった。あの結末では此の映画の問題は片付かない。あれで、あの男が救われたと思えというのは無理だ。大体作品では途中の破綻はまだいいとして、結末だけはもっとしっかりと作らねば後に厭な味が残る。(中略)私は人に押されながら、若し自分があの映画の結末を作るならどうしたらいいだろうと云う事を考えた。主人公が小説家志望で、酒場で自分の小説の筋を話すところがあり、その小説が画面に現れるが、あれを仕舞いまで延長し、絶えず本筋に絡まして行き、あの映画のハッピー・エンドはそのままで小説の方の大団円として、そのあとに更に本筋の結末をつけて、あの主人公が自殺して了う事にしては如何かと思った。そうすれば筋も複雑になり、アルコール中毒というテーマ以外に通俗芸術への抗議というようなテーマも含まれるわけで、一寸皮肉な面白いものになるだろうと思った。
「自分は小説では心ならずもああいう結末にした。これは本屋の考えである。自殺さす事は風教上よくないし、兎に角、ハッピー・エンドにしなければ出版は断ると本屋は云う。自分自身も事実でそうなれるなら、それに越した事はないと思うのだが、アルコール中毒というものは却々そんな生やさしいものでないという事を自分は知っているのだ。自分はそれを云って本屋と争ったが本屋は頑固にそれを拒んだ。彼は私の実生活をそれで改めさせたいと思っていたのかも知れないが、このようなハッピー・エンドを主張し譲らなかった。自分は酒を飲むためには盗みをさえした者だ。もう小説などはどうでもいい。兎に角、金を作って酒を飲まずにはいられないという気持になった。それで小説ではご覧の通りの不徹底な結末にして了ったのだが、作家として、この事は後まで自分を苦しめた。自分は酒を飲んだ。盛んに飲んだ。然し本屋からの金もそう何時までも続きそうもない。そして最後に残されたものは死以外には何もないということを自分は知っている。自分は今、あの小説の結末を事実を以て訂正する事にした」
こんな遺書を残して自殺する事にすれば、兎に角作品としては形がつく。然し、小説ならば遺書で簡単に済むが、映画の場合はどうしたらいいものか、そんな事を考えていた - ただ一言この作品の結末について弁護すると、結末はその語りの目的を説明するものでなければならないという原則には忠実である。
- 今回見直してみて、主人公の恋人のキャラクターが立派に描けているのを再発見した。むしろ彼女が主人公でもいいくらいではなかったか。
65点/100点満点
『マグノリア』(1999)
WOWOWにて鑑賞。
- この前の『ブギーナイツ』に続くポール・トーマス・アンダーソン監督・脚本作。
- 時と場所を同じくするいくつかの筋を一つにまとめたいわゆるグランドホテル形式のシナリオだが、筋の間の内容面での関係はあるようなないようなといったところで、全体として何が言いたいかがよくわからない話。そのために主要な筋を抜き出して短いあらすじを作るということはほとんど不可能である。しかしそれではどんな作品だかサッパリわからないかと思うので、あえて強引に一つ筋を選び出して紹介するなら、敬虔なクリスチャンである警官が、不幸な境遇にある麻薬中毒の女性と結ばれる話、である。この筋がラストシーンに来ている。
- また、葛藤が弱くて話の先行きに興味を持ちにくくもあるが、それを筋をコロコロ切り替えることでごまかしているようなところがあった。海外ドラマの常套手段だが、ごまかしである。
- 上映時間が3時間を超えているが、長すぎる。関係ない話でも詰め込んでいいということになるとシナリオがどんどん膨れていくのだろうが、それにしてももう少し編集で削れたのではないかと思われるシーンが多かった。例によってセルフプロデュースなものだから客観的に見られる人間がいなかったのかも知れない。結局1.3倍速で鑑賞。
- ただ、『ブギーナイツ』同様、演技演出面は優れていて、個々のシーンにはそこそこ場を持たす力があるようである。また、終盤あまりに唐突に起こるカエルの雨の映像はファンが多いそうで、確かによく出来ていた。
55点/100点満点
『オーメン』(1976)【ネタバレ】
WOWOWにて鑑賞。
- ある夫婦にできた念願の子供が生まれてすぐ死んだ。夫は、妻が悲しむのを避けようと、同時に生まれたがすぐに母親が死んだ別の孤児を秘密裏に教会から引き取って養子とし、妻に実の子供として渡すことにした。ところがその子供ダミアンが5歳になったころ、夫のもとに件の教会から神父がやってきて、ダミアンは山犬から生まれた悪魔の子供だから、ある男に殺し方を教わって殺すしかない、さもなければ母親をはじめ周囲の人間が次々に死んでいく、私も死ぬと警告される。夫は初め取り合わなかったが、その後警告通り神父と妻が死ぬに至り、ダミアンの出生の秘密を探り始める。紆余曲折の末、神父の警告が正しいと確信した夫は、神父が言っていた男のもとに赴く。そしてそこで悪魔を滅ぼすことのできる聖なる短剣を授かり、ついにダミアンに手を掛けようとするが、あと一歩のところで警察に射殺され失敗、ダミアンは生き残ってほくそ笑むのであった。
- 悪魔の数字666を流行らせたオカルト映画(上のあらすじでは省略したが、ダミアンの頭に666というあざが付いていて、それが悪魔の子のしるしになっている)。『エクソシスト』が1973年で、この頃は一種のブームだったのだろう。続編もパート4まで作られた。2006年にリメイクもされた。
- この話の葛藤は、要はわが子(といってももともと養子だけど…)を殺すべきか殺さざるべきかというところで、実際のシナリオではその決心のポイントが話の終盤に来ているわけだから、それよりも前の部分では、ダミアンが悪魔の子でありそうな事情を提示したかと思えば、そうとは思えないような事情も提示して、観客を翻弄しなければならないところだが、そのあたりがあまり上手くなかった印象である。そのために、終盤に入るまで話がダレ気味である。
60点/100点満点
『フライト』(2012)【ネタバレ】
WOWOWにて鑑賞。
- 100人乗りの旅客機のある機長が、悪天候と機材のトラブルで墜落の危機に見舞われるが、奇跡的な操縦で不時着に成功、死者はわずか6名で済む。しかし、彼はアルコールとコカインの中毒者であり、搭乗前にもアルコールとコカインを摂取していたために、終身刑もあり得る過失致死罪で訴追されそうになる。しかしそうなってもまだアルコールをやめられない機長。果たして彼は来る事故調査委員会の聴聞会に素面で出席できるのか。
- 題名や公式サイト(勝手にムービーが再生され音が出るので注意。まだこんなサイト作る人がいるんですねえ)やポスターの作りからすると、なにかパニックムービーみたいにも見えるが、それは冒頭30分くらいだけの話で、残り1時間半の本題は、主人公の機長がアル中から立ち直れるかという話である。制作側からすれば、アル中の引き起こす害悪としてなるべく大げさなものを探した結果、航空機の機長という設定をひねり出したという方が実態に近いのではなかろうか。奇跡の着陸というのは、おそらく2009年に実際に起こったいわゆる「ハドソン川の奇跡」から着想を得たものと思われる。
アル中映画というと、ビリー・ワイルダーの『失われた週末』(1945)以来、時折思い出したように作られてきた歴史があるが、あまり成功した作品を見たことがない。そしてそれは本作も例外ではない(ただし、序盤の航空機事故のシークエンスは大変よく出来ている)。 - この話の最大の問題は、機長が事故直前に酔っていたことと、事故で死者が出たこととの間に、因果関係がありそうに見えないことである。因果関係がないのなら、機長が過失致死罪に問われる可能性もない。実際のシナリオでは、過失致死罪で終身刑になってしまうおそれがあるというので、弁護士が飲酒の証拠となりうる血液検査結果を証拠として使えなくさせるために動くくだりがあるのだが、以上のような理由でこれは無意味である。このために、話が大いに弛緩している。
ところが実際の結末では、結局飲酒を認めた機長が、減刑はされたものの過失致死罪で処罰されたらしい描写になっている。このことからすると、制作者は因果関係がなければ有罪にならないことを見過ごしていた疑いがある。 - 終盤の展開に納得感が乏しい。
まず、素面で聴聞会に出席できるかどうかが焦点になるのだが、前述の問題をさておくとしても、聴聞会に素面で出席しなかったからといって事故の際も飲酒していたことになるのか疑問である。久々に友人に会ったので昨晩はつい飲みすぎたとかなんとか、それ自体は言い訳できないほどのことではなさそうである。
次に、せっかく1週間強禁酒に成功していた機長が、聴聞会前日に泊まったホテルの冷蔵庫に酒を見つけてつい飲んでしまうのだが、これもちょっと納得感が薄い。というのは、少なくとも話の前半では意外に酒に対して意思の強いところを見せていたし、後半に入ってからも、酒を飲むためには何でもするというほどの強い依存性は感じられなかったからである。要するにこのあたりの前フリ描写が不十分なのである。
また、聴聞会での尋問で、酒についてのウソは得意だからと言ってシラを切りとおしていた機長が、最後の質問で突然翻意したのも納得感が乏しい。機長がカテリーナ・マルケスにそんなに思い入れがあったという話は聞いてない。あれでは脚本家の都合で無理やり人物を動かしたと言われても仕方ない。中盤、ニコールがあれだけ前面に出て来ていたのだから、むしろニコールがここで何か絡んでくるのかと思ったら、全然関係ないまま終わるのにも驚いた。
60点/100点満点